2005-06-30 第162回国会 衆議院 郵政民営化に関する特別委員会 第21号
今までの記録を見ますと、国会史上最長の質疑時間を要しました特別委員会は、非常に昔懐かしの話でございますが、昭和三十五年の日米安全保障条約等特別委員会、有名な小沢一郎先生の御尊父が委員長をお務めになりました、小沢佐重喜委員長のもとで百三十六時間十三分という大記録がございますが、これは何しろ安保条約改定に関する委員会でございますので、大変な審議時間をおやりになったと思います。
今までの記録を見ますと、国会史上最長の質疑時間を要しました特別委員会は、非常に昔懐かしの話でございますが、昭和三十五年の日米安全保障条約等特別委員会、有名な小沢一郎先生の御尊父が委員長をお務めになりました、小沢佐重喜委員長のもとで百三十六時間十三分という大記録がございますが、これは何しろ安保条約改定に関する委員会でございますので、大変な審議時間をおやりになったと思います。
昭和二十二年に、当時大選挙区からこれを中選挙区に直すときに小沢佐重喜委員という方が、これは小沢一郎議員のお父様と伺っておりますが、提案理由の中でこういうことを言っております。 わが国において小選挙区制で総選挙が施行されたことは、六回の経験をもつものであります。しかしながらこの六回の経験の結果は、少なくとも次に述べるような欠陥のあることが、明瞭にされたのであります。
○国務大臣(佐藤観樹君) 今、吉川委員が読み上げられましたように、小沢佐重喜議員がそのように申していることは私たちも十分存じておるわけであります。 ただ、我々がこれから目指しております選挙制度というのは、単に小選挙区制ということだけではなくて、小選挙区比例代表並立制ということで、政党を中心にしていこう、政策本位ということでございまして、戦前と比べてまず基盤が違うと私たちは思っております。
続いて伺いますけれども、昭和二十二年中選挙区制に変更する際に、衆議院では小沢佐重喜議員がいかに小選挙区制の弊害が多い選挙であったかという論を展開しております。この小沢佐重喜議員というのは小沢一郎氏のお父上であるそうでありまして、さすがに立派な論を展開しておられるわけです。
金がかからなくなるかということでいえば、有名な大正十一年の加藤高明、当時の総理の発言、それから尾崎行雄、昭和四年の国会での発言、それから昭和二十二年の小沢佐重喜氏の発言、これはもうみんな、むしろ小選挙区になったら狭くなって激しくなって情実本位になって、金権、金がかかるんだと言うてますよ。現在も、例えば韓国でいえばそういうことですね。
というのは、かつて昭和二十二年に、今の小沢一郎さんのお父様の小沢佐重喜さんが、あの小選挙区制を廃して中選挙区制をとるという理由の中に、やはり過去の小選挙区制というのは、買収、供応が非常に横行して金がかかる選挙になった、だから今の中選挙区制に変えなきゃならぬという提案理由の説明をやりましたような懸念があるわけです。
現在の中選挙区になったときの提案者は、御存じのとおり小沢さんのお父さんですね、小沢佐重喜議員でありますけれども、その提案理由も、やはりそういう過去の戦前の歴史を踏まえた、あるいは尾崎さんや齋藤さんの演説を踏まえたもので、選挙抗争が非常に激烈になる、その結果、情実と投票買収が横行するというのが理由の大きな一つになっています。 私は、日本の歴史が証明していると思うんです。
また、昭和二十二年に我が国が中選挙区制を導入した際にも、大先輩の小沢佐重喜先生が小選挙区制を採用し得ない理由として、小選挙区制は選挙抗争が非常に激烈になり、その結果は当然の事実として情実と投票買収が横行するとされて、金がかかることが小選挙区制の欠陥であるというふうにされているところでもございます。
過去の歴史を調べてみますと、明治二十二年に小選挙区制、明治三十三年に大選挙区制、大正八年に小選挙区制、大正十四年に中選挙区制、昭和二十二年に中選挙区制、こういうふうに歴史の変遷がありますが、総じて申し上げますと、衆議院特別委員会において、自民党の小沢佐重喜さんという大臣がおりますね、我が党の小澤克介君のお父さんではなかろうかと思うのでありますが――ああ、そうですか。どうも申しわけないですね。
小沢佐重喜先生、前自民党幹事長小沢一郎先生の父親であります。「その欠陥の第一は、選挙区域が非常に狭小でありますので、その区域内の地方的人物のみが多く選出されまして、中央政治界に活動する大人物が、当選困難であったということであります。」「第二は、選挙抗争が非常に激烈になりまして、その結果は当然の事実であるところの、情実と投票買収という点が横行することに相なってまいっておつたのであります。」
戦後でも、中選挙区制の提案理由で、小選挙区制は「選挙抗争が非常に激烈になりまして、その結果」「情実と投票買収という点が横行することに相なってまいっておつた」のですと、あなた方自民党の先輩である小沢佐重喜氏は述べているではありませんか。また、現在の奄美群島区を見ても明らかではないですか。総理、あなたの、普選時代の、古い、昔のものとの言い分は完全に破綻してしまっているではないですか。
一昨日、小選挙区制論議のときに、帝国議会のことを持ち出すなという声がありましたが、ならば、戦後の国会で、前自民党幹事長のお父さんである小沢佐重喜先生が次のように主張されていることはどうでしょうか。昭和二十二年、衆議院選挙法の一部を改正する法律案に対する修正案としてです。
