1953-08-06 第16回国会 衆議院 法務委員会 第32号
これはこれは検事総長は御記憶があると思いますが、三・一五事件のときも冒頭に、佐野學が音頭をとつて、渡邊政之輔のために黙篤したことがある。
これはこれは検事総長は御記憶があると思いますが、三・一五事件のときも冒頭に、佐野學が音頭をとつて、渡邊政之輔のために黙篤したことがある。
そこで裁判所においては、たとえば佐野學や徳田球一の三・一五の裁判のときには、当時名古屋の控訴院の部長をしておつた宮城實さんを東京の地方の部長に——ある意味においては格下げというようなかつこうでしようが、事件重大というので、非常に老練であり、かつまた研究を積んでおる宮城さんを抜擢いたしまして、裁判に当らせた。
憲法学者とか、あるいは新聞報道機関の方とかいろいろやつておりますので、佐野學さんが相国寺には確かに見えておりましたが、人選等につきましては、私具体的にその衝に当つておりませんが、大局において非常に政治的、あるいは思想的にどうこうという意味でやつたのではございませんで、佐野學さんに社会思想と言いますか、そういう問題について御講演を願つたことは確かに聞いております。
○池田(峯)委員 その講習会に佐野學等が始終出ておるそうでありますが、そういう文化教養団体の催しの講習会に、とにかく共産党を裏切つて、共産党反対を標榜しておる曰くつきの佐野學という人間をどういうわけでこの講習会に連れて来たか。中田さんと思想が一致するならば、中田さんもそういつた佐野學の一派であると見てよろしい。そうすればこれは公務員の政治活動とみなしてよろしい。
公述人はその数を総員一七名といたして、二十二日の分は労働者関係で加藤閲男君、星加要君、夫林一君、伊藤正函君、楠本守君、平林剛君、水上敏英君、舟津雄二君、後藤甲吉君、以上九名といたし、二十四日の分は労働組合関係で、重盛壽治君、石藤二三君、経営者関係で、佐藤正義君、加藤徳衞君、学識経驗者関係で、野村平爾君、鮎澤巌君、佐野學君、川田壽君、こういうことにいたしたいと存じますが、御異議はございませんか。