2018-04-16 第196回国会 参議院 決算委員会 第2号
昔は結構持っている人は、何ですかね、社会でいえばかなりな資産を持っているとか金持ちというイメージですけど、今は、悪いけど、東京の人は、金持っている人は余り車持たないんじゃないですかね。地方におります私どもの方が車を乗らざるを得ぬというような状況になっているのが実態なんだと思います。状況は違っているんだと思いますけれども。
昔は結構持っている人は、何ですかね、社会でいえばかなりな資産を持っているとか金持ちというイメージですけど、今は、悪いけど、東京の人は、金持っている人は余り車持たないんじゃないですかね。地方におります私どもの方が車を乗らざるを得ぬというような状況になっているのが実態なんだと思います。状況は違っているんだと思いますけれども。
○津島委員 総合的に安全投資をしっかり行うことで、一定の台数を確保するとか、それから余り車齢の高い車を保有し続けない、そういうところ、また、監査がいかにしっかり行われているかということが重要だと思いますので、よろしくお願いします。 次に、ランドオペレーターについてお伺いしたいと存じます。 今回の事故において、バス会社の手配においてランドオペレーターが介在していたことが問題となりました。
適正な車の利用というのは、例えば、本当に車を利用しなければならない人以外は余り車を利用しないようにとか、自粛をするようにとか、なるべく相乗りをするようにとか。 例えば、逃げるということで、実際に危機が迫っているときにちょっとでも余裕があると、では犬も連れて逃げようとか、家財道具も積めるんだったら積んで逃げようとか、いろいろなことを考えると思うんですね。
そういった意味で、いろいろ制度は複雑ですが、例えば本四架橋のように、大変高額の料金のために、せっかく三本もつくった橋が余り車が走っていない。また、アクアラインも、当初はたしか片道四千円でしたか、ほとんど車が走っていない。
それから、全体としてどう評価するかということですが、余り車に乗せて連れていかないと遊ばせられないということになりますと、なかなか出かけられません。ちょっと歩いたらたまり場があるかというようなところ、そういう環境をつくっていく必要があるんですが、そういうことを目標にする限り、まだまだだというふうに考えざるを得ません。
一方で、東京都内、公共交通機関が発達していますから、余り車をお持ちでない方もいらっしゃるので、大体一万六千円くらいが一年間のガソリンの支出だという話も聞いております。
そういう中にありまして、我が国車社会、今委員のおっしゃったように車社会であるわけでございますが、一方で、高齢者の方々がこれからますますふえてくるわけでございまして、余り車に依存できるような、車というか自家用車ですね、みずから運転する、そういうことに依存できるような時代じゃなくなってまいります。
これは環境面からいっても、例えば中心部には、これはもちろん地域が決めることでありますけれども、中心部には余り車を入れない、むしろ公共交通機関をしっかり活用していただく、そういうふうなまちづくりをしていかないといけないんじゃないのかと私なんかは思っているんです。
それから、そうでなくて、例えば地震とか、大きな地震が来たときにそこから避難するとか、あるいは緊急物資とかそういうものを運び入れるというようなことで、ふだんは余り車の量は多くないんだけれども、いざというときに、大事に機能するという観点もあるでしょうと。
○政府参考人(南部明弘君) まず、ガードレールで仕切られているというのは、現在、一般の用に供しておりませんで、管理用ということでそこを占有しておりますので、余り車が入ってこないようにというふうなことだろうと思います。
そして、すべてを、先ほど御同僚の藤野委員とのディスカッションの中でもお話をさせていただいたとおり、すべてを採算性、費用対効果だけでは見れない、社会的な外部効果、委員の御指摘でいうところの、クマの話をされましたけれども、余り車は通らないけれども、拠点病院への到達時間が一時間なのか三十分かによってその死亡率等々も大幅に変わる、あるいは災害が起こったときの代替道路がほかにない、あるいは近くに原発がある、いろんな
神戸から淡路島に渡って、余り車走っていないんで、私は上から、一分に何ぼ通るかなと。七台ですよ、一分間に。ぱらぱらぱらぱらしか来ない。あるいは、もう関空も見せてもらったけれども、いずれにしても、この過大な需要予測と効果の見積りを発表するけれども、余り成功した例がないですよね。
日本の道路は余り車が走っておらぬでしょう。渋滞するのはごく一部のときだけ。夜はあれだけの高速道路があくびして、居眠りして、車を余り運んでいない。道路が楽をしている。これを道楽というんです。高い税金を使って道路をつくって道楽をさせている。道が楽をして人が苦労をしている。人は結局、夜わざわざ高速道路の下を走っておるでしょう。
ですから、そういう意味では、高速道路の整備の話の中で言うのもなんですが、むしろ、余り車に頼らないような町づくりをどう進めていくのか、そういったところがとりわけ尼崎なんかの地域にとっては重要ではないかな、そのように感じています。
それは余り車が入ってこない、逆にそこは自転車で行く、私もよくそれをするわけです。だから、住宅地では狭い道路があって、自転車だけ、あるいは小さな車だけがそこに入ってくるような条件があれば、それはプラスの面も多いですから、それを変える必要はないのです。しかし、幹線道路はやはり問題です。 それで、幹線道路のもう一つの問題は、大体その周辺には住宅が今でも残っているわけです。これは大きな問題です。
これらにつきましても、余り車齢の長いものにつきましては改造するというような方法もございますので、それらを勘案いたしまして、できるだけ冷房化率を上げていくということでございます。 全般的に申しまして、やはりこういう競争の激しい時代でございますので、我々といたしましても、先ほど申しましたように、お客様を大切にという原点に立ち返りまして、いろいろな点につきまして施策を進めてまいりたいと思います。
ないにこしたことはないけれども、余り車というのは、全部常に保安基準に適合した状態で、公害を出すおそれはゼロでいつも走っていなきゃならぬというふうに完璧にしてしまうと、そのために完璧にさまざまな行政上の強制を加えていくということになると、それは臨調の趣旨と大きく外れてしまうんじゃないか。
○塩出啓典君 それから、わが国はいま自動車が三千八百万台、自家用乗用車だけでも二千三百万台、一・六世帯に一台、このように工業会の資料に書いてあったわけでありますが、一方省エネルギー、省石油、そういう点からまいりますと、ある程度大量交通機関を整備をして、余り車がふえることは好ましくない、こういうような意見もあるわけであります。
それから、また細かい問題ですが、故障車の停止の表示方法ですが、これは私も余り車を運転しませんけれども、よく三角のものをやっております。ところが、身障者の方に聞くと、あれは重くてどうにもならないというようなことで、何とか表示方法を御検討願えないかという要望が日本身障運転者協会の方から出されていると思いますが、その対策はどうなりましたか。
ただ、その中にこの現況と言えば、余り車を運転したこともない、免許証は当然ない、しかし、客があるから乗せて走るんだというような、やみタクシーと同じような面があるわけです。