1964-11-13 第47回国会 衆議院 議院運営委員会 第2号
まだ現実には佐藤首班というものは誕生していなかったころのタイミングであります。しかし、あのときの議運で、大体の見当はある程度つけようということで坪川君に行ってもらったというようなわけでありますから、当時としては、党も政府もある程度やはり見当で答えていると思うのです。
まだ現実には佐藤首班というものは誕生していなかったころのタイミングであります。しかし、あのときの議運で、大体の見当はある程度つけようということで坪川君に行ってもらったというようなわけでありますから、当時としては、党も政府もある程度やはり見当で答えていると思うのです。