1949-11-30 第6回国会 参議院 本会議 第22号
先ず未帰還同胞の数の点でありますが、証人の言葉によりまして、旧買州地区においては延吉六十名、渾春六百四十名、和龍二十名、汪精三十名、圖們四十名、嫩江三十名、龍井六十名、開山屯三十名、朝陽川十名、明月溝三名、瀋陽五千九百二十三名、撫順四百三十名、本渓湖五名、鞍山七百名、遼陽十名、長春千二百七十名、吉林千二百名、蛟河百五十名、佳木斯三百名、鶴岡千名、大連千六十名、旅順一名、安東千五十名、牡丹江七百名、穆稜七十名
先ず未帰還同胞の数の点でありますが、証人の言葉によりまして、旧買州地区においては延吉六十名、渾春六百四十名、和龍二十名、汪精三十名、圖們四十名、嫩江三十名、龍井六十名、開山屯三十名、朝陽川十名、明月溝三名、瀋陽五千九百二十三名、撫順四百三十名、本渓湖五名、鞍山七百名、遼陽十名、長春千二百七十名、吉林千二百名、蛟河百五十名、佳木斯三百名、鶴岡千名、大連千六十名、旅順一名、安東千五十名、牡丹江七百名、穆稜七十名
その内訳といたしましては、牡丹江地区辺にも百、仙洞に五十、それから鳳山炭鉱に七十、難西に千三十、東安に千五十、佳木斯三百、鶴岡炭鉱千、その他千八百という、合計六千になるのでありますが、このうちの炭鉱には、先刻申しました病弱者として捕虜になりました者が、殆んど大部分が炭鉱に向けられたのでありまして、現在重労働に従事いたしております。
延吉四百六十、渾春六百四十、和龍二十、汪清三十、個們四十、嫩江三十、龍井六十、開山屯三十、朝陽川十、明月溝三、藩陽五千九百二十三、撫順四百三十、本渓湖五、鞍山七百、遼陽十、長春千二百七十、吉林千二百、蛟河百五十、佳木斯三百、鶴岡千、旅大これは当時三千になつておりますが、只今お話がありましたから千ということにいたします。安東二千八百五十、牡丹江七百穆稜、これは只今申上げました鳳山炭鉱であります。
牡丹江省及びその周辺に七百、それから仙洞五十、鳳山炭鉱これは七十、それから難西淡鉱千三十、東安これは附近も含みまして千五十、佳木斯三百、鶴岡炭鉱千、その他八百で、以上は概ねであります。合計して六千であります。