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4950件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1949-04-22 第5回国会 衆議院 内閣委員会厚生委員会連合審査会 第1号

今度文部省の改正におきまして、体育関係仕事相当縮小されたように承つておるのであります。公衆衞生立場から申しますと、國民の健康を増進するという意味において、厚生省は大きな責任を持つておられますが、はたして將來國民体力國民の健康の積極的増進方法において欠けるところなきやいなや。厚生省立場におきまして、この点の御意見を伺いたいと思います。以上御質問申し上げます。

床次徳二

1949-04-22 第5回国会 衆議院 内閣委員会厚生委員会連合審査会 第1号

それから文部省体育局の関係についてお尋ねがありましたが、特にこれはまた厚生省立場からでよいから何か考えがあればというような御意見でありましたが、実は文部省設置法案もまだ國会に提案になつておらないかと思いますが、その草案にも、お話のように体育局がなくなりまして、それぞれの局に分属されるようなかつこうになつているように拜承いたしております。

葛西嘉資

1949-04-19 第5回国会 衆議院 文部委員会 第8号

日高政府委員 実は今お話のあつた東京文理科大学東京高等師範学校体育専門学校農業教育専門学校一つにまとめまして、文部省の初めの案といたしましては、東京教育大学という名称で進みたいという計画を持つてつたのでありまして、昨年の秋の終りごろまでは大体それで進んで参つたのでありますが、教育大学という言葉にまつつておりますところのいろいろの連想及び感情から、学校の内部に意見の齟齬が起きまして、今申

日高第四郎

1949-04-19 第5回国会 衆議院 文部委員会 第8号

ことに馬の方の問題になりますと、これはわれわれ体育局だけの問題ではなくして、農林省の方が、馬事会等後援とかいろいろなことをやつておられ、馬事会が馬の方の後援をしておられたように承つておりますので、いずれこの問題は農林省とも協議しなければならぬ問題だと思います。農林省並びにNOCと十分協議いたしまして、われわれといたしまして万全の方法を講じたいと存じております。

東俊郎

1949-04-19 第5回国会 衆議院 文部委員会 第8号

ご案内の通り、文教大学というのは、文理大東京高等師範体育専門学校農業教育専門学校、これらを合併して一つ大学ができるのでありますが、その学校の名前について、実は現在の文部省案文教大学、かようになつておるのであります。ところがこの校名については、文理大を除く他の三つの学校はことごとく反対でありまして、これを教育大学という名称にしたいというのでございます。  

岡延右エ門

1949-04-18 第5回国会 参議院 予算委員会第二分科会 第1号

外務事務官    (管理局長)  倭島 英二君    文部政務次官  左藤 義詮君    文部事務官    (大臣官房会計    課長)     小川 潤一君    文部事務官    (学校教育局    長)      日高四郎君    文部事務官    (社会教育局    長)      柴沼  直君    文部事務官    (科学教育局    長)      茅  誠司君    文部事務官    (体育局長

油井賢太郎

1949-04-12 第5回国会 衆議院 農林委員会 第8号

あしたから食う物がないとか、食う物を買う金がないようになるというような食糧不安感から除いて、國民体育の向上と並行して行きたい、こういう氣持で考えておるのであります。まことに微力なものでありまして、御期待に沿うことははなはだむずかしいと思いますが、特に経驗を持たれる井上議員なんか特にひとつ御指導をお願いいたしたいと思うのであります。

森幸太郎

1949-04-04 第5回国会 衆議院 文部委員会 第4号

それから今横田專門員からお話がありました中に、体育が抜けておりましたが、この体育のような問題とか、宗教とか、こういう一般的な教育問題も廣くこれに手をつけて、われわれ文部委員会は一城一部の主ではなくて、國全体の文化文教を担当しているという権威を持たせたいと思いますので、今日せつかくこうして所管事項について説明があつた機会に、われわれ委員がわれわれ文部委員会の担当する事項はどういうことであるかを再確認

受田新吉

1948-12-13 第4回国会 参議院 文部委員会 第3号

河崎ナツ君 三島さんのお言葉大変私も御尤もだと存じ上げておりますが、体育局長の今の御説明で、ちよつと話が横へ外れるような質問かも知れないと思いますが、保養所が三十縣できておりますが、それはそこで療養といいますか、今日の結核療養と言いましても療養の仕方が非常に変つて來ておりますが、この数多い療養所設備はどういうふうな新らしい結核療養治療をし得るような設備になつておりますか。

河崎ナツ

1948-12-13 第4回国会 参議院 文部委員会 第3号

           堀越 儀郎君            三島 通陽君            山本 勇造君            中野 重治君            鈴木 憲一君   國務大臣    文 部 大 臣 下條 康麿君   政府委員    文部政務次官  小野 光洋君    文部事務官    (調査局長)  辻田  力君   説明員    文 部 次 官 井手 成三君    文部事務官    (体育局長

