2012-03-26 第180回国会 参議院 予算委員会 第14号
ただし、余り、悲観論が多く流れているときに、日本が入らなくてもいいと、我々が卑屈になってお願いして入っていくという状況ではないという意味でビートルズの話をさせていただきました。
ただし、余り、悲観論が多く流れているときに、日本が入らなくてもいいと、我々が卑屈になってお願いして入っていくという状況ではないという意味でビートルズの話をさせていただきました。
余り悲観論に陥らないで、楽天的とは言いませんけれども、意欲を持ってやればできるんだという前向きの姿勢でこの改革路線を進めて、日本経済全体の押し上げにつなげていきたいと、政府を挙げて取り組んでいきたいと思います。
余り悲観論の気分に陥らないで、楽観、より良き方向に向かって意志を持って良くしていこうという、そういう意欲を持つことも大事じゃないかなと思っております。
企業も、我が国の潜在成長率というのがどうも向こう五年間くらいは一%程度におさまってしまうのではないか、これは余り悲観論というのが根づいてしまうというのは非常に怖いなと一方で思っておるんです。
○小泉内閣総理大臣 余り悲観論ばかり横行しているものですから、名目成長率も実質成長率も、両方見ていかなきゃならないと思うという面で言っているんです。 そして、政府の見通しは甘い甘いとよく言われておりますけれども、実質成長率においてはゼロ%の見通しがプラス一・六%になっているのですから、余り悲観論ばかり見ないで、そんなに自信を失わないで、自信過剰もいけないけれども、自信喪失もいけない。
ところが、名目成長率がマイナスだ、だからデフレを克服しなきゃいかぬということでありますが、私は余り悲観論を展開する必要はないんじゃないかと。 稚内から石垣まで、都市再生事業をやろう。規制改正の特区も、政府は補助金を出さない、税制優遇もしないという中で、地方が、第一次認定で五十七の地方公共団体が地方の意欲を実現しようということで出してきました。これは、第二陣がもうじき来ます。
去年の十一月に私、やはりこの予算委員会で十一月二十五日に、もう今失われた十年、十年と、もちろんここでは余り悲観論だけ言ってはいけないというところは塩川大臣と同じなんですが、ですから復活の十年へのきちんとしたプログラムを作るべきだと言いまして、デフレ克服なくして構造改革なし、不良債権処理なくして産業再生なし、司令塔なくして日本の復活なしと申し上げましたら、そのとき小泉総理は、いやデフレ克服の先に構造改革
危機的状況には変わりないけれども、余り悲観論に陥るのは好ましくない。危機だから、今にも恐慌が起こる、だめだ、だめだと。日本人がそんな気でどうなるのか、もっと自信を持つべきだということで、勇を鼓して改革に突き進んでいるんでありまして、余り悲観論ばかり取り上げるのは好ましくないと思っております。
そこで、そういうことを冒頭にして伺いたいのでございますが、今この時点でいいますと、少しこういった金融面からの経済を見るだけじゃなくて、製造業とか我が国でも大分活躍しているところがあるんだから余り悲観論に陥る必要がないんだという議論も一部で出ているということもあります。
○堺屋国務大臣 財政と日本の経済につきまして、余り悲観論がこの予算委員会で充満いたしますと、国民に対してもいろいろな影響があると思いますので、私たちの考え方を少々まとめて述べさせていただきたいと思います。 まず、健全な財政というのは健全な経済に宿るのでございまして、経済が健全でなければ財政が健全になり得ない。
これが四月か五月か知らぬけれどもしかるべきところへ、要するに百二十円ぐらいのところへ戻ってくると私は信じていますので、そこら辺、余り悲観論を、日本の銀行が危ないみたいなことを言わないでいただきたい。 私どもは、平成三年の証券不祥事以来、平成四年には証券監視委員会が発足、平成七年には保険業法をやって損保と生保の乗り入れをやりました。
コンブは高碕さんがやったのですか、地元の人が毎年行って交渉してコンブだけはとれるようになっているという、まあ、非常に窮すれば通じた妙案だと思うのですけれども、やっぱり民間のそういうような方向を守り立てるというか、バックアップするというか、これは水産庁と外務省の両方かもしれませんが、ぜひひとつ余り悲観論にならないで前向きに検討していただくことを要望して、時間も参りましたので、私はここで質問を終わります
○栗林卓司君 先のことですから、余り悲観論、楽観論を言うのはいかがかと思いますので、一応これはこれでとめながら次にいきたいと思います。 ひとつ日銀総裁にお尋ねをいたしたいと思うのですが、実は私が先ほど来お伺いしている気持ちというのは、物価に目が余りに行き過ぎて雇用問題を捨ててしまったのではないか。捨てたとは言わないまでも、それに対して余り注意を払わなかった。