2001-02-15 第151回国会 衆議院 予算委員会 第6号
それでも艦長のスコット・ワドル代将はグリーンビルの司令塔からレスキューダイバーを送り出すことができたはずだ、こうブッシュは語っていると。これは、ブッシュさんというのは、弾道ミサイル積載原潜のサイモン・ボリーバルを指揮していたフロリダのジム・ブッシュ元艦長で、先ほど私が紹介したホノルルのアドバタイザー、二月十三日付に出ているものです。
それでも艦長のスコット・ワドル代将はグリーンビルの司令塔からレスキューダイバーを送り出すことができたはずだ、こうブッシュは語っていると。これは、ブッシュさんというのは、弾道ミサイル積載原潜のサイモン・ボリーバルを指揮していたフロリダのジム・ブッシュ元艦長で、先ほど私が紹介したホノルルのアドバタイザー、二月十三日付に出ているものです。
これはアメリカの原子爆弾災害調査団、こういう名前でありまして、団長はファーレル代将、三十名でございまして、二十年の九月の八日に現地に参りまして調査をいたしました。さらに十月の十四日には再調査団という形で第二団が入りました。この場合にはアメリカ側の責任者はオターソンという人でありまして、日本側の責任者は東大でなくなりました都築正男さんでございました。
昨年の十一月二十六日米上院軍事小委員会におけるベンジャミン・フォーマン米国防省弁護士と米陸軍法務官ホッドソン代将の報告、この報告によると、「世界各地における米駐留軍の地位に関する条約並びに協定の実施状況」という中で、裁判権を日本側が放棄し過ぎるということを述べています。いままで件数の九〇%以上を放棄している。第一次裁判権が日本側にあるものでも、このような状態である。
ボイルという代将が団長として、もうすでに設置されたということを発表しております。この事実は、日本のラオスの大使館からどういうような情報が入っておりますか。アメリカの制服の軍事顧問団が四月の十九日にアメリカの国務省の発表と同時にラオスの国内に設置された、そういう事実はあなたの方に何か具体的な情報が入っておりますか。その事実は日本政府としてお認めになりますか。
これによりますと、マッカーサー司令官がホイットニー代将に憲法草案を作れと命じてから、一体草案を何日間で作ったのか。もう疑いもなく、二月の初めにホイットニーに命じてからわずか一週間の間に、司令部における軍人が作り上げたものであります。
先般もわれわれ飛行場の現地調査に、横田の基地に参りましたそのときに、現地司令官の極東軍司令部のビエルブ代将が、次のように言っております。F100につきましても、近々この基地に参るだろう。大体日本はすべての点において時代おくれのものを莫大な金を払って持ってきて、実際の場合に役に立たないというのが事実なのでありますが、防衛庁長官どうです。
これは秘密の部分もあるけれども、国会の代表であるというので我々五名のものは特にコンラツド代将がつぶさに我々に見学を許してくれて、同時にコンラツド代将、それからバツグ少将が言うには、将来の文明、殊に戦争防衛というものについては、もうこれは通信が殆んど全部といつていいくらい重要性を持つている。
○荒木正三郎君 この際合せて、この間スミス代将ですか、と交渉された経過ですね、この際報告をしてにおいて頂きたいと思います。
○政府委員(加藤陽三君) これはまあアメリカ側のブリガデイア・ジエネラル、リア・アドミラルというのは、これは日本では代将補とか代将と訳しておりますが、その訳が正しいのかどうか、私は英訳の知識がないのでわかりませんが、ただそういうことを別にしまして、いろいろな編成を考えてみまして、その編成の個々の場合に、補というものはどういうふうな階級であるかと、考えてみますと、ここに出ておりますような陸将補、空将補
国民投票の直後、クーデターの直前に、前にイランの憲兵隊の顧問をしておつたノーマン・シユヴアルツコフというアメリカの代将は、パキスタンからイランに飛んで行つておるのであります。またアメリカ大統領はクーデターの直後、クーデター政府に御褒美としまして、緊急経済援助を四千五百万ドル与えておる。
それはただいま日本の保安隊に顧問といいますか、ここにおります駐留軍のヒギンス代将ですか、これが今度のMSA協定に基く顧問の代表になるのだというお話でありますが、先ほどのお話によりますと、このたび顧問団に来るのは六百五十人。ところがたまたまただいま日本の保安隊におりますアメリカ軍の顧問が約六百人くらい。
