1954-05-27 第19回国会 参議院 内閣委員会 第45号
○矢嶋三義君 私は終戦後我が国に一切の武器を捨てさしてそうして日本の曾つての軍人が使つた武器を共産軍に与え、そうして今になつて我々の同僚先輩を殺戮したところの武器を日本の保安隊なり自衛隊に貸して事ある場合にはそれらの武器で戦闘も起り得るだろう、又共同作戦の名において参加しようという、こういうアメリカのやり方というものは、極めて我がままなものだと私は考えます。
○矢嶋三義君 私は終戦後我が国に一切の武器を捨てさしてそうして日本の曾つての軍人が使つた武器を共産軍に与え、そうして今になつて我々の同僚先輩を殺戮したところの武器を日本の保安隊なり自衛隊に貸して事ある場合にはそれらの武器で戦闘も起り得るだろう、又共同作戦の名において参加しようという、こういうアメリカのやり方というものは、極めて我がままなものだと私は考えます。
小麦の代価の一千万ドルは日本に供与する、あとの四千万ドルは完成兵器をもつて供与する、こう言つておりますし、その他の武器の供与も完成兵器をくれるというが、あの計画を見ますと、現に保有している、あるいは東南戦争で使つた武器をくれる以外に、あまり目新しいものもないようである。そうなると、これらのものは完成兵器でくれる以上、修理をして日本に引渡すと考えられるのだけれども、これはそう考えてよろしいのか。
そこでその襲撃に使つた武器、北鮮系の朝鮮人が集団的に使つた武器というものも、大体当委員会から派遣して行きました委員各位のお調べ、事務当局のお調べでよくわかつてはおるのですが、そのうちのたとえば催涙弾とかいうのは、どういう径路でこれが製造され、あるいは入手されたか、おわかりになりますか。
それから先ほども見せられた暴徒の使つた武器ですが、これは相当の数であつたと思いますが、これはどこでつくつて、どういうことでやつておつたかという根拠がおわかりになりそうなものですが、まだおわかりになりませんか。