聞くところによれば、瓦建設大臣は、去る十四日、長崎県建設業協会佐世保支部で、政権は自民党にある、自民党と直結した知事や衆議院議員が当選するところでなければ、皆さんの仕事はうまくいかないという趣旨のことを発言したと言われます。もしこれが事実だとすれば、これは地位を利用した利益誘導であり、建設大臣は責任をとるべきであります。建設大臣の所見を伺います。
課長が今大変こだわっていました灯火の点なんですけれども、十一月十一日、海上保安庁はこの事件について、藤原船長と艦長専用艇のメイソン・ウエスリー・ジョン三等兵曹の二人を見張り不十分により業務上過失往来妨害で長崎地方検察庁佐世保支部に送致しました。 私は現地にも行ってみましたけれども、藤丸は灯火していたという証言はありましたけれども、米軍は無灯火であった、こういう証言があるわけです。
それで、平成元年(ワ)第九九号、損害賠償請求事件として長崎裁判所佐世保支部に提出をされました事件について、総務庁長官も、官房長官もこのことは御存じでございましょうか。
○下村泰君 私は、三月の二十五日付の各紙に出ておりましたが、いわゆる石炭産業というのが大変華やかな脚光を浴びた時代がありました当時にこの作業に従事していた方々の、労働の条件の非常に悪い中で働いたために、じん肺というものに侵された方々の訴訟問題が長崎地裁の佐世保支部で判決が出たというニュースがあります。
というのは、過般、昭和五十五年五月三十日に長崎地方裁判所佐世保支部におけるイルカの捕獲に関係する裁判の判決の中に、判事がこういうことを言っているのです。
最後に、時間がありませんから、先ほど原子力船の問題でいろいろまだ理解のできないものがありますけれども、当面「むつ」の母港の問題で、特に佐世保の方でいろいろと、宇野長官が向こうへ行って話をしてきたことだとか、あるいは根本委員長が、関係の自民党の委員長さんがいろいろ行ってきたということの中に、私たちにとって非常に解せないことがあるのですが、この自民党の佐世保支部から政府に三億円の「むつ」対策福祉基金の要求
○八木委員 大臣御就任後まだ期間も少ないのですけれども、たとえば私はこういう佐世保港の平面図を持ってきたのですが、これは海上保安協会佐世保支部の製作で、佐世保海上保安部の監修になる図面ですけれども、こういった図面をごらんになったことがございましょうか。
ところがその際に佐世保支部の支部長検事、この名前はあなた方の方で御存じでございましょう、基地司令官バンクリーブ少佐とこの検事との話がありまして、そのときにあなたの言われたような抗議をしたわけですね。バンクリーブ司令官にこちらの支部長検事が会ったときに抗議をされたらしい。それで、全く自分の一存の手落ちである、こういうことを言っているわけです。
二時二十五分に全駐労佐世保支部の佐々木副委員長が現実に労管におって、目の前で受けておるのですから、これは間違いありません。ここにもまた誤差がございます。ほんとうに誠意のある態度だろうかと私たちが思わざるを得ないのです。そうして開き直ったようなことを言っております。
内容は「ラング二等兵は昨年九月四日昼ごろ、酒を飲んで同僚のジョージ・Y・ヘイト二等兵、フランク・W・ウラデ二等兵と佐世保市の鹿子前水族館から陳列中のベッコウ二万円を盗み、相浦署の取り調べを受け地検佐世保支部に書類送致されたこともあり、また同市松浦町で日本人のバーの客引きをなぐるなど乱暴な行為も過去にあるので、いたずら半分に中尾さんに向けてピストルを撃ったことも考えられる。」
三、長崎地裁所長から、当管内は離島が多く、支部庁舎もほとんど明治十六年から二十年の間に建てられた老朽建物であり、中でも福江支部はシロアリの被害がはなはだしく、また佐世保支部庁舎は戦災復旧のバラック建仮庁舎で腐朽がひどく、かつ事件が多く、狭隘のため事件処理に支障を来たしておる現状であるので、早急に両庁舎の改築を考慮されたいとの要望がありました。
興亞石油は臨時作業として、有煙豆炭を製造することとなり、原料炭として特殊炭の割当を希望したが、思うように入荷できず、二十三年第三・四半期に、公団から九州の崎戸、大島、松島、大瀬の海中沈澱微粉を勧められたので、中級粉炭または中級塊炭六、海中沈澱微粉四の割合で配炭することを條件に、四百トンを引受けたところ、佐世保支部から千トン送りつけられた。
佐世保地方裁判所下部における懇談会には、長崎の地方裁判所長、現在家庭裁判所所長石井壽氏、佐世保支部上席判事小田村元彦氏、山田長崎地検次席検事、佐世保地検支部大坂盛夫氏、佐世保警察署次長、佐世保市助役長崎弁護士会長吉村氏、佐世保弁護士津川他一名の両氏、臨海寮の少年院長の大栗道船氏といつたような人が出席いたしまして、令状の問題、権利保釈の問題、裁量保釈の問題、上訴に関する件等を討議したしました。
○門屋證人 私は昭和二十一年二月選挙の折には、社会党の政策を打立てていかなければならぬというので、佐世保支部の顧問を引受けまして、関谷紋藏というのに相当金の方も体の方も應援して闘つたのですが、強敵北村さんが出たため負けた。それからなぜ私が今民主党から……。
二回目は二十三年五月十四日より同十五日までの間、同会社構内において、長崎地方檢察廳佐世保支部檢察官事務取扱檢事免出礦が、事務官三名を帶同し、資材課長井上正清その他の立会のもとに捜索を遂げたのでありますが、捜索の場所は利材係作業場内地下室、機械工場横の井戸、営繕作業場兼作業倉庫横の水槽、防火用水溜、この表の中にいろはで場所を示しております。捜索は利材係作業場内地下室から開始した。