1984-05-08 第101回国会 参議院 建設委員会 第7号
五十年の九月二十九日に、こういう覚書ができて三木首相も仮谷建設大臣もちゃんと知っておると、高く評価すると答えているんだから。それについて宮之原さんが、首相も建設大臣も知っている、このことを、これはまだ室町に半分残るじゃないかというので質問していったんだ。――隣から聞かなきゃわからないような経過を知って、経過をあなた全く知らない。だから、どうですか、とにかく取り消しますか。
五十年の九月二十九日に、こういう覚書ができて三木首相も仮谷建設大臣もちゃんと知っておると、高く評価すると答えているんだから。それについて宮之原さんが、首相も建設大臣も知っている、このことを、これはまだ室町に半分残るじゃないかというので質問していったんだ。――隣から聞かなきゃわからないような経過を知って、経過をあなた全く知らない。だから、どうですか、とにかく取り消しますか。
「当時の仮谷建設大臣は、この確認・合意が市議会でも了承され、町内会長会議でも圧倒的な支持が得られたことを高く評価され、廃川敷処分をするため鋭意これと取り組まれた。ところが、たまたま仮谷建設大臣が、昭和五十一年一月に急逝されたことによって、事態は停とんしてしまった。」と、長岡市の方が詳しく経過を書いているんです。建設省側はそういう経過もほとんど、私がこういうものを質問しなければわからない。
それが国民の納得いくものであろうと言われているので、仮谷建設大臣もそれを追認されましたが、具体的にその方向、それも尊重されますね。
これは当時の仮谷建設大臣もこういう答弁をされたことがあるのです。「そういう疑いを持たれることはまことに遺憾なことであって、今後そういった問題を絶滅するために努力しなければならぬことは必要であるし、そのために必要な行政措置をとることは必要だ」こう言つて、いろいろ建設省も手を尽くされたといういわくがあります。
そのときの仮谷建設大臣の御答弁をちょっと申し上げてみたいと思います。「事業計画を立てる場合において、これは人数から言えば借家人の方が非常に大ぜいだと思うのであります。そういう人々が一体どういう計画が立つかということについては非常な不安を持っておる。そういうことを考えてみると、そういう人々の意思を尊重するということは、これは当然のことであります。
○瀬崎委員 この前の改正のときに、仮谷建設大臣がこういう答弁をしているのです。「今回の一連の法案」、というのは、そのときはこの都市再開発法の一部改正と、それからもう一つは、大都市地域における住宅地等の供給の促進に関する特別措置法の二本が同時審議されておったのですね。つまり、この二本の法案が「既成市街地区域内の宅地開発にあることは御承知のとおり」こういう答弁をしているわけだ。
○井上(泉)委員 これはもう昭和三十三年以来、高知県が一貫してやってきたことであるし、仮谷建設大臣の当時においても併用橋ということが覆われておったことであるし、それを今日突然併用橋はやめる、単独橋にするということは、県民感情からも国の政治に対する大きな不信感を抱くことにも——政治不信と言うのも大げさでありますけれども、起こる要素があるので、その点いま大臣の答弁によって了解をするわけですが、ひとつ慎重
今度の覚書と全く同じで、半分は長岡市、半分は室町産業という覚書、これを仮谷建設大臣は三木首相のところへ持っていったと。ところがやれなかったと、そう書いてある。河川局長、この事実を知っていますか。
仮谷建設大臣が青森で、国会のようないいかげんな答弁はしないと演説したでしょう。あれでできたんですよ。仮谷建設大臣が、これは国会のようないいかげんな答弁ではありませんと言って大問題になった。国会はそれで空転したんですよ。
四十九年十二月二十四日には、当時の仮谷建設大臣が、「いろいろな疑惑や問題があるわけですから、」と疑惑の存在を認めた上で、「廃川処分を行なうまでにはなおまだ相当の時日を要すると思いますので、これは慎重に検討をして、少なくとも行政上誤りのないようにしなきゃならぬということはこれは当然のことだと思います」、さらに、「私は前の大臣がそういう約束をしておるとすれば、前の大臣の方針をもちろん踏襲いたしましてお約束
そこで、五十年十一月十九日当委員会におきまして、当時の故仮谷建設大臣の発言の中で、道路整備計画についても、これは田中前首相の列島改造論から出発した計画であって、しかも高度成長時代であったから、これから新しい安定成長時に入ったわけですから、いろいろ検討しなければならぬ、そういうことが生じておることは事実だ、こういうように発言をしておられますけれども、あなたのこの所信演説を聞きますと、道路につきましては
五十年の二月に、亡くなられた仮谷建設相が、疑惑を生みやすい指名入札制度を根本的に見直したい、省内に検討機関を設置すると述べられた。