田中耕太郎

1948-12-11 第4回国会 参議院 文部委員会 第2号

河野正夫君 ちよつと関連して伺いたいのでありますが、今体育局長から二年の治療及び療養期間で十分だというような專門的な御陳述があつたのでありますが、私仄かに聞くところによると、文部省でこれを立案するときには三年とやはり考えたが、財政とその他いろいろの関係から関係方面の折衝や何かで二年に圧縮されてしまつたと伺つておるのでありますが、そのできてしまつ法案裏付として科学的に二年でよいと、こう局長が御説明

河野正夫

1948-12-11 第4回国会 参議院 文部委員会 第2号

キヤウ君            梅原 眞隆君            河野 正夫君            堀越 儀郎君            三島 通陽君            山本 勇造君            鈴木 憲一君   政府委員    文部政務次官  小野 光洋君    文部事務官    (調査局長)  辻田  力君   説明員    文 部 次 官 井手 成三君    文部事務官    (体育局長

田中耕太郎

1948-10-16 第3回国会 衆議院 議院運営委員会 第5号

成重 光眞君    田中 久雄君       中野 四郎君    林  百郎君  委員外出席者         議     長 松岡 駒吉君         副  議  長 田中 萬逸君         議     員 川橋豊治郎君         事 務 総 長 大池  眞君     ————————————— 本日の会議に付した事件  議員宿舎に関する件  赤坂離宮使用に関する件  第三回國民体育大会

会議録情報

1948-07-05 第2回国会 参議院 本会議 第60号

矯正教育は、少年をして社会生活に適應させることを目的とするものでありまして、一面は自覚には規律のある生活の下に、智的教育職業補導訓練、即ち徳育体育及び医療を授けるのであります。矯正教育の一部は学校教育法における教育と同一のものでありますから、常に文部大臣と密接なる連絡を保ち、少年院の長は前述の教科を修了した者に対して証明書を発行するのであります。

岡部常

1948-06-29 第2回国会 衆議院 予算委員会第二分科会 第1号

このほか体育並びに保健衛生教科用図書編修発行その他文部行政及び学術振興上緊急欠くべからざる諸般の施設を講ずるため、それぞれ必要な経費並びに、価格の補正等に伴つて生ずる予算の不足を処理するに必要な経費を計上いたしたのであります。  以上は文部省所管におきまする昭和二十三年度予算大要につきまして御説明申し上げました次第でございます。  何とぞ御審議の上、御協賛あらんことを希望いたします。

森戸辰男

1948-06-22 第2回国会 参議院 文化委員会 第8号

從來祝祭日では特に十一月三日の明治節あたりは、文部省が主催でありますか、体育を盛んにやりましたが、現在いろいろ経済上困つている段階でも、元日あたりになりますと、まあいくらか酒や糯米を民間に配りまして、配給する、その結果相当予算がなければ活溌な行事ができないのではないかと考えられます。

金子洋文

1948-06-22 第2回国会 参議院 文化委員会 第8号

道義高揚にも、その中にある体育は勿論のこと、さような文化人文科学自然科学にしても、その方の発展をも期したい。刺戟の日として意義あらしめたいと思います。若し天皇のそうした生物科学の御研究等が、何がし大学にでも御発表願えれば、如何ばかりか日本の進歩に役立つかということを始終思つておるのであります。

松野喜内

1948-06-22 第2回国会 参議院 文化委員会 第8号

これを総体的に考えれば、やはり文教藝術と申しますか、文教文化或いは体育を、或いは感謝をいたします心、或いは喜びを感ずる日であること、或いは博愛、或いは報徳、道義科学宗教、こういつたようなものをこの行事の中に適当に織込んで、尚且つ地方色を活かして、待ち遠しい日であるといつたような、而も感激の深い日である。

岩木哲夫

1948-06-18 第2回国会 参議院 文化委員会 第7号

若木勝藏君 この祝祭日審議に当りまして、初めのところにおいては、相当日本の新憲法に則つて、いわゆる文化國家或いは又健康にして文化的な生活を営むというような観点から、この藝術祭であるとか、科学祭或いは体育祭、そういうふうな一つお祝い日を置きたいというふうな、いろいろの御意見が出たのですが、私もその点においては主張した一人であるのであります。

若木勝藏

1948-06-18 第2回国会 参議院 文化委員会 第7号

委員長山本勇造君) 今の希望としましては、実際藝術祭科学祭体育祭、その他沢山こういうのがございまして、これは性質が行事に類するものでありますから、この前の、どれかの日に、必ずしも文化の日でなくてもよろしいと思います。これによつてその行事が、その祝祭日において必ずや潤いも出て來ると思います。これを希望した人々においても、その点で辛抱して貰うというようにしたい。

山本勇造