2018-05-24 第196回国会 衆議院 災害対策特別委員会 第7号
特に、私どもの地元、大臣も同じであります神奈川県、黒岩知事と政令市長会の林会長の間でもさまざまな議論がされておりますが、あかま副大臣も私の県会議員時代の先輩でもありますけれども、大臣、副大臣におかれては政令指定都市の選出であるわけでありまして、双方の意見にしっかり耳を傾けながら合意形成を図っていただきたいと思いますが、それぞれの意見に対してどう捉えていらっしゃるか、お二方にお聞きしたいと思います。
特に、私どもの地元、大臣も同じであります神奈川県、黒岩知事と政令市長会の林会長の間でもさまざまな議論がされておりますが、あかま副大臣も私の県会議員時代の先輩でもありますけれども、大臣、副大臣におかれては政令指定都市の選出であるわけでありまして、双方の意見にしっかり耳を傾けながら合意形成を図っていただきたいと思いますが、それぞれの意見に対してどう捉えていらっしゃるか、お二方にお聞きしたいと思います。
東京都の小池都知事や、そして、私の県会議員時代の同期であった川崎の福田市長などもこのパラリンピックに非常に関心を高く持っておりますし、パラ議連にも私は入って、野田聖子会長を先頭に、パラリンピックを盛り上げていこうという機運も高めてまいりたいと思うんですが、平成二十八年の日本パラリンピアンズ協会の調査では、二割の選手が一般体育館で利用を断られた経験があるというお話もあったりとかしているわけでありまして
○国務大臣(吉野正芳君) 増子議員には県会議員時代からの先輩として御指導賜っておること、本当に御礼を申し上げたいと思います。 さて、東日本大震災からの復興は安倍内閣の最重要課題でございます。省庁の縦割りを排し、現場主義を徹底することにより、被災地出身の大臣として、被災者の最後の一人まで責任を持って対応するという気概を持って、被災者の心に寄り添いながら、復興を更に加速していきたいと思っております。
○吉野国務大臣 小熊先生とは県会議員時代からの本当に長いおつき合いをして、特にまた福島選出ということで、復興に全力を尽くしていることに敬意を表したいと思います。 私も、特に私の選挙区が双葉郡といわき市でございます。原発事故、原発災害、これをもろにかぶっている地域の選出の国会議員です。
当初、計画ではこれを五本建てる予定だったんですけれども、高さ四十メートルとか五十メートルの煙突をこの四・四キロの区間に五本も建てると淀川の景観が壊れてしまうじゃないかということで、私もこれは大阪市会議員時代からずっと取り上げてきているんですけれども、その後、計画も変更されまして、一応二本にしようということになっているのと、四・四キロ区間のうち三百メートルほど開口部分がありまして、そこがあいているんやったら
私も、神奈川県会議員時代ですが、二〇〇七年、神奈川県に水源環境税という新たな税を県民の皆様にお願いいたしまして、一人当たり一律三百円の均等割と、所得に応じて〇・〇二五%課税する所得割を県民税にそれぞれ上乗せした税収であります。既に三十七府県で行っていますが、我が神奈川県は、三十九億円という全国最大の税収を誇る取り組みを行っております。
ありがとうございますというのは、今の、場を設けるということじゃなくて、やはり大先輩でありまして、私も横浜市会議員時代から尊敬しております。 そういったことも含めてでありますけれども、我々維新の会、維新の党としてはこれまで、住民の声を吸い上げるということであればこれはやはり本当に大きな話だと思います。
まず最初に、岸田外務大臣にお尋ねでございますが、私は熊本県会議員時代から、特に水俣病対策特別委員会のメンバーとして水俣病問題には取り組んでまいりました。 昭和三十一年、高度成長前のまだ貧しかった日本が国全体で経済的豊かさを求めていく中で、公害の原点と言われている水俣病が公式確認されました。
そのときに、我々は、関改革という、その当時の関市長のもとにいろいろ大きな改革をしてきまして、市職員や、民間でできることも官が行うなどの無駄を私は大阪市会議員時代に、先ほど言いましたように、闇専従とかながらというものを大きく、マスコミの協力をいただきまして明らかにしていきました。
そして、私の県会議員時代に、知事はこんなことをおっしゃいました。日本の原子力政策を俺が変えていくんだ、そういうことで原子力政策に取り組んでいったわけですけれども、私も、保安院の分離独立を言って、悪いところに気づいていました。知事も気づいていたんです。でも、今度の事故を惹起して、佐藤参考人としての思い、どういう思いでこの事故を見ているか、お尋ねしたいと思います。
