2007-06-20 第166回国会 衆議院 内閣委員会 第30号
本日は、総合研究開発機構を廃止する法律案ということで、大田大臣、また伊藤理事長、そして大村副大臣にお越しをいただいております。どうぞよろしくお願いをいたします。 早速この法案についてお伺いしたいと思っていたんですけれども、通告はしておりませんけれども、ちょっとこの法律案の審議に入る前に、昨日、いわゆる骨太の方針というものが出された、こういうことであります。閣議決定をされたということであります。
本日は、総合研究開発機構を廃止する法律案ということで、大田大臣、また伊藤理事長、そして大村副大臣にお越しをいただいております。どうぞよろしくお願いをいたします。 早速この法案についてお伺いしたいと思っていたんですけれども、通告はしておりませんけれども、ちょっとこの法律案の審議に入る前に、昨日、いわゆる骨太の方針というものが出された、こういうことであります。閣議決定をされたということであります。
今、NIRAについては、伊藤理事長にお越しいただいて、これからまさに改革も進めていただくということであろうかというように思いますけれども、大臣に最後、今後も民間からしっかり理事長は出していただく、これは財団法人ですから大臣が今後のことについてなかなかお答えにくいかもしれませんけれども、その点について御決意なりがあればお伺いをして、終わりにしたいというように思います。
ここが実は私がずっとNPOという観点から議論してきていることでありまして、先ほど伊藤理事長からも、ブルッキングス研究所やアメリカン・エンタープライズの例を出していただきましたけれども、アメリカの法人格のステータスでいうと、あれは実はノンプロフィットオーガニゼーション、NPOであります。
また情報発信能力も、先ほど来伊藤理事長が力を入れるとおっしゃっておられるように、情報発信力も高まるものと期待しております。それによりまして、シンクタンクの中での認知度も高まり、国際的にも認知度が高まってシンクタンクをネットワークのコアとしての役割も高まっていくものと思っております。
そうすると、ちょっとこれは伊藤理事長にお尋ねしたいんですが、NIRA、NIRAと、こうずっと呼んでいるんですけど、ナショナルインスティチュートなんですね、そのNIRAのNIというのは。名称は変更するおつもりですか。ナショナルインスティチュートというのはやや不適切な表現になりはしないかと思ったりするんですが、この点、ちょっと参考までに。
○白浜一良君 そこで、伊藤理事長に伺いたいわけでございますが、公共政策論議の基礎資料、こういうものを多く提供されてきたわけでございますが、これは当然今後も役割は担いますよというふうに理解してよろしゅうございますか。
先般の、参考人の一人としておいでいただきました全国社会保険協会連合会の伊藤理事長が、経営改革のために給与見直しをすると、そのために労働協約を破棄したというお話をされました。
次の質問でありますけれども、これは社会保険協会連合会の伊藤理事長がおっしゃっていたんですけれども、公益法人の所管の病院で風評被害があるという御指摘がございました。
それから、伊藤理事長のところは社会保険センターだけでありますけれども、聞くところによりますと、私も詳細知らないので後でもし間違っていれば訂正いただきたいと思いますが、健康づくりのできる施設が含まれ出しているというふうに聞いております。それで、これが四十八施設。最後に、社会保険健康事業財団の方ですけれども、正に今直前にお話ありました社会保険健康センターが四十三施設あると。
そういう中で、伊藤理事長が、この前の記者会見等で、あるいはあいさつ等で、非常に今厳しい状況である、当面五百万世帯の普及に全力を挙げるという発言をしていることを私も聞いております。
私はその伊藤理事長が出した声明書をここに持っております。
また、昨年六月、本院の行政監察特別委員会における平野証言によりますと、保全経済会関係で伊藤理事長より献金を受けた内容は、廣川弘禪君に三千万円、大藤唯男君、重光葵君の両君に二千万円、鳩山首相に一千万円と、明らかにこれは速記録に書いてあるのであります。
これは日がはつきりいたしませんが、九月の五日ごろに築地の秀花という待合で、重光、大麻、伊藤理事長の三人で三者会談を開かれたというのでありまするが、そういう事実を伊藤から聞いておるかどうか。 ○平野証人 伊藤から聞きました。
