2021-10-11 第205回国会 衆議院 本会議 第3号
もちろん、私の政治の父でもある伯父の田村元元衆議院議長には筆舌に尽くしがたい想いがございます。幼少期から田村元の身近で育ち、大局的な国家観を持ちながらも、地元の皆様のお声を傾聴する姿勢等、様々なことを学びました。 私が国政を目指すこととなりましたのは、バブル経済崩壊後、地元青年会議所の活動に携わり、当時の国政に閉塞感を感じていた頃でした。
もちろん、私の政治の父でもある伯父の田村元元衆議院議長には筆舌に尽くしがたい想いがございます。幼少期から田村元の身近で育ち、大局的な国家観を持ちながらも、地元の皆様のお声を傾聴する姿勢等、様々なことを学びました。 私が国政を目指すこととなりましたのは、バブル経済崩壊後、地元青年会議所の活動に携わり、当時の国政に閉塞感を感じていた頃でした。
これ概要図、世界の地図が書いてあるんですが、未収容が一番多いのはフィリピンで約三十七万柱ということで、私の大伯父もフィリピンのルソンで戦死をして、いまだ遺骨は戻ってきておりません。先日、厚労省で記録を取り寄せたところ、ルソン島のインファンタというところで戦死という記録がありました。つまり、インファンタのどこかに伯父の遺骨があるということになります。
ちょっと短く答えていただきたいんですが、そのほか、例えば書籍とか手記とか、私今回かなりのものを読んだんですが、やはり、その当時生きていらっしゃった方の手記とかかなり詳細に書いてあって、私も伯父が、まさか自分の伯父がこうした本の名前に出てくるとは思ってもなかったんで、あっ、この辺りで、この時期でみたいなことが結構分かったりとかしてびっくりしたんですよね。
私も、同族の学校法人を伯父から父親が引き継いで、父から私が引き継いだというのを経験してきておりますけど、それはやっぱり兄弟間の問題、親族との問題とか、先代との経営方針の違いとか、あるいは先代の部下との関係とか、あるいは銀行に対する信用力の問題とかいろんな生々しい問題があるわけでありまして。
宮沢大臣は伯父上や父上から政治家として厳しく指導されたはずでありますが、大臣として本当に大丈夫な方なのか、そうなんだろうかと世間も私もその疑念なしとは言えない状況であります。 そこで、まず宮沢大臣にお尋ねいたします。 経済産業大臣が二代続けて政治資金の問題で国政を停滞させているというこの異常な事態について、責任者として、また行政の長としてどのように受け止めておられますか、お伺いをいたします。
○国務大臣(宮沢洋一君) 私なりに父や伯父から、政治資金についてはしっかりということをもう小さいときから言われてきておりまして、その結果今回のような問題でお騒がせしているということは、国民の皆さんに対して本当に深くおわびを申し上げなければいけないと思っております。
○国務大臣(宮沢洋一君) 直嶋議員のおっしゃるとおり、私も父や伯父からその点については大変厳しく指導されてまいりました。そういう観点からしますと、私の政治資金に関する問題につきましてお騒がせすることになりまして、本当に国民の皆様に深くおわびを申し上げたいと思っております。
祖父、父も地元の遺族会長を長く務めたところでありますけれども、祖父、祖母からも、特攻隊で亡くなった伯父、父の兄でございますけれども、よく話を聞いたものであります。国を守る大切さ、あるいは親としての悲しさを聞きました。私も静かに一人で靖国神社には参拝をさせていただいております。ところが、昨年十二月二十六日の安倍総理の靖国神社参拝が国内外で波紋を呼んでおります。
父信二郎、伯父孝太郎が私の大学入学前後に早世したため、二人の遺志を継ぐべく、財政、国防、外交、教育を中心に政治活動を行ってきました。 大蔵政務次官を皮切りに、自民党財政部会長、衆議院大蔵常任委員長、初代財務副大臣を歴任してきました。大蔵委員長の時はバブル崩壊後の金融危機で、日本発の世界金融恐慌を起こさないという固い決意の下、六十数本の法案を処理しました。
中心的に取り組んでこられた伯父さんに当たられる文雄さんですか、この方も昨年に亡くなられて、是非政府に万全の保護を、お子さんなどの保護をお願いをしたいという遺言を残されたとお聞きをするところでありますが、この問題について今どのように検討作業をしておられるのか、大臣にお尋ねをしたいと思います。
大臣に申し上げておきたいんですけれども、保育の質は今日、時間の関係上質問できませんけれども、一遍、横峯さくらというゴルファーがおりますが、その伯父さんが鹿児島県で通山保育園というのをやっています。
