2015-06-02 第189回国会 参議院 外交防衛委員会 第18号
実は、今日はドローンについて質問をさせてもらいたいと思うんですが、伊賀と甲賀とどっちが上かなと思って伊賀上野に行ってまいりましたけど、何か見当違いだったみたいで、ちょっと恥をかきましたけど。
実は、今日はドローンについて質問をさせてもらいたいと思うんですが、伊賀と甲賀とどっちが上かなと思って伊賀上野に行ってまいりましたけど、何か見当違いだったみたいで、ちょっと恥をかきましたけど。
○中井国務大臣 私は三重県の上野市、伊賀上野というところに住んでおりますが、先祖代々水つき村に住まいをいたしまして、今ようやくこれを何とかということで、遊水池という、日本で一回もつくり得たことのない池を四つつくりまして、ダム建設ということでようやくおさまるかと言っていましたら、今、ダムストップ、こういうことで、本当に頭の痛いところへ来ています。 子供のころからたびたび水がつかりました。
また、もう一度、もっと振り返りますと、安政伊賀上野地震、これ私の郷里が震源地でございます、これは一八五四年。安政東海地震、一八五四年、同年の十二月でございます。そして、安政南海地震、同年の同じく十二月。こういう形で、年内に三回連発をした大きな地震があったという記録もあるわけでございます。
それは、安政元年、伊賀上野大地震というのがございました。阪神・淡路大震災の震源地と全く同じでありますが、東の外れ、そこで大変な震災が起こって大きな被害を出した、この地域であります。それだけに、地震等についての予知に私も党派を超えた関心を持ち、また、防災、減災、こんな担当にしていただいたということを契機に、さらに貢献ができるように頑張っていきたい、こう考えています。
○中井国務大臣 私は、選挙区が三重県の伊賀上野というところで、先生のところよりまだ山また山の地域でありまして、いろいろな意味でお話は痛切にわかります。 また、三重県の海岸線は、昭和二十八年に、伊勢湾台風の前に壊滅をいたしました。このときに、当時の建設大臣が二カ月名古屋へ座りっ放しで徹底的に護岸工事をやっていただいたという話は、ひとしくみんな覚えているわけでございます。
○中井国務大臣 橘議員、大伴家持を引き合いに出されましたが、私は、郷里は三重県伊賀上野、松尾芭蕉のふるさとでございます。私ども、小さいころから俳句になれ親しんでここまで来ました。お互い、地域地域は、本当に安心、安全で生活できるように頑張っていきたい、こんなことで、また御支援のほどもよろしくお願いを申し上げます。
南山城村は、田村副大臣の御地元とは少し違いますが、同じ三重県にある伊賀上野と隣接する非常に山深い地域でもあります。そこに交付決定をしていただいたということで、地元住民が大変喜んでおります。 今後、ブロードバンドの全国的な整備促進に向けて、総務省としてどのように取り組まれるのか、ぜひ田村副大臣よりその意気込みを伺いたいと思います。
そして、現在、アナログ放送の話で申し上げますと、現段階では確かに伊賀上野、それから名張市におけるケーブルテレビ業者がアナログ放送については再送信同意を取っているというのが実態でございます。
御指摘のJR関西線の加茂と伊賀上野間でございます。先生御指摘のとおり、残念ながら、利用者が減少傾向にございます。そういう中で、加茂—亀山間の全体の保守点検を効率的に行うために、週休二日制によって学校が休みであります、なおかつ利用者が少ない第四土曜日、この日中の時間帯、先生御指摘のように、五本列車が運休をしてございます。その間、実は集中的に保守作業をやっているわけでございます。
○扇国務大臣 今お話しになりました区間でございますけれども、加茂と伊賀上野、この区間のみならず、全国に過疎と言われるところで、地方自治体に、私たちはJR等々を民営化いたしますときに、民営化すればするほど過疎を切り捨てるのではないか、採算のとれないところは切っていくんじゃないか、そういうことを大変心配いたしました。
特に、局長さんも御承知のとおり、運輸大臣の地元でございます伊賀上野、私の郡とはもう隣り合わせでございます。そして今、首都圏機能移転の問題で運輸大臣も一生懸命になっておられますし、ことしの十一月に決定なされるようでありますが、私も微力ながら今一生懸命努力をさせていただいております。そうした中で、びわこ空港と中部国際空港との連携をとりながら考えなければならないんです。