信濃川河川敷問題について仮谷建設大臣は、小林長岡市長、入内島室町産業取締役、田中角榮の三者で公共利用について合意した、その方向に沿って行政指導してきたという答弁をしたことがあります。 〔委員長退席、理事沢田政治君着席〕 建設大臣にお聞きをしますけれども、この行政指導について、その後仮谷建設大臣以後の、あるいは竹下大臣から引き継ぎを受けているかどうかお伺いいたします。
そういう問題を質問させていただいたのに対しまして、当時の仮谷建設相がぜひともこの問題は積極的に取り組むと、また、当時の植木総務長官もぜひとも企画推進本部でこの問題は責任をもって取り組むという御答弁をいただいているのですけれども、こうした問題はその後企画推進本部で具体的に何かいい解決方法、そういうふうなことに取り組んでいただいているのでしょうか。
したがいまして、その問題、そういうものが積み上がりました後におきましては、今日、これは私が就任以前でございますけれども、仮谷建設大臣が長岡の小林市長さんから御報告を受けられたと聞いておりますところの、いわゆる 一、長岡市長と室町産業との間で次のとおり合意に達したこと。 (一)処分後の土地の利用は、長岡市の発展の見地から市民全体の利益を優先して行われるべきこと。
○楢崎小委員 この昨年十月二十七日の予算委員会で、まさに亡くなられた仮谷建設大臣と松澤行管長官、完全に御答弁が食い違っておるのですよ。たとえば松澤大臣の方は、「行政管理庁といたしまして率直に申し上げてどうかと思いますが、検討する材料がないといった方が早口的に言い得るんじゃないか、」こう言われている。
たとえばお亡くなりになりましたけれども、前の仮谷建設大臣、あるいは現在の金丸国土庁長官、両大臣にも私はこの問題について話をした。ところが、両大臣とも何だ、そんな重大な問題初めて聞いた、公団はけしからぬ、これがまず両大臣の答弁。仮谷建設大臣からは公団の今回の事業に関連して行った補償そのものについても一つの厳しい批判があった。
そこで、いま横浜川崎直下型地震ということで、中央防災会議その他の皆さんといろいろやり合ってまいりまして、私もさきの国会では前後三回質問に立ちまして、結果的に、文部大臣においてはこの周辺の老朽の講堂その他義務教育施設の新設、補強なども予算を組んでやっていただきましたし、また、お亡くなりになりまして残念ですけれども、仮谷建設大臣、金丸国土庁長官の二人で、私の要望にこたえていただきまして視察においでをいただきました
○金丸国務大臣 福田経企庁長官、それに亡くなられました仮谷建設大臣、私、その三人の中で、そういうように私は理解しております。
この際、故仮谷建設大臣の霊に対し、ここに謹んで哀悼の意を表し、黙祷をささげたいと存じます。 全員御起立を願います。黙祷始め。 〔総員起立、黙祷〕
時間の関係でさらに申し上げますと、私はこの前の委員会で、大蔵大臣あるいは経済企画庁長官、亡くなられた仮谷建設大臣に、いまのこの不況対策として住宅建設というのは最終需要につながっていく、こういう意味で非常に大きな意味を持つ。本四架橋などよりははるかに、全地域的にまんべんなく最終需要を喚起するという意味では、この住宅政策は非常な大きな役割りを果たす。
仮谷建設大臣はそのために再三にわたって話し合いをしたいなどと言っております。私は本末が転倒しておるではないか、前後が撞着しておるではないかと言わざるを得ないわけでございます。一体この河川敷の権利はどこにあるのか。
○国務大臣(竹下登君) 重ねて申し上げますが、この廃川処分につきましては、国会で種々議論がなされておって、三木総理も、また仮谷建設大臣も国民の納得のいくよう適正に措置したいと、こう申しております。その経過の中で、私は跡地利用の問題等が市当局と、あるいは市議会と、そして町内会長さんの会議とか、そういうもので議せられたということも私も承知しておりますが、それも判断の一つであることには間違いありません。
○久保亘君 十六日の委員会で建設大臣にお尋ねをする予定にいたしておりましたところ、仮谷建設大臣御不幸のためにその機会を得ませんでした。きょう竹下新大臣に対して、私がお尋ねすることになっておりました件についてお尋ねいたしたいと思いますので、率直なお答えをいただきたいと思います。
○委員長(瀬谷英行君) 次に、本日の委員会に出席を予定いたしておりました仮谷建設大臣が、昨十五日午後五時過ぎ急性心不全のため逝去されました。まことに突然のことでございますが、本委員会といたしまして、仮谷建設大臣の死を悼み、ここに深く哀悼の意を表します。 —————————————
まず、仮谷建設大臣にお尋ねをしておきたいと思います。 この問題について、前の委員会で、公社だけが悪いのではなく、むしろ仕掛け人は上田グループではないかという質問に対して、大臣は「これは私は両方責任があると思っております。」こうおっしゃっております。
そこで、八月十五日ですか、福田副総理と仮谷建設大臣と金丸国土庁長官と三者会談をして、四十八年の十一月ですか、凍結になっておったところの本四の問題を話し合ってメモにしておるわけですが、非常にそういう意味ではクローズアップされてきたわけですね。
仮谷建設大臣。