(拍手) 総理、昭和二十二年、現在の中選挙区制が導入されたとき、自民党の先輩議員である小沢佐重喜氏は、国会でどのような提案理由説明を行ったか御存じでありましょうか。
小沢幹事長のお父さんの小澤佐重喜さん、「日本自由党並びに日本進歩党を代表いたしまして、」と言うて中選挙区単記制の実現についての提案をしている。その提案理由の中で小選挙区制について四つの弊害を言っています。「わが国において小選挙区制で総選挙が施行されたことは、六回の経験をもつ」、「六回の経験の結果は、少くとも次に述べるような欠陥のあることが、」明らかになっている。
そして今度の場合、小選挙区制というものが同時に政党対政党、政策対政策の争いを可能にする、そういう特性を持っているということがこれまた言えるわけでございまして、そういう点はこの小澤佐重喜先生の説明には入ってきていないわけですけれども、そういう政策対政策、政党対政党という形の選挙制度というものが望ましいという点はここでは述べられていないけれども、小選挙区制に対する擁護論として大切な点ではないだろうかというふうに
昭和二十二年三月二十八日に、当時の日本自由党並びに日本進歩党を代表して、現在の小沢自民党幹事長のお父さん、小沢佐重喜さんが、中選挙区単記制を採用せいという修正案を、これは大野伴睦さんが出したわけですが、それの説明をしているんです。 その趣旨弁明によりますと、小選挙区制というのはこういう点でいかぬのだということを非常に端的に書いています。四点あるというんですね。
もう一つは、二人区をつくる問題についてでございますが、これもまた戦後三人ないし五人区を復活いたしましたときに、小沢佐重喜先生が第九十二回の帝国議会で昭和二十二年三月二十八日に議論しておられます中で、二人区をつくることについての欠陥として挙げておられるのが四点あるわけでございます。
そんなことを言えば、四万三千人ふやしたのですよ、小沢佐重喜さんがこの提案をしたときは。この四万三千人の中心は何かと言うと、ちょうど各省庁でしきりに労働組合で言う非常勤の定員化闘争というのがほうはいと起こった。建設省にしても、林野庁にしても、郵政省にしても、やたら無性に――定数は各省設置法で決まっているものだからふやしにくい。ふやしにくいから次々非常勤職員でふやしっていった。
○大出委員 ここにございますが、国家行政組織法等の一部を改正する法律案、当時、小沢佐重喜さんが行管の長官の時代であります。
これを初めといたしまして、齋藤隆夫、幣原喜重郎、北村徳太郎、川崎秀二、加藤勘十、鈴木茂三郎、吉田茂、星島二郎、西尾末廣、春日正一、徳田球一等々の諸先生を初めといたしまして小澤佐重喜、倉石忠雄、こういう人たちが議会の尊厳を守り、国民の知る権利にこたえようとして全部証人台に出ていられる。
小沢行政管理庁長官のとき、小沢佐重喜さん、以来閣議は歴代これを踏襲してきている。だから、田中総理が選挙の区割りについての委員会をこしらえたとき、新聞が一斉に書いたじゃないですか。あれは一体何だ、八条機関でも何でもないもの、区割り委員会をこしらえた。総理の純然たる私的諮問機関だと答えた。そんなもので区割りを決められてたまるかという騒ぎになって、とうとう表に出せぬでつぶれたじゃないですか。
○森勝治君 どうも二十年前——十年一昔と言いますから、二昔前のことを持ち出して恐縮でありますが、大臣の心の中、当時小澤佐重喜大臣だと思いましたが、大臣の心の中にも個人請負というものは認めるわけだが、それをとらなかったというふうな説明と承ったわけでありますが、この当時の速記録をもってしますと、そういうことをうかがい知るよしもないのですよ。個人は絶対認めないと言っているのだから。
○北山愛郎君 ただいま議長から御報告のありましたとおり、本院議員小沢佐重喜君は、去る五月八日急逝されました。まことに痛惜の念にたえません。 ここに、私は、諸君の御同意を得て、議員一同を代表し、つつしんで哀悼のことばを申し述べたいと存じます。(拍手) 私のなき父は、小沢君が戦後最初の衆議院議員総選挙に立候補されて以来、常に君を支持しておりました。
閣提出) 第七 昭和四十年度一般会計歳入歳出決算 昭和四十年度特別会計歳入歳出決算 昭和四十年度国税収納金整理資金受払計 算書 昭和四十年度政府関係機関決算書 第八 昭和四十年度国有財産増減及び現在額総 計算書 第九 昭和四十年度国有財産無償貸付状況総計 算書 ————————————— ○本日の会議に付した案件 北山愛郎君の故議員小沢佐重喜君
議員小沢佐重喜君は、去る八日逝去せられました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。 同君に対する弔詞は、議長において去る十日贈呈いたしました。これを朗読いたします。
理事 島上善五郎君 理事 西宮 弘君 理事 岡沢 完治君 浦野 幸男君 菅 太郎君 白浜 仁吉君 永山 忠則君 松浦周太郎君 松澤 雄藏君 松野 頼三君 三ツ林弥太郎君 堀 昌雄君 山花 秀雄君 山下 榮二君 伏木 和雄君 ————————————— 五月八日 委員長小沢佐重喜君
委員長小沢佐重喜君が去る五月八日、慈恵医大付属病院において逝去されました。まことに哀悼痛惜の念にたえません。ここに委員各位とともに、小沢委員長の御冥福を祈り、つつしんで黙祷をささげます。御起立を願います。 〔総員起立、黙祷〕