1977-05-17 第80回国会 衆議院 地方行政委員会 第22号
たとえば「当時警視総監をしておられた小倉謙氏や、そのときの学連の闘争を扱っておられた野村佐太男検事正とときどき会い、フランクな話をし」そして「なみなみならぬ温い感情と同情心をもって事に当たられている」こういうことを述べている。それから、三井局長も、当時公安一課長をなさっておりましたが、当時公安一課長をしておられた三井脩氏とお会いして、そして余り好きではなかったけれども——建物が好きでなかった。
たとえば「当時警視総監をしておられた小倉謙氏や、そのときの学連の闘争を扱っておられた野村佐太男検事正とときどき会い、フランクな話をし」そして「なみなみならぬ温い感情と同情心をもって事に当たられている」こういうことを述べている。それから、三井局長も、当時公安一課長をなさっておりましたが、当時公安一課長をしておられた三井脩氏とお会いして、そして余り好きではなかったけれども——建物が好きでなかった。
大久保の弁護士、野村佐太男、岡崎格、それぞれ名古屋高検、大阪高検の検事長あるいは検事。ごらんなさい、みんな取り調べる側、しかもさっき言ったとおり、まだ退職してほやほやの湯気が立っておる人まで、全部弁護に回っておるじゃないですか。だから私どもが、調べる方と調べられる方は、まさに一体だと言わざるを得ないのは、こういう事実の中にあるのですよ。 大蔵大臣、よそごとのように聞いていないで。いいですか。
「安保闘争が激烈に闘われている期間、われわれのうちの代表者は、当時警視総監をしておられた小倉(謙)氏や、そのときの学連の闘争を扱っておられた野村(佐太男)検事正とときどき会い、フランクな話をし、そしてこの方々が、若い学生と全学連に、なみなみならぬ温い感情と同情心をもって事に当られていると聞いたときは、全くおどろいた。」学生のほうが驚いている。
さらに、監督責任といたしましては、本年二月二十三日に、当時の検事正、現在広島高等検察庁検事長野村佐太男、現在最高検の検事であります当時の次席検事岡嵜格、公判部長横井大三、同副部長岡崎悟郎、公判部検事で印鑑を盗用された者であり、かつ監督責任者であった金丸歓雄、平井清作検事、高田秀穂検事、鹿道正和検事、それから公判部の事務課長市瀬恒尾事務官に対しましては、それぞれ一カ月百分の三ないし一の減俸処分に付しました
○高田なほ子君 そうすると今、河井刑事課長が説明されたのは、東京地検の野村佐太男検事正がものされた文審に基づいて説明されたわけですか今の説明は。
○説明員(神谷尚男君) 東京地方検察庁検事正野村佐太男の名前で出されたものであります。この文書につきまして警察庁が発表に関与したという事実はないはずでございます。
私は内閣と検察庁というものの関係について少しはっきりさしておきたいと思うので質問をするのでありますが、これも大臣がおられないために正確な御答弁はあるいはむずかしいかも存じませんけれども、この東京地方検察庁検事正野村佐太男氏から出されている上告趣意書なるものは、内閣もこれを了承し、これを支持し、全く同意見であると見ていいのかどうか。その点について法務省はどう理解されているのか。
で、宇都宮、福田両議員は、右のような記事及び放送は全く事実無根であって、事実を摘示して右両氏の名誉を棄損したものとして、十月十八日から同月二十二日に至る間、宇都宮氏は読売新聞の編集局長小島文夫、同新聞担当記者某、検事総長花井忠、東京地検検事正野村佐太男、同庁担当検事某の五氏を、福田氏は読売新聞小島編集局長、同新聞担当記者某、東京地検担当検事某、ラジオ東京編集局長今西潤三、同報道部長今井俊、同放送担当者某
宇都宮、福田両氏は、右のような記事及び放送は全く事実無根で、公然と事実を摘示して右両氏の名誉を棄損したものとして、十月十八日より同月二十二日に至る間に、宇都宮氏は、読売新聞編集局長小島文夫、同新聞担当記者、検事総長花井忠、東京地方検察庁検事正野村佐太男、同庁の担当検事某の五氏、福田氏は、読売新聞小島編集局長、同新聞の担当記者某、東京地方検察庁担当検事某、ラジオ東京の編成局長今道順三、同報道部長今井俊
昭和二十三年十二月十三日(月曜日) 午後二時五分開議 出席委員 委員長 圓谷 光衞君 理事 松本 七郎君 理事 伊藤 恭一君 理事 久保 猛夫君 古賀喜太郎君 水谷 昇君 山名 義芳君 渡邊 良夫君 受田 新吉君 高津 正道君 田淵 実夫君 松本 淳造君 西山冨佐太君 黒岩 重治君
