2019-05-14 第198回国会 衆議院 総務委員会 第16号
ですから、余り値段だけ見た議論というのは意味がないと思っています。 そういう意味では、今後の論点として、まず、NHKの事業規模の適切性というのはどうやって決めるのか。そして、それが決まれば、受信料の徴収率が上がれば、むしろその頭割りの金額は下がっていくはずですから、自動的に国民の負担は一律的に下がっていくというふうに料金の設定をすべきじゃないかというふうに思っています。
ですから、余り値段だけ見た議論というのは意味がないと思っています。 そういう意味では、今後の論点として、まず、NHKの事業規模の適切性というのはどうやって決めるのか。そして、それが決まれば、受信料の徴収率が上がれば、むしろその頭割りの金額は下がっていくはずですから、自動的に国民の負担は一律的に下がっていくというふうに料金の設定をすべきじゃないかというふうに思っています。
それがすべて失われるということになりますと、この近海の漁船が対象としていますカジキ類、サメ類、これが実は余り値段がつかない。そうなりますと、幾らとっても採算が合わないということになり、沖合でたまたま災難を逃れた漁船であっても、この技術を持った主産業の地域であります三陸沿岸の水産業が消滅したということで、今大変厳しい経営状況にあります。
○寺田(学)委員 麻生大臣ほど財力があられると、余り値段のこととか考えられないんでしょうけれども、一般的に使われている、今中高生にもかなり使われているんでしょうけれども、やはり値段、いわば通話料金を含めパケット料金、データ通信等々を含めた上で、価格というものが一番選ぶ一つの基準でしょうし、最近はやはりそれ以外に「着うた」だ何だといろいろなものが出ていますけれども、付加価値サービスがあるないによっていろいろ
それで、何回も相談に行っていたら余り値段が変わらなくなっちゃったとか、あるいは、余りにも簡単なことを聞きに来るので、こんなのだったらもうおれがやった方が早いというふうにいらいらしてくるとか、いろんな事例があると思うんですが、その辺について、実際にどういった形で関与して、関与することによってどういった、要するに、それをADRで訴えて、弁護士の方が関与することによって訴えた人が得をするのかどうかということですね
そして、もし今、二割を三割にやると占有屋がふえるとかなんとかというんだったら、それは、まずそれを防止する施策を国としてやらなきゃいけないし、また一方で、ひどいときには七十一条の第七号でこれはだめですと言うことができるわけですから、余り値段のことで神経質になるよりは、市場の整備をどう整えるか。 一つは、何か競売という市場は特別だとさっきもおっしゃったわけですね。
これが実際ですから、余り、値段が安いから軽の方は民間にやらせていいんだ、それは理由にならないです。 また、構造の面でも、最近の軽は非常によくできている、もう普通の小型車と何ら変わらないぐらいの機能整備、しっかり持っているわけで、今指摘された理由というのはとても理由にならない。
建設の談合にしたって、つめの伸ばし過ぎというのはいかんのやけれども、中小企業が生きていくためにはやむを得ぬようなところであって、余り値段を上げるといっても大手にとられたり、新規の業者がぼこぼこできるときですから、そういうようなものは日本の商習慣に合っていくんやないか、余り締め過ぎるとこの不況は続くんやないかなと、そんな気もしております。
それでは次に移りまして、この間もお話ししましたけれども、予防医学ということも含めて今後病気を少なくして治療費を減らそうという方向だと思いますけれども、そういうときにどうしてもネックになりますのが予防、つまり生活指導とか、そういうものをしても余り値段にならない、薬を出したり検査すると値段になるということですからこういう分野こそDRG的な考え方がいいのではないかと思います。
しかし、社会生活、経済活動を行っていく上でどうしても必要な分野であるし、先ほど先生おっしゃったように不便になるとか、地方にいきますと自動車と電車と余り値段が変わらないとかいうようなことで、現在の社会生活そのものを変えない限りはいろんな難しい問題がある。
私ども、各党の政策担当者と協議したときもそういう議論が大体一致したんでございますが、固定資産税は余り値段でしょっちゅう変える必要はないんじゃないか。
○柳田委員 国民の感覚からしますと、二十一世紀になったらば市場経済も開くし、保護政策もとらないということなので、アメリカに行ってもドイツ、ヨーロッパへ行っても、日本で買っても余り値段が変わらないよという感じがつかめれば、なるほどというのが多分国民の感情ではないかなと思うのです。
そういう意味から、エネルギーというのは余り値段を、これは今までの質問では非常に値段のことに集中されましたけれども、大きく考えればこれは値段というよりももっと開発に力を注ぐことが必要じゃないかという視点から、その辺の状況をお聞かせいただきたいと、こう思うんです。
お年寄りの方も不思議に思いますよ、余り値段がよ過ぎるから。だまくらかしてだまくらかして捨てに来ておるわけですよ。そういうことをやめてほしいというのが香川県の態度ですし、県議会でも議論になりました。そして県議会は、九月県議会で議論した結果、この大阪チタニウムからの搬入を直ちに禁止したんですよ、捨てに来てはならないと。
正直、サウジを初めOPECの穏健派は、やはりこの際余り値段が上がってしまうことは将来において石油が代替エネルギーにかわり、結局石油の消費が落ちることになる、それは自分たちにはプラスにならないんだ、これはよくわかってくれているようでございまして、そういう価格が何とか高騰しないように、ぜひIEAあたりがいろいろとOPECとも連絡をとり合いながら、また我々消費国ともIEAが窓口になって連絡をとってくれて、
これはメーカーにとりまして低価格である方がいいことは事実でございますが、余り値段が下がりまして回収システムが崩壊するようなことになりますと、製紙メーカーとしては非常に困るわけでございます。
あなた方としたら、大臣が税収が十分あるという確信が必ずしもないのに、余り値段が下がったのでびっくり仰天して、今年度は見送るかということで、全部または一部ということもお忘れになって見送るか。
また、現在のいろんな消費経済というものを見ておりますと、高い物がよく売れるというと変ですけれども、いろいろと人間の感性に訴えた付加価値を加えた物がよく売れるということですから、普通の生地をただ生地だけで売っておっては余り値段がつきませんけれども、それこそカルダンだか三宅一生だか、そういった人がちょっとはさみを入れますと、途端に高くなる。いろいろあるわけでございます。
たくさんのことは急にできませんが、北海道の最近の航空運賃の高さはもう目に余るものがございまして、それらの問題について、今度の税制では余り値段が下がらないんだけれども、せめて将来のことも含めて、ひとつ私の故郷にも説明ができるようにお願いをできれば非常に幸いだというふうに考えるわけであります。 そして、この全体を通じまして、最後に総理の決意を聞かせていただければ非常にありがたいと思います。
やはりそこに、冷たいとか、量が少ないとか、余り値段どおりの味ではなかったなという苦情がこういう不評を買って、国民が本当は未来と遭遇して、それで夢を描きながら新しい自分の生活を確立させるためにある万博が、私はとんでもないことで所期の目的を達成しないということは、非常に残念に感じてきたのですね。