小さい湖に行ったとき、私は国会議員時代に若手の議員の方と緑陽日本構想というのをつくって、十兆円のアメリカに行っていた金を、日本でリゾート法というのをつくって、フランス並みに、一つ福島県ならリゾート法でどうするということで方針を出して、知事になった途端に、十兆円のお金、東京で一坪売ると一山買えるんですから、福島県はめちゃくちゃになると思って、景観条例というのやら水質条例で福島県を、きょうお見えの県会議員時代
あそこの装備も、私、県会議員時代に装甲車みたいなものを見ましたけれども、ではそれを今すぐ動かせるのかといったらそんな態勢ではなかったですし、そういう意味では、国民のための法案できちっと秘密を守っていきますと言いながら、実態はその一部だけで、本当に安全というのが担保されていないというところが私は問題だなというふうに思っているんですね。
しかしこれ、私も京都市会議員時代に、いわゆる基本計画、地方にとって最も重要な基本計画を議決事項にしようと、こういったときに、なかなか理事者との抵抗がありました。しかし、これはやることができました。
私も茨城の県会議員時代を振り返りますと、人口がふえて、まさにドーナツ化ということで、ドーナツ型の発展型の時代があったわけですが、現代は、コンパクトシティーあるいはスマートシティー、こういうふうに太田大臣もおっしゃっております。道路を中心として考えるというのもおかしな話かもしれませんが、道路から見れば、時代とともに随分世の中が変わってきた、こういう見方もあるだろうと思うんです。
当時私も、先ほど申し上げたように大阪市会議員時代にその姿を見て、すごいな、大阪弁で言う、えらいごっついことやるなあというふうに思っておりました。ただ、いろいろな名ぜりふもあったかと思いますけれども、今回の選挙も踏まえて、経験して、改めて思ったのは、やはり二番ではだめだ、勝たないと、一番にならないといけないということを改めて私は実感したところであります。
○中野大臣政務官 委員におかれましては、先ほど来お話しありますけれども、県会議員時代からこの世界遺産につきましてはライフワークということで取り組んでおられて、地元の紀伊山地におきましての世界遺産の登録についても非常に大きな御尽力をされたというふうに伺っておりまして、私たち外務省としましても、敬意を表させていただく次第でございます。
○小熊慎司君 私も県会議員時代は原発推進、容認をしてきました。そうした事故を踏まえても、してきてしまった反省があります。維持しようとするとどうしてもこれは止まらない、拡大するという懸念も持っています。しっかりと、日本の今回の経験が、これがまさに全世界的な脱原発につながっていくように力強く進めていくことをお願い申し上げて、次の質問に移ります。
そのときに、斎藤先生、これからはやっぱり政策中心の政治じゃなきゃ駄目なんだということを爽やかに発言されていたのを思い出しておりますし、また県内の新聞では、当時二十七歳の県会議員時代に伊東正義先生にお手紙を出されたのがこれまで県内の新聞では紹介をされていましたけれども、日本全体の国益は外交手段によって生まれるということを弱冠二十七歳の青年が伊東正義先生に提言をされていた。
そういう中で、本論に戻させていただきますが、知事が、私が県会議員時代やはりすばらしいなと思ったのは、平成十八年六月の議会の中で大臣がこういうことをおっしゃられております。地方というのは自分の判断で借金ができない、これは、世の中で自分の判断で借金ができない存在というのは、今は成年後見制度の下にある人なのですと。一昔前は禁治産者、準禁治産者と言いました、そういう人なのですと。
○国務大臣(大畠章宏君) この問題は、八ツ場ダムに限らずほかのダム等々とも連系しているわけでありまして、そういう観点から、例えば私も県会議員時代にどこを道路が通るんだろうかと、こういうことに非常に関心を持つ方々もおられるのも事実であります。
○小熊慎司君 この震災前は原子力開発商戦などといって、国際競争取り組んでいくべきだというような、こういう風潮があったわけでもありますけれども、やっぱりこの震災、そして原発事故後は大きく世の中の雰囲気も風潮も変わったというふうに思っておりますし、私も福島県会議員時代は、これは当時のことを思い出せば、共産党さん以外はすべからく容認か推進をしていた、それで知事が替わってからプルサーマルもゴーサインを出したという