2008-04-10 第169回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号
なぜなら、昭和十八年後半から昭和十九年にかけての同時期に飛行場建設のため強制接収した土地でも、当時米軍が使用していなかった西原の小那覇飛行場、それから豊見城の与根飛行場、首里の石嶺飛行場、浦添の仲西飛行場、そこは所有権申請を認めたんです、米軍が使っていないから。その今の仲西飛行場は後でキャンプ・キンザーになったわけですが。
なぜなら、昭和十八年後半から昭和十九年にかけての同時期に飛行場建設のため強制接収した土地でも、当時米軍が使用していなかった西原の小那覇飛行場、それから豊見城の与根飛行場、首里の石嶺飛行場、浦添の仲西飛行場、そこは所有権申請を認めたんです、米軍が使っていないから。その今の仲西飛行場は後でキャンプ・キンザーになったわけですが。
例えば、今のキャンプ・キンザー、これは仲西飛行場と言っていました。ここは絶対に売っていないということで、ここは国有地はありません。そして西原飛行場、ここも国有地はありません。豊見城飛行場、ここも国有地はありません。 同じ時期に、昭和十八年から十九年にかけて接収した土地が、全部ばらばらなんですよ。
そして、浦添、今浦添市ですけれども浦添村だった、そこにキャンプ・キンザーというところ、そこには仲西飛行場というのがあったんです。そこも絶対売っていないといって、アメリカ民政府と裁判をして勝ったんです。泣き寝入りした人たちの土地が今の状態になっているわけです。 だから、私は、昭和四十七年五月十五日に国有地として登録されたということは、これはもう絶対に理に合わない話だと思います。
そして皆さんが司法上の手続によって国有地にしたということであれば、浦添市の仲西飛行場の跡、これはどうなっていますか。これは米軍の命令をはねのけて所有権を主張した。あれだけの飛行場がみんなもとの地主に返ったわけです。これと同じ問題なんですよ。 ですから、そういうことがあるので、私はお答えをいただこうとは思いません。