1978-06-01 第84回国会 衆議院 地方行政委員会 第24号
○角坂参考人 用地問題につきましては、各地主さんに代替地政策を強力に推し進めるために公団がやるのは当然でございますが、当時公団発足間もないということと、相当な面積の代替地が要るということでございますので、四十一年に、当時県にお願いいたしました。特にあの付近のいろいろな農業上の問題がございますので、県にお願いしたわけでございます。
○角坂参考人 用地問題につきましては、各地主さんに代替地政策を強力に推し進めるために公団がやるのは当然でございますが、当時公団発足間もないということと、相当な面積の代替地が要るということでございますので、四十一年に、当時県にお願いいたしました。特にあの付近のいろいろな農業上の問題がございますので、県にお願いしたわけでございます。
こういう点について、いまも、現地の空港敷地内の四十四ヘクタールの農家、あるいは周辺の騒音激甚地帯の移転対象になっている農家、これがあくまで農地を守っていきたいという考え方は、いまやっている運輸省や公団の代替地政策の中で進められたならば、これは農家としてはもう転落していく、こういうことをいままでの十二年間の経過の中ではっきりとその事実を目の前に見せられている、こういう実態があると思うのですね。
そういう状況の中で、代替地政策というものは当然国の閣僚協の中でもっと議論されなければならなかったのではないか。
この点は運輸省の方と農政を論議しても無理な話だし、ただそういう理解の程度しか持てない、そう言っちゃ失礼ですが、これは運輸省の飛行機の専門屋さんや自動車、鉄道の専門屋さんに、農民の代替地政策をやらせるとそういうことになってしまってきた一つの問題の例示じゃないかと思うのです。 そこで、代替地について公団が千葉県に委託をしたのはいつでございますか。
私、現地に行って「代替宅地のご案内」というパンフレットで見てまいりましたが、いずれもいまの大阪空港周辺の、奈良へも京都、大阪、神戸へも自由に行けるという市街地から、非帯に通勤に不便なところにだけ宅地造成を行っている、こういう代替地政策の失敗が一割しか買い手のつかないような代替地をつくってしまっている。そういう中で救済されない住民、移転しない住民はどうなっているか。
ですから、今日まで成田空港をこじらせた最大の問題は、この代替地政策の失敗、これは私、いずれかの機会に申し上げたいと思いますが、農林省も国の機関としてこの代替地政策に全くノータッチであったということが言えると思います。それから公団自身も、これについては千葉県に任しておんぶしてきた、こういう実態があると思うのです。
これは今後にもつながる大きな問題でございまして、私は改めて農林省の農地の指導当局に代替地政策全体をただしてまいりたいと思っておりますが、大臣としていま私が申し上げたような事実をどういうふうにとらえ、また今後どういうふうにお考えになるか、その辺をお聞かせいただきたいと思います。
いずれにしても、こういう国が進めている成田空港、いまだにまだ約五、六十ヘクタール近い農民が敷地内におって、これが万一外に出るという場合の代替地政策というものに農民の最高の指導機関である農林省がタッチしてないということは、非常にいろんな問題を残しているわけです。
六百戸の移転した農家の中で農業をやっているのは一割足らずという現実を見ても、あなた方の代替地政策というものがいかに欠陥だらけであったか。これはいずれ農林委員会で指摘します。 次に、騒音対策の問題です。