1949-05-11 第5回国会 衆議院 大蔵委員会 第29号
——風早委員に御相談申し上げますが、先ほど大臣に対する質問が留保になつておるようでありますが、大臣はマーカット代將との会見定例日になつておりましてお見えになりませんので、大臣に対する質問は後日に讓つていただきまして、両法案に対する質疑はこれを打切りたいと存じますが……
——風早委員に御相談申し上げますが、先ほど大臣に対する質問が留保になつておるようでありますが、大臣はマーカット代將との会見定例日になつておりましてお見えになりませんので、大臣に対する質問は後日に讓つていただきまして、両法案に対する質疑はこれを打切りたいと存じますが……
○椎熊委員 官房長官に重大な点をお伺いして、この案に対するわれわれの態度を明確にしておきたいと思いますが、それはすでに官房長官も御承知のように、先刻在野三党の党首がホイツトニー代將のところへ呼ばれたそうです。
特に前会申し上げたように、過般高松宮様のお屋敷をお借り受けして、アメリカの厚生行政関係の主脳部と懇談を申し上げた機会において、サムス代將からも、こういう問題は一層國民の信頼を將來博し得るように、失態があつた官吏等はそれぞれ適当な処置をとれというような意味のお言葉もあつたのでありますし、そういうお言葉がなくても、当然それぞれ適当な責任を負わなければならないことは痛感をいたしておるような次第でございます
実はただいまの野本さんより御懇篤なる御忠告があつたとまつたく同様の御趣旨の御忠告が——数日前に高松宮邸をお借りして、サムス代將ら一行と厚生行政上に関する、特に予防医学関係、あるいは社会保險等に関するアメリカのおみやげ話を拜聽して御指導を受けました。その際にただいまあなたがおつしやつていたと同様な強い御忠告を承りました。
○林國務大臣 ただいまのように國内においてない藥品があるといたしますならば、今後できるだけ多くのものを入れるように努力いたしたいと思いますが、この際ちよつと申し上げますと、この間結核に対するところのストレプトマイシンという藥なども、先般サムス代將がアメリカに帰られまして、その菌をこちらによこしてもらつて、ペニシリンと同じようなぐあいにつくらせるというような計画も立てられておるのでありますから、そういうふうに
昭和電工事件について総司令部民生局長ホイツトニー代將あて問合せをしたいと思いますが、文案その他につきましては委員長に御一任願いたいと思いますが、御異議ございませんか。
私はこの憲法の解釈問題に関しては、これは今度の問題としては相当公務員法の審議と関係するところがあると思うのでありますが、昨日片山前首相並びに苫米地民主党総務会長が、ホイツトニー代將それ他を訪れて、憲法の解釈について意見を求めて來ました。その見解に対して吉田総理大臣はいかなる見解を有するか。
○成重委員 そういたしますと、昨日の十五日に日限を切つて衆議院に申し込まれたということに関しましては、ただいまのお話によると閣議決定でなくして、今朝の新聞等によつて拜見いたしますと、これは官房長官が昨日ホイツトニー代將を訪問して要談され、そうして單に総理大臣と御懇談の上おいでになつて、十五日という日にちを切つて申込みをなされた。
あなたは昨日國会に対して、國家公務員法の審議を十五日に日限を切つて國会に申入れなさつたことは、あなたがホイツトニー代將に会われまして、その後において吉田総理とお話をして、單にその結果によつて一應國会に申し入れられた、閣議決定がなかつた。こう解釈してさしつかえありませんか。
なおインフレというような観点から言つても、この際これを拂うことは同意しかねるというのが、去年の四月の向うの回答であつたのでありますが、ことしにおきましても、二月からごく最近まで交渉を続けましたし、また一昨二十六日には総理からマーカツト代將との間に、本件についての解決について交渉をされたのでありますが、まだ先方の回答は得られないのでございます。
ちようど今度の行き方は、敗戰の結果やむを得ませんが、三百年前に徳川五代將軍のときにやつたある元祿年間の惡政と一緒になつてきた。当時全國に暴動が起つた。それはなぜかと言うと、將軍も、大名も、さむらいも、將來の祿をもらわなければ栄耀栄華に経費がかかる、その負担は全國の農民や商工業者に負わした。一筆一筆調査して檢地繩入れして、十万石の大名は十五万石取立てるようにしたでしよう。
その後、神戸地区の司令官メノハー代將が帰つてこられまして、この事態を廳きまして、非常に驚かれるとともに憤られまして、第八軍司令部と連絡をとりました結果、非常事態の宣言を行うということを声明せられまして、知事、市長、檢事正等を夜の十一時ごろ召集せられまして、今日暴行を働き、デモに加わつた朝鮮人並びに日本人は一齊に檢挙する、ゆえに助力せよ、こういう命令を受けまして、その晩から檢挙に着手したわけであります
○安東委員長 最後にお尋ねいたしたいと思いますが、ワシントン三十日発U・P共同電によりますると、総司令官の参謀副長のフオツクス代將が、月末にアメリカ下院委員会で、日本人は共和政体に同意はしておるが、まだこれを受入れるだけの準備ができていない。こう申しております。
○芦田國務大臣 ただいま安東君の御指摘の点は、私もおそらくそうだろうとは思いますが、不幸にしてフオツクス代將の心事並びにその言動を確める方法をもたないのでありまして、的確にいずれとも私からお答え申し上げかねることははなはだ残念であります。
内閣の審議室の輿論調査班と申しますのは、終戰後昭和二十年の十一月一日にダイク代將の指導によりまして、まず情報局に輿論調査班というものが設けられまして東大の戸田貞三教授が指導せられて、小山栄三君が班長になつたのですが、その輿論調査班が情報局の解体とともに内務、大藏、農林等の各省に移管されておりまして、それがやがて内閣審議室に移されるようになつたものであります。
代表的な一つとしてはアメリカのメンフイスと云ふ基地の司令官であるダニエルソン代將の演説の内容でありますが、この方もまた無制限なる人口増加は不可避的に戰爭に到達すると言つております。そしてこの代將は、今後締結されるべき平和條約には、必ず産兒制限の條件を挿入すべきであると主張しております。
本人の申立によりますると、東久邇内閣の當時、總理の私設祕書となり、幣原内閣退陣の際は、第二次東久邇内閣の出現を企圖し、アチソン大使、マーシヤル衆議長、ダイク代將等を訪問した事實があると申しまして、政治家となつて大いに伸びようとする希望を抱いておつたようであります。 第三は復興物資全協連盟事件というのでありまして、これも詐欺であります。