○天野委員 あなたが伊藤理事長のところに初めて行かれて、そうして記事をおとりになつたそのものが「新人物」という雑誌に出ております。この「新人物」の中に記載されております記事によりますと、伊藤は最初から、投資銀行の構想というので、盛んにここで投資銀行のあり方について話をしているのです。
あなたは、伊藤理事長と二十七年の春お知合いになつてから休業後に至るまで、しばしば伊藤と接触されたと思うのであります。伊藤との接触の度合い並びに伊藤との友情というか友達関係はどの程度まで行つておつたか、その点をお伺いしたい。
○天野委員 先般の本委員会における平野証言においては、中村高一委員が、二十七年九月ごろ東京会館の別館で広川弘禅氏が伊藤理事長と会つた、そのとき伊藤は広川氏に、この立法化について自由党の方の工作をしてもらえないかどうかということを頼んだところ、広川氏はそれを引受けたという話があり、また広川氏は駒込の伊藤邸で伊藤から三千万円受取つた。
○三宅証人 私の方で今口で言うので、これはこんがらかるものですから、あなたの方で納得ができないかもしれませんけれども、伊藤に対しては、私の方で株券の肩がわりをするから、減資と同じような方法をすればいいだろうというので、大体が十月の領収書の来るまでには金を一応渡したのでありますけれども、私の方が金繰り上井上君に依頼して、井上君が自分の責任において伊藤理事長には断らずに私の方へ二千万貸してくれたのであります
約一週間調査して帰りまして、その後いろいろ専門家の意見を聞き、これならやれるという自信がついたものでありますから、伊藤理事長に、じやあやらしてください、但し全然別個の会社をつくりたい、それには金がないから投資をしてくれという約束で、承諾を得まして、三月の十六日だつたと思いますが、一千万円投資していただきまして、会社を設立いたしました。
○小柳証人 私の見解では、現在の投資者組合は伊藤理事長の権利義務を引継いでおります。当然この契約は引継がれるものだという見解を持つております。
さいぜんも申しましたように、何しろ特殊の形態の利殖機関でありますので、十分に研究を要するというわけで研究をしておつたわけでありますが、まず昭和二十五年分以前については、伊藤理事長も別に申告納税の実績はございません。
そうして、今申しますような給与であるとかあるいは配当金の問題とかいうようなものは、これは経費になるかならぬか、あるいはその配当金をそれでは伊藤理事長の所得から引いて、あとを伊藤理事長の所得にするかという問題が、やはりそこに正確に性格がはつきりしませんと計算ができないというような状態にあるのであります。この課税方法が違つて来るように思うのであります。
そのときに、伊藤理事長を中心にして、その側近筋から、大蔵省を中心にして必ずこれを立法化、あるいは立法化せないでも、何とか救援の策を講じてくれる、今出資者諸君が、あるいは出資者代表諸君が騒ぐと、せつかく大蔵省がてこ入れをして助けてくれるのもだめになつてしまう、騒いではいけない、こういうようなことで、出資者も騒がずして、事が静々と行われて、あれだけの大きな失敗を繰返しながらも、それほど社会的な波紋を起さないで
それは先般の委員会でも申し上げたのでありますが、昭和二十六年四月二十六日に、私どもの方の係の者と大蔵省の地方部局であります関東財務局の担当の者とが保全経済会に臨んで、伊藤理事長に会つて調査をいたしました。
その際に、その係の者が伊藤理事長に面接をいたしまして、調査をしたいということを申し入れたのに対して、伊藤理事長は、私の方は貸金業をやつておりません、預金行為もいたしておりませんから、大蔵省は検査をする権限はありませんというわけで、これについての十分なる調査をすることに対して拒否的態度に出られたのであります。
その結果、当時中途から伊藤理事長が出て参りまして、検査はできないですよということを積極的に向うから発言したのです。従いまして、重役がどうなつているか、あるいは支所がどこに何箇所あるか、資金量はどの程度かといつたような、ごくあらましのことをそのとき聞いて帰つた程度でありまして、それ以上のことは実は調査ができませんでした。