まあ私事で恐縮でありますが、私の伯父もサイパン島で戦死をいたしております。
ただ、一般の例えば、先ほど来度々申し上げて恐縮でございますけれども、ちょっと伯父さんにこの間の財産の管理をしていただきたいというような民事のごく小規模の信託というものも含めてトータルに考えた場合に、やはりここはそれほど重大な刑罰というのは無理ではないかなというように考えているわけでございます。
昨年九月二十三日、保護者というのは、これから保護者と言いますが、これは大伯父さんのことであります。母親はもうその後ほとんど世間に顔を出さなくなってきております、ショックで。九月二十三日、学校へ行ったら、校長先生が、当時仲間の児童が作った、仲間の児童とPTAが作った折りづるをその伯父さんに、大伯父さんに渡したそうです。そうしたら、大伯父さん怒って、こんなものは要らないと。
私自身、鴻池大臣と同じ兵庫県の選出でございまして、私自身の伯父も亡くなりましたし、私の実家も半壊をしたというような経験もございます。また、先般二月十九日に本災害対策特別委員会兵庫県視察ということがございましたが、私も同行させていただきまして、現地の御意見等々も賜ってきたところでございます。そのことを踏まえて今日は御質問をさせていただきたいと思うわけでございます。
やがて伯父が他の女性と家から逃げたという手紙が私ども日本に届き、その後、手紙の内容がこちらから送った手紙の内容とそごを来すようになり、そして音信が途絶えました。私は、伯母は既に死んでいるのだろうと父から聞かされてきました。 私は、このたびの北朝鮮の拉致を認める発表を受けて、伯母は死んだのではなく殺されたのではないかという疑念に駆られて仕方がありません。
これは三重野委員もたしかお尋ねだったと思いますが、お父さんお母さん、それからおじさんおばさん、まあ伯父、叔父、伯母、叔母とか、おじさんおばさんもいろいろあると思うんですが。
御尊父は、戦中戦後を通じて衆議院議員、参議院議員として御活躍になり、また、伯父の佐藤與一氏も、昭和の初期に衆議院議員として務められ たのであります。このような家庭環境のもとで少年時代を先生は過ごされました。一先生は、旧制新潟中学に入学されましたが、折しも第二次大戦中でございました。愛国の信もたしかたく、昭和十八年、甲種予科練に入隊し、厳しい訓練を受けられたのであります。
自衛官の給与が悪いことは警察官も聞いて驚くほどで、長崎県佐世保に転勤になった海上自衛隊の三佐が、長崎県警の警部補をしている伯父の家を夫婦で訪問。談たまたま月給の話になったが、この伯父さんは「そんなに働いて給料がその程度であるわけはない」と三佐の話を信ぜず、夫人に「こいつは手当ての分をどこかに隠している」と言い張って三佐を閉口させたというエピソードもある。 こういうふうなことを言っております。
幼少のころ、不幸にも父親に早逝されたため、君は、戦前の政界において三たび農林大臣を務め、政友会の重鎮として活躍された、伯父山崎達之輔氏のもとで養育されたのであります。 長じて、旧制佐賀高等学校に学び、九州帝国大学農学部に進まれました君は、昭和十四年に卒業されるや、直ちに農林省に入り、行政官としての第一歩を踏み出されました。
この間も、 エピソードでありますが、モスクワ芸術座の「ワーニャ伯父さん」を上演しておりましたから、私は、ひとつ参考のために見ておこう、やはりいろいろなことを見聞しておいて、外相会談のときには、難しい話もあろうけれども、コーヒーブレイクのときなんかはそういう話をすることがお互いの親善を深めるためだと思って行きましたところが、そのことを仄聞した大使が早速走ってきて、そして、私の席の隣に一緒にいていろいろと
「足利銀行(本店・宇都宮市)が、身元保証をタテに早々と、この女子行員の父親から土地、家屋を担保として出させ、伯父からは損害賠償に応ずるとの念書を取っていた」、身元保証をしておった。それで銀行側は返せと言う。
時に、この法律において保護する秘密については、前に申し述べました両協定によつて供与された装備伯父は情報等のうち特定事項に限り、而も公になつていないものと規定して、その範囲をできる限り明確ならしめるよう考慮いたしました。 第二条は、更に、国民が秘密事項を具体的に認識し得るよう、又併せて秘密の漏せつを防止するため、政令で定めるところにより、標記その他の措置を講することといたしました。