○土屋政府委員 ただいま保安隊に来ております顧問団の長は、最近ゼネラル・ヒギンスという代将が勤めておりますが、おそらく顧問団の長になりますのは、やはりこの代将だろうと思います。
最高首脳部とも連絡いたしまし今後の数字、若しくは全般的計画というようなものについてはできる限り速かに日本側に通知すべき要望を伝え、又先方の持つております計画についてもこれをつきとめようとしたわけでありますが、極東軍司令部におきましては参謀次長のハンロン少将、空軍司令部におきましては参謀長マクナートン少将、海軍司令部におきましては参謀長マクマホン少将、陸軍におきましては参謀長カーター少将、参謀副長マツキー代将
私も当時野党派の一人として、マツカーサー司令官のもとにあつたホイツトニー代将とは、この問題ではげしく論争したこともあるのであります。
二十三年一月の二十九日にニユーヨークのフオード・モーター・カンパニーから東洋の総支配人ミスター・リチヤードが来朝されまして、当時のGHQ経済科学局のマーカツト代将と御相談の上に、内地に在留いたします軍人軍属を除きました第三国人と並びに在京者の足、いわゆる自動車の供給並びにその部品の供給、その修理等の事項につきまして協議をいたしましたよしについて、同日それに関するサービス・ステーシヨンの設置のことにつきまして
たまたま七月十七日付中国新聞の記事によれば、「英連邦軍司令部総務将校R・H・バツテン代将(ブリッジ・フォード司令官が不在中の代理責任者)は十六日午後呉市の元鎮守府の建物にある司令部内で外務省記者団と会見、国連軍協定など当面の問題に関して呉、岩国地区に駐留する現地軍当局の見解を次のように明かにした。」といい、その中に次のような点をあげている。
つ外務省の何と申しますか、一つの広い情操、或いは広い視野から眺めて、国連軍に対しまする裁判管轄権の問題は、我がほうに一つ御安心してお任せを願いたい、又そうすることが国連軍といたしましても、我が国に対しまして駐留する目的の達成の上に非常なこれは成果をもたらすゆえんであるということをよく納得、了解を求める非常な幅の広いものがあるのではないかということを、先日も行つて承知して参つたのでありますがパッテン代将
私ども参りました日にパツテン代将に会見いたしたときに、これはできるだけ返還するという考えで、個人関係の施設、土地に対するものはできるだけ九十日間に返還する、講和条約を忠実に守りたいというような意思を明らかにいたしておりました。取りあえず今日六ヵ所だけを返還することをここで申上げることができるということで、これは松本ハウスほか五ヵ所、合計六ヵ所、そういうことに発表された。
その途中で駐留軍のクラークというのですか、代将が火焔瓶ですか、硫酸瓶かなんか投げ込まれたという事件がある。次いで茨木市警から応援に来た人を乗せている自動車が、デモ隊の先に廻ろうとしたときに、途中で火焔瓶を投げられて二十数名が怪我をした。それで大変だというので、警察に駈け込んで来られた。そのときには国警の警備部長と吹田の署長とおられたのです。
そこでもう二点伺いたいのですが、これは昭和二十二年の四月一日に、ハリク・タンセイという代将が、あらゆる人々の立会いのもとで、日本銀行の地下室を探したことがあるのです。ところがそのときにダイヤモンドがなかつたわけなんです。それで大問題が起つたのです。私らは見せろと要求したのですが、見せてくれなかつたわけです。
○青木正君 私はその代将がどうという問題はよく存じませんが、私が引受けまして疎開して預かつておりました期間は、先ほど申しましたように、預かりましてから二週間そこそこであります。
○中野(四)委員 それから後に新聞に発表されたことでありますが、四月の初めころ、米軍の代将が日銀の地下室を捜査したところが、当時ダイヤモンドや金、銀、白金がないということを発表されたことがありますが、このときには、あなたのうちの地下に埋没されておつたのでありますか。
その後四月の初めだと思いましたが、ハリク・タンセイ代将が、米国軍の立会いで日本銀行の金庫を開いてみたところが、全然そのダイヤモンドがなかつた。ここで愕然として大きな問題が出て来たわけであります。