昭和二十三年十二月十二日(日曜日) 午前十一時五十五分開議 出席委員 委員長 圓谷 光衞君 理事 松本 七郎君 理事 伊藤 恭一君 理事 久保 猛夫君 古賀喜太郎君 平澤 長吉君 星島 二郎君 水谷 昇君 渡邊 良夫君 高津 正道君 田淵 実夫君 松本 淳造君 小島 徹三君 西山冨佐太君
喜多楢治郎君 栗田 英雄君 小坂善太郎君 小林 運美君 坂口 主税君 櫻内 義雄君 志賀健治郎君 椎熊 三郎君 園田 直君 高橋清治郎君 高橋 禎一君 武田 キヨ君 橘 直治君 圓司 安正君 坪川 信三君 苦米地義三君 中垣 國男君 中村 又一君 長野 長廣君 並木 芳雄君 成島 憲子君 西田 隆男君 西山冨佐太君
昭和二十三年十二月十日(金曜日) 午前十一時十六分開議 出席委員 委員長 圓谷 光衞君 理事 松本 七郎君 理事 伊藤 恭一君 理事 久保 猛夫君 古賀喜太郎君 平澤 長吉君 水谷 昇君 山名 義芳君 受田 新吉君 高津 正道君 田淵 実夫君 松本 淳造君 西山冨佐太君 野本 品吉君
昭和二十三年十二月九日(木曜日) 午後三時三十四分開議 出席委員 委員長 圓谷 光衞君 理事 松本 七郎君 理事 久保 猛夫君 古賀喜太郎君 平澤 長吉君 水谷 昇君 受田 新吉君 高津 正道君 小島 徹三君 西山冨佐太君 野本 品吉君 松原 一彦君 黒岩 重治君 出席國務大臣
昭和二十三年十二月八日(水曜日) 午後二時十一分開議 出席委員 委員長 圓谷 光衞君 理事 松本 七郎君 理事 久保 猛夫君 平澤 長吉君 水谷 昇君 受田 新吉君 高津 正道君 田淵 実夫君 松本 淳造君 小島 徹三君 西山冨佐太君 一松 定吉君 松原 一彦君 黒岩 重治君
北九州書籍株式会社代表者)、廣島市上流同時二、齋藤悦三氏(中国出版株式会社代表者)、熊本市本山町四百九十九、藤井利七氏(南九州書籍株式会社代表者)、これだけの人の請願でありまして、そうしてこの請願は、荊木一久、神山榮一、織田正信、高岡忠弘、黒岩重治、渡邊良夫、清澤俊英、受田新吉、外崎千代吉、猪俣浩三、山崎岩男、竹谷源太郎、稻村順三、田淵実夫、中垣國男、淺沼稻次郎、早稲田柳右工門、西村榮一、伊藤恭一、西山冨佐太
昭和二十三年十一月三十日(火曜日) 午前十一時四十分開議 出席委員 委員長 圓谷 光衞君 理事 松本 七郎君 理事 伊藤 恭一君 理事 久保 猛夫君 古賀喜太郎君 水谷 昇君 受田 新吉君 高津 正道君 田淵 実夫君 西山冨佐太君 黒岩 重治君 野老 誠君 織田 正信君 出席政府委員
古江間國営航路開設の請願外四件 (前田郁君紹介)(第一二〇号) 二五 大杉駅、地藏寺村間國営自動車運輸開始の 請願(長野長廣君紹介)(第一二一号) 二六 窪川、宿毛間及び中村、清水間國営自動車 運輸開始の請願(長野長廣君紹介)(第一 二二号) 二七 高知、宇佐間鉄道敷設の請願(長野長廣君 紹介)(第一二三号) 二八 備中高松、稻荷山間鉄道復活に関する請願 (西山冨佐太君紹介
古江間國営航路開設の請願外四件 (前田郁君紹介)(第一二〇号) 二五、大杉駅、地藏寺村間國営自動車運輸開始の 請願(長野長廣君紹介)(第一二一号) 二六、窪川、宿毛間及び中村、清水間國営自動車 運輸開始の請願(長野長廣君紹介)(第一 二二号) 二七、高知、宇佐間鉄道敷設の請願(長野長廣君 紹介)(第一二三号) 二八、備中高松、稻荷山間鉄道復活に関する請願 (西山冨佐太君紹介
昭和二十三年十一月二十五日(木曜日) 午前十一時十一分開議 出席委員 委員長 圓谷 光衞君 理事 松本 七郎君 理事 伊藤 恭一君 理事 久保 猛夫君 古賀喜太郎君 水谷 昇君 受田 新吉君 高津 正道君 田淵 実夫君 西山冨佐太君 一松 定吉君 黒岩 重治君 織田 正信君 出席政府委員
昭和二十三年十一月十九日(金曜日) 午後一時三十二分開議 出席委員 委員長 圓谷 光衞君 理事 松本 七郎君 古賀喜太郎君 水谷 昇君 山名 義芳君 受田 新吉君 高津 正道君 田淵 実夫君 松本 淳造君 後藤 悦治君 西山冨佐太君 黒岩 重治君 織田 正信君 出席國務大臣
昭和二十三年十一月十八日(木曜日) 午前十時四十五分開議 出席委員 委員長 圓谷 光衞君 理事 松本 七郎君 理事 伊藤 恭一君 理事 久保 猛夫君 古賀喜太郎君 渡邊 良夫君 高津 正道君 田淵 実夫君 小島 徹三君 後藤 悦治君 西山冨佐太君 一松 定吉君 黒岩 重治君 松原 一彦君