それから、同時に、幾つか注文をいたしますが、例えば、私は伊賀上野というところにおります。ここから百キロぐらいで関空へたどり着きます。私の家から関空まで、信号が三つしかありません。その間、料金所を五回通らなきゃなりません。五回お金を払うのです。プリペイドカードが通用するところと通用しないところがあります。何でこんなに要るのですか。高速道路が込むのは、料金所があるからです。
特に、今滋賀県は琵琶湖空港を何とか実現しようということで、三重県や伊賀上野や亀山、あるいは岐阜県等との道路網の整備ということでやらせていただいておるのですが、そうしたときに、御承知かと思いますが、国道一号の滋賀県の土山町、ちょうど琵琶湖空港との取りつけ道路になるところなんですが、それと現在のインターチェンジ・栗東のインターチェンジですね、ここの間を地裁高規格道路に何とか指定していただけないだろうかという
善光寺地震が一八四七年ですが、それから安政の伊賀上野地震、それから明治の濃尾地震、それ以来十ありますけれども、そのうちの半分が、その活断層のそばに住んでおられる方々が地震計がろくにたい時代でもその一週間前あるいは二、三週間前からおかしいおかしいと言って、例えば明治二十九年の陸羽地震では、秋田県、岩手県の間ではもうみんながおかしいおかしいと言って、村長さんが村に大地震の前ぶれかもしれないから注意したさいという
浜田地震とか伊賀上野地震とかいうような地震は、これはマグニチュードその地震ですけれども、非常に顕著な前兆現象がありましたから、そういう場合は今でもできます。ただし、そういう地震の数はまだ少ないのでございます。
○中井国務大臣 私は三重県の伊賀上野というところでございまして、私の町も大変サッカー熱の高いところでございまして、私ども小学校のころも、サッカーをやるか野球をやるか、こういう時代を過ごして、マラドーナ選手の問題の判断のときに一瞬頭をよぎったこともございますが、先ほどからお答え申し上げました件と同時に、麻薬撲滅ということも日本の大きな目的の一つだ、こういうことを考えて決断をいたしたわけでございます。
民営化以降どうなったかというお尋ねでございますが、昭和六十年四月に民営化が始まったわけですが、その当時の料金は、遠距離、三百二十キロ以遠、ですから東京から例えば西に行きますと伊賀上野、東へ行きますと一関、このあたりが一番遠い料金ということになっておりますが、当時これが四百円でございました。その後、六十三年二月にNTTはこれを一〇%下げまして三百六十円になった。
私の住んでおります伊賀上野というのは、きのうも大変な災害に遭ったわけでありますが、ここは三重県で、行政区からいけば東海という形になり、しかし私の郷里はもう完全に大阪経済であります。言葉も水も大阪、こういう不便さはあろうかと思います。しかし、政党というものよりもブロックの方がはるかに国民になじみがある。もちろんその基準は違いますよ。政党を選ぶのとは別にブロックで選ぶわけであります。
問題点はほとんど他の委員の皆さんから出られたものでありますから、一つだけお話をお聞かせいただきたいわけでありますが、実は個人事で恐縮なんですが、私どもの郷里は伊賀上野というところでございまして、帯締めを伝統産業としてやっておりまして、同じような問題で長年にわたって大変苦しんでまいりました。
○升本政府委員 おただしの上野都市計画道路、伊賀上野駅−八幡町線につきましては、現在その南側の一部について御承知のように都市計画事業として施行いたしております。その完成が大体五十五年度には概成するという目途で仕事を進めさせていただいております。
○中井分科員 それでは、先ほどの国道三百六十八号の上野側の起点からもう少し北へ真っすぐ行きますと、国鉄伊賀上野駅に突き当たる道になっているわけでございます。二十五号からしばらくは大変大きな同和地区でございます。この地域の道路の改修というのはもうほぼ終わっております。
○小林(幸)政府委員 いま御指摘の路線は上野市の伊賀上野駅八幡町線の区間と思いますが、この五百メートルの区間につきましては街路事業として整備を進めてきておりまして、来年度五十三年度に完成をするという見込みでございます。
たとえて申し上げるならば、これは環境問題には関係ございませんが、私の郷里の伊賀上野市というところは、三重県でありますけれども、全部淀川へ川が流れるわけであります。そして、数百年、とにかく洪水地帯がある。この洪水地帯で洪水を起こさないようにするためには、奈良県との県境でありますが、ひとつ狭くなっているところを開削する以外にないということで大運動いたしたわけであります。