1988-11-09 第113回国会 衆議院 安全保障特別委員会 第3号
その中で、第二次大戦の末期、一九四五年になってから日本の潜水艦伊号がドイツまで行くという過程で、二回の戦闘場面が出るのです。 一つは、夜間で浮上した潜水艦が航行しているという状態で、相手方の連合軍側の駆逐艦に発見されて追いまくられるというものなのですね。向こうの駆逐艦は釣り舟みたいな十ノットとか七ノットじゃないですよ。全速力で攻撃してくる、迫ってくるわけでしょう。それを回避するのですね。
その中で、第二次大戦の末期、一九四五年になってから日本の潜水艦伊号がドイツまで行くという過程で、二回の戦闘場面が出るのです。 一つは、夜間で浮上した潜水艦が航行しているという状態で、相手方の連合軍側の駆逐艦に発見されて追いまくられるというものなのですね。向こうの駆逐艦は釣り舟みたいな十ノットとか七ノットじゃないですよ。全速力で攻撃してくる、迫ってくるわけでしょう。それを回避するのですね。
また、昭和四十八年九月には地元政府との間の交渉が成立いたしまして、伊号百六十九に限定いたしましてその遺体のみの収容が可能となりまして、その際七十六柱が収容できたものでございます。残余は、いまだに収容できないまま環礁内に眠っておられるという状況でございます。
先生御指摘になりました伊号一六九潜は、これはトラック環礁の中に沈んでおりまして、所在がもうすでに確認されている、深さも四十メートルぐらいなところでございましてダイバーがもぐると潜水艦に到達して遺骨が見える、こういう状態になっております。
○大橋(敏)委員 伊号第四潜水艦につきましては、やはり架空であろうという見方をしているのかどうか、それから伊号一二四潜水艦については三億円という金額まで実は新聞に出ているのですけれども、その金額についても大体報道のとおりであるかどうか、その点をもう一回。
さらに伊号第一六九潜水艦の遺骨七十四柱の収集に乗り出したということも、この記事の中に出ております。さらに伊号第四潜水艦、また伊号第一二四潜水艦が遺骨ごと売り出されているという記事も出ております。オーストラリアの水産業者が伊号第四潜水艦を発見した、また同じオーストラリアのサルベージ業者がポートダーウィン沖の百十キロの地点で伊号第一二四潜水艦を見つけた。
試みに横須賀近海だけを取り上げてみても、潜水艦の伊号三七二、あるいは練習艦の富士、春日、あるいは標的艦の矢風、海四、海四五、これらの船が現在なお沈んでいます。呉軍港及び軍港を中心とした海域、これあたりは、地図を見ればずっと浅いのです。その中に陸奥があり、伊勢が沈んでいる。日向が沈んでいる。空母の天城が沈んでいる。
○久保(亀)政府委員 伊号潜水艦のここに承知いたしておりますのは一七六型でございますが、これは大体安全深度は八十、それから二〇一型これが安全深度は五十、水中速度は一七六型の方は八・九ノットですが二〇一型の方は十八ノットということで、安全深度につきましてはかなり差異があるのしゃないかと思います。
○松田参考人 これにつきましては、どちらにいたしましてもうちの方といたしましてはあげなければならない問題だし、それで一番最初は向うから来ましていろいろ話があって、これはどっちがどう言うたというあれじゃなしに、一応相当技術も持ち、その当時浮揚タンクを持っておったのはあそこぐらいであったわけでありまして、大体人にほれて、それから技術、たとえば伊号三三なんかの上げ方などにつきましてもそういう技術的な面で大体信用
それから、たくさんありますが、一昨年伊号三十三潜水艦の引き揚げ、それから今の駆逐艦「梨」、そのほか三百トン、五百トン、六百トンという小さいものの引き揚げを続行いたしまして、今毎年約三千トンないし四千トンのスクラップを、五十メートル、六十メートルの所から引き揚げをやっております。かようなことでございます。