1962-09-14 第41回国会 衆議院 災害対策特別委員会 第6号
次いで、アノウ崎付近の流出溶岩の実態及び降灰による農地、農作物の被害状況を視察いたしまして、伊ケ谷部落付近の地震災害による道路の損壊、地割れ、がけくずれ及び危険に瀕している住居の現場を視察した後、伊豆小学校、伊ケ谷小学校、三宅中学校等の避難施設における食品給与、衛生管理等を視察し、島民の方々にお見舞いと激励を申し上げ、その後、館山市に参りまして、避難学童及び老人、母子の避難施設をたずね、救助活動の実施状況
次いで、アノウ崎付近の流出溶岩の実態及び降灰による農地、農作物の被害状況を視察いたしまして、伊ケ谷部落付近の地震災害による道路の損壊、地割れ、がけくずれ及び危険に瀕している住居の現場を視察した後、伊豆小学校、伊ケ谷小学校、三宅中学校等の避難施設における食品給与、衛生管理等を視察し、島民の方々にお見舞いと激励を申し上げ、その後、館山市に参りまして、避難学童及び老人、母子の避難施設をたずね、救助活動の実施状況
島内に避難された人たちの数でございますが、三十一日現在で一千八百六十名でございました、これは伊豆小学校、三宅中学校、伊ケ谷小学校、坪田公会堂、坪田保育園、阿古小学校の六カ所に分散収容されております。島外避難者は約千七百名でございまして、これは各個に東京都内その他府県に居住する親戚、知人等をたよって自主的に避難された方でございます。
避難者の状況を御説明いたしますが、三宅島では雄山の東側が危険でありますために、神着部落、坪田部落などの住民は、噴火後約一千六百名が、雄山の西側にあたります坪田公会堂、坪田保育園、伊豆小学校、青年団館、不再院等に避難いたしております。今朝現在、避難者は一千三百四十三名でございます。