○河野証人 ただいま申しましたように、私どもの係官を数名派しまして、二十六年の七月ごろであつたと思いますが、いろいろ調査をしたいということを申し入れたのでありますが、これに対しまして、当時伊藤理事長から、貸金業者でないのだからあなた方に検査の権限はありませんといつて拒否的態度に出られまして、一応のことしか話を聞いて参つておりません。
○天野委員 それから、問題をかえまして、伊藤理事長にあなたは相当使われたりいろいろやつておられたわけでありますが、盛んに伊藤理事長は保全のようなものの立法化ということについて自信を持つた発言をしばしばしておつたという証言があるわけでありますが、あなたから見た伊藤の立法化についての熱意なり努力の現われというものはどういう点にあつたか、その点をお話願いたいと思います。
○古屋(貞)委員 その望月さんは、当時伊藤理事長の室長をも兼ねておつて、伊藤理事長に影のごとくつき添われて、終始一緒に仕事をされておつた、こういうようなことは知りませんか。
○神崎証人 伊藤理事長と望月さんがぶつかつたというのは昭和二十七年のことでありまして、伊藤理事長と平野顧問がぶつかつたというのは休業のときのことだと思います。時間的にずれがあるではないかと思います。平野顧問は第二会社案、伊藤理事長は立法化案、こう二つにわかれているというような話を聞いたことはあります。
○田渕委員 何十億というような財産目録を、伊藤理事長からつくれと言われてできるものじやないと私は思う。保全経済会に現存する帳簿から上つて来るのだ、こういうふうに私たちがとるのが社会常識ですが、それでは、ことごとくあなた方は保全経済会にあつた帳簿によらずして伊藤理事長から言うて来るままの財産目録というものをつくつたのでありますか。それをはつきりしていただきたいのです。
○古屋(貞)委員 証人は理事長室長をお勤めになられたので、そのお仕事についてはただいま委員長からお尋ねがございましてお答えがあつたのでございますが、望月京一が、理事長室長を兼ねて経理部長をなされておる当時、非常に伊藤理事長と密接な関係を持つて、保全経済会のお仕事を終始理事長の陰になりひなたになり、二人の方たちが一緒になられてお仕事をやられたこと、活発に活動されていたこと、かような状況については御存じがありましようかどうか
○田渕委員 そうすると、伊藤理事長からの話でそういうふうに思つたわけであつて、要は、伊藤理事長の極端な独裁による、その伊藤君の言葉だけによつて、あなた方が信じて、実際に現存しておる数字の統計を現わすところの帳簿というものを何ら根拠にしなくてやつて来た、——保全経済会の理事長室長を初め、以下職員諸君が非常に帳簿上では現実に損が出て来るけれども、ただ伊藤理事長のやつて行けるのだと言つたことで、あなたはやつて
伝えられるところによりますならば・保全経済会の伊藤理事長のメモが発表いたされますならば、さらに九十数名に上る大小の政客がその中にあげられておるとのことであります。日本殖産金庫の問題に関しましては、その経理乱脈は保全経済会以上であると伝えられ、政治家の名も従つて大きく浮び上つておるのであります。造船疑獄に至りましては、その深さその広さ、今日において予測を許さざるものがあるのであります。
この報告は七項目からなつており、その第一は、伊藤理事長の過去、経歴についてでありまして、これにおきましては、伊藤理事長が、保全経済会を始める直前、すなわち昭和二十三年目新生命保険相互会社の保険勧誘員をしている際、保険に入れば保険金の二割を貸すと偽つて保険の募集をなし、集めた掛金を会社に納入せず、これを横領したという点で、詐欺背任横領事件として告訴を提起せられた事実を述べ保全経済会のいわゆる自転車操業
保全経済会のほうへ私どもの係が参りまして、たしか一昨年であつたと思いますが、伊藤理事長に面会いたしますときに、調べさしてくれということに対して、あなた方は検査はできませんぞ、保全経済会に対しては銀行局は検査はできませんぞということを向うから積極的に申し出たそうであります。差支えない範囲のことは一応は聞いて参つておりますが、そういうことで検査を断わられたということは事実であります。
この問題は、この前伊藤理事長を呼びましたときに、いろいろ質疑応答の中で、私は本人に詐欺だということをはつきり申して攻撃いたしておいたのですが、しかしながら私は大蔵省も一半の責任があると思うのであります。