1973-07-05 第71回国会 衆議院 決算委員会 第21号
あと、こまかい作業の就業人員であるとか、構外作業の態様であるとか、作業賞与金が安過ぎるではないかとか、あるいは外部からの注文でつくったものがどういう経路で流れるかというようなことは作業課長から説明させますので、よろしくお願いします。
あと、こまかい作業の就業人員であるとか、構外作業の態様であるとか、作業賞与金が安過ぎるではないかとか、あるいは外部からの注文でつくったものがどういう経路で流れるかというようなことは作業課長から説明させますので、よろしくお願いします。
こまかいことは作業課長から説明さしていただければありがたいと思います。したがいまして、昼めしの四十分のときは、これは完全な休憩時間でございますから、自由使用ということでございます。昼めしを食べたり、好きな者は碁、将棋を打ったり、あるいはちょっとソフトボールなんかやりたいという者は、短い時間でございますが、狭いところでソフトボールなどやったりするというのが実情でございます。
作業課長が来る。局長が来る。言っていることはね、土地に対して賃貸契約を結びました、払わすようにいたしました。全然でたらめだ。そういうことを言うから私も調べた結果、あまり食い違いがあるから変な発言をせざるを得ないんですよ。事実をもっともっと教えざるを得ないんですよ。そうでしょう。
そこで作業課長に聞いてみたのです。それでは囚人の人というのはずいぶん仕事をよけいするわけですかということを聞きましたところが、それは習慣があって、自己調整というのをやる、だから普通ならば、大体民間へ出ていけば五割程度の日給を出すのが普通だ、こういうことです。
一体なぜ従来の二倍にも三倍にもなるような旅費を支給して——しかも特定な労務担当をしておる人事課長とか、あるいは木曽谷の営林署へ労務担当として配置された作業課長とか、あるいは監査官、こういう諸君というものは、当然の業務の風水害の問題を全然やらずに、そちらに専念をしておるのです。私がさっき言った金を使ってやっているというのはこの点であります。
造林課長の山口さんは北見の職員課長、作業課長の長島さんは函館の職員課長から来ておる。あるいは総務部長の前田さんは林野庁切ってのいわゆる弾圧労政の一番の親玉だ、こう言われておる諸君が入ってきておるわけであります。しかも、それが九月八日という異例な措置で行なわれておる。総務部長以下全部二カ月で罷免をして、こういう人たちで集中している。
それから補助工事等は直ちに飛びつくのは——ここに今委員長に聞きますと防衛庁から三宅工務官、それから法務省から佐藤矯正局総務課長と矯正局作業課長が見えておりますから、一緒にここにおいでになって聞いていただきたいのですが、自衛隊をこれは公共事業に利用する、活用する、言葉はどうでもいいのですが、自衛隊をして工事をなさしめるという傾向、それからもう一つは受役者、受刑者によってこの工事を進捗しようというような
さらに三月の三十一日に西島工場の事務所におきまして、当庁の神戸に保安部がございますが、その保安部の者、県の方、それから県の警察、中国火薬の第一作業課長という人々によりまして、この処理作業の要領を打ち合せいたしまして、その際に当庁といたしましては、中国火薬の第一作業課長に対しまして、投棄海面について絶対間違いのないように重ねて厳重な指示を与えているのでございます。
その配置の計画を申し上げますと、それぞれの職種別に十五ページには列挙いたしておきましたけれども、横浜サイロの場合で見まするならば、あそこには部長のほか管理第一課長、管理第二課長、作業課長で、一部長三課長のもとにそれぞれこういう係長なり組長というものを置きまして、この備考にかかげておりまするものはそれの適当な職種と申しまするか、こういった関係の職員が適任であるという意味を御参考までに計上いたしておるわけでございます
この前段の点はここにございますように当時神戸の刑務所は非常に内部の秩序が紊れておりまして、そうしてこの事実は本省の矯正局から巡閲に参りまして発見したのでありますが、作業課長、もうすでにあとで退職いたしました作業課長が作業収入を挙げろということを非常に中央から強くその成績を求められるために、丸紅に対しまして払うということで小切手を振り出しておいて、その小切手を現金化いたしまして、それで実際に丸紅に払うことをやめて
その当時は私は作業課長をいたしておりましたので、直接の担任者ではありませんけれども、当時の事情につきましては、当時の係官の方からよく連絡を受けておりますので、記憶をたどつて申し上げたいと思います。
それから本局の作業課長になりまして、それから勅任になりまして、中央研究所の所長として在職いたしましたが、この大戰勃発によつて軍が英米トラスト・タバコ工場を接收したものですから、そこで特殊英米トラストの首席顧問として出張して参りました。なおあれが軍管理工場に編入されて、首席管理官となりまして、終戰後東京に帰りました。その後二、三の会社に勤務しておりましたが、この日本裝器の……。
○坂元証人 私は昭和三年專売局に專売局技手として採用になりまして、昭和十九年に專売局作業課長を命ぜられました。それから昭和二十四年の六月に專売公社になりまして、專売公社製造局次長、それから昨年の九月に現在の製造局長になりました。
ところがこの組合はほかにいろいろ借金をしておるということが刑務所にわかりましたので、当時刑務所の次長をしております者が作業課長と一緒にその組合に交渉に出向きましたところ、只今問題になりました鴫原洋一郎という者がその組合の幹事としましていろいろ説明に当りまして、宮黒林産にも、農林省の仙台木炭事務所にも佐々木の借金が相当ありまして、すでに刑務所に担保として入れた、そういうような金品もそつちのほうに又担保
これは当時の作業課長、刑務所におります作業課長が非常にその男と馴れ合いまして、その二人の間に非常に背任行為があることがわかりました。
たとえばぼくの方の仙台のことを言うのは恐縮だが、作業課長という幹部級の者が、五十何万の金を横領したとか何とかいうような事件もあり、福島県の会津若松の刑務支所においても、三名かの職員の犯罪がある。