2015-03-26 第189回国会 参議院 法務委員会 第3号
また、麻原が確立した修行体系、これを継続しておりまして、麻原の修行を特徴付けておりましたイニシエーションと同種の儀式を取り入れている、あるいは、麻原の創設した位階制度、その根本部分を維持しているといったような事情が認められます。それと、先ほど申しましたように、信者等は今でも麻原に対する敬信というものを現実に吐露しているというようなところもございます。
また、麻原が確立した修行体系、これを継続しておりまして、麻原の修行を特徴付けておりましたイニシエーションと同種の儀式を取り入れている、あるいは、麻原の創設した位階制度、その根本部分を維持しているといったような事情が認められます。それと、先ほど申しましたように、信者等は今でも麻原に対する敬信というものを現実に吐露しているというようなところもございます。
表面的に四民平等と唱えておっても、華族、士族あり、位階制度のある世の中では、部落民に対する身分的差別は依然として実質的に何ら変わりなく続いたのであります。一方貧乏はさらに激しくなりました。
表面的に四民平等と唱えても華族、士族あり位階制度のある世の中では部落民に対す身分的差別は依然として実質的に何ら変わりなく続いたのであります。一方貧乏はさらに激しくなりました。自由になって農・工・商に携わる人はどんどんと発展する。
位階制度というものは、憲法には、栄典には特権を伴わないという、非常にりっぱなことが規定してありますが、どうも位階というものと特権というものは結びがちになる、それはそういう考えがなくても自然と結びがちになるという考えでありまして、位階というものはない方がいいだろうと思います。
華族制度があり、それから位階制度が残っておりました。そしてまだ士族という名前が残っております。あくまでも前にさむらいであった人はとうといとされていたために、その余波を受けて前にいやしい階級とされていた人はあくまでもいやしいものだということが、明治時代から大正時代を通じてずっと残っていたわけです。身分制度は表面上消えた格好だが、実質上は残っていた。
先ほどから伺つておりますと、大変位階制度というものは非常な不評判でありまして、これは絶対的にやめてくれというような御意見が出ておりますが、私の意見は位階制度は絶対的に存続すべしという意見であります。栄典というものは栄典をもらつた人が喜ぶものでなければならん、こう思います。又日本の栄典というものは日本の日本らしい栄典、日本特有の伝統を示した栄典でなくてはならんというふうに私は考えるのであります。
何か昔の制度、それも宮中関係というものは昔のままでありますれば意味があると思いますが、その点が根本的にかわつているのでありますから、今位階制度というものを設けることについては、こういう必要がないようでもあるし、設けてもはたして有用な制度として国民が受入れるかどうかという点について疑問を持つ次第であります。従つてその存置は必要はないではないかというのが私の率直な意見でございます。
次に第六番目になりますが、位階制度は、ある行為、仕事に対する栄典でなく、いわゆる人の上に人をつくろうとする思想に基く制度であるといたしまして反対する人が多いのであります。積極的に反対しないまでも特権を伴わないといたしますれば、何ゆえかかる制度が必要になるのか理解する人が非常に少いのでございます。
今度の栄典法案の内容を見まして私一番ふしぎにたえないのは、位階制度であります。正一位以下十六位までにわかれた位階制度、これは確かに宮中の制度とともに発達し、あるいはまた宮中席次によつて設けられたものだろうと思いまするが、今日の新憲法のもと、あるいは今日の情勢からして、位階制度などというものは設けない方がよろしいと思います。
そこで私どもが最も不可解に考えるのは、前の公述人の方々もみな申されておりましたけれども、この位階制度の復活、位階制度についてはいろいろ議論がございましようが、私はこれは勲章制度とは別個のものである、勲章制度はその人の功績その他に対する国家の表彰方法でありましようが、位階制度というものはそれも含めておりましようけれども、どちらかというと身分制度になつて来るのであります。