2008-04-22 第169回国会 衆議院 決算行政監視委員会第二分科会 第2号
そこで、大臣、昨年、太閤堤というのが見つかりまして、これはこの写真を見ていただいたらわかるんですが、すぐ近所に有名な宇治橋がありまして、この川上の方には世界遺産の平等院や、あるいは風景が美しい塔の島もございますし、また、下流の方になりますと、豊臣秀吉の伏見桃山城もございます。そこに、ここの写真にございますような太閤堤というのが見つかったわけでございます。
そこで、大臣、昨年、太閤堤というのが見つかりまして、これはこの写真を見ていただいたらわかるんですが、すぐ近所に有名な宇治橋がありまして、この川上の方には世界遺産の平等院や、あるいは風景が美しい塔の島もございますし、また、下流の方になりますと、豊臣秀吉の伏見桃山城もございます。そこに、ここの写真にございますような太閤堤というのが見つかったわけでございます。
特に、一五九六年に伏見桃山城が崩落をしておりまして、これが明治二年に市村座が「地震加藤」、加藤清正がおっ取り刀で太閤秀吉に蟄居を命ぜられたときなんですが、それが芝居になっております、「地震加藤」。そういう歌舞伎の芝居なんかも私は復活させて、これは文化庁長官にもお願いをしました。 すぐ忘れてしまいます。
そういう意味でこの問題を私どもは大いに今後の戒めとして、初動にいろいろな問題があったということも聞いておりますが、特に戒めにしなきゃいけないのは、ちょうど一五九六年でございますが、これは伏見桃山城が崩落をするという、伏見大地震というのがありました。