2020-04-15 第201回国会 衆議院 経済産業委員会 第7号
こういうときに、お代官様、庄屋さんが何やるか。年貢の減免ですよ。ことしは大干ばつだから百俵のところを十俵でいい、まけてあげる、だからそれで、うちから立ち去らないでくれ。国民が疲弊しないように、よその藩に行っちゃわないように。そういうことをやって維持するんですよ、国は。 だから、住民税とそして所得税、すぐ減税できるじゃないですか。累進課税制でしょう。
こういうときに、お代官様、庄屋さんが何やるか。年貢の減免ですよ。ことしは大干ばつだから百俵のところを十俵でいい、まけてあげる、だからそれで、うちから立ち去らないでくれ。国民が疲弊しないように、よその藩に行っちゃわないように。そういうことをやって維持するんですよ、国は。 だから、住民税とそして所得税、すぐ減税できるじゃないですか。累進課税制でしょう。
ぜひ御忠告申し上げたいのは、江戸時代のまるで血も涙もない庄屋だ、悪代官だと言われないように、慈悲の心を持って接する為政者であると国民は今感じておりませんので、そこを重々留意されて対応されることを御進言申し上げまして、質疑を終わります。 ありがとうございました。
私も関係者の方と、この基本計画についてどう思いますかということを、会話をこの一カ月ぐらい積み重ねてきましたが、皮肉を込めて優秀だとか、冷たい、ぬくもりがない、難しくてよくわからない、お代官様みたい、つくることが目的化していないか、こういうことを言われるわけですね。
読み方によっては、これ、昔のお代官様、お奉行様みたいに、裁判官が必要のあるときだけやってやりゃいいんで、必要じゃないときにはそんなの事件として扱わないと、こんな読み方だってできますよね。 何とも出来の悪い条文だと思いますが、当然のことだと思いますけど、確認しますけど、利害関係人が申立てをしたら、裁判所はそれを事件として受け付けなくちゃいけないわけですね。
ペーブメントをそろえるだけで非常に一体化した、楽しい、それからまた快適な空間ができる、こういうことでありまして、例えば東京でいえば、四〇三号、国連大学のところがあります、奥に青山ブックセンターがありますが、あのあたりがもし、こういう一種類のペーブメントをずっと引いてあって、そしてそのセンターへ行く左右の建物、左側が国連大学なんですけれども、ああいうところの一階が商店になったら、東京でもかなりいい、ある面じゃ代官山
自治体をまさに国の代官扱い、どこに一体、そこに対等なんてあるのか、こう言わざるを得ない。 そもそも、地方創生を支える人員を削減すればするほど、あるいはまた、労働意欲をそぐ賃金を削減すればするほど交付税を多くやりますよなどという、これはもう政策としても全く矛盾しているわけでありますし、誤りだと、こう言わざるを得ません。
今申し上げたとおり、一方で、その高度人材の受入れというのがお代官様のさじ加減になってはいけないわけですけれども、他方で、今、利根川さんのお話もありました。
そういう意味においては、一義的、一つの意味の一義的、明確な基準というのが必要で、入国管理官がお代官様になって、そのさじ加減であってはならないと、こういうふうに思うんです。 その点で、じゃ、基本的に、そのさじ加減があってはならないと、明確で一義的な基準に基づいて入国管理が行われなければならない、この基本的なスタンスについては御同意いただけますよね。
お祭りというのは、私は、基本的には関八州というのは皆お代官様でしたから、ここにはお祭りは江戸時代にはできなかったんだと思うんですね。ところが、殿様のいるところには皆お祭りというのはつくってきた。それはやはり、コミュニティーというのを大切にしてきたという殿様が皆いて、福島あたりの相馬野馬追とか、この近辺で有名なところはいっぱいありますけれども、そういったものを大事にしてきておりました。
そして、イメージとして、これは御無礼だと思いますけれども、何となく、水戸黄門じゃないですが、悪代官みたいなイメージにとられてしまうということが、本当に一生懸命やっていらっしゃる官僚の皆様にとって申しわけなく私は感じております。 そんな意味から、国を思う方々、あるいは国家国民を思うという姿勢については、むしろ、私はこんな言葉も聞いたことがございます。
平成二十七年度から、現行の所得税の税率構造に加えて課税所得四千万円超につきましては四五%の税率を設けることといたしておりますので、先ほど広野先生から言われた、四公五民でいけば間違いなく四五対五五になりますので、その点からいけば悪代官やないかという話に多分なるのかもしれませんけど、形としてはここは四五に上がるということにいたしております。
それは、先ほどおっしゃった、根っこに私は、四公六民にとどまって、それ以上やるのは悪代官で、これは水戸光圀公が出てきたりしてというような、もう拍手喝采を受けるという世界だと思うんですね。
悪代官で大体五公五民とか六公五民になってきたりするのが大体その半分を超えたところなんですが、それでいきますと、日本の大蔵省なんというのは悪代官の方に入ってくるのかなという感じがしないではないんですが。
一方、課税庁の方は五年間権限がありますので、そうしますと納税者としてはどうなるかといいますと、二十一世紀のついこの間まで、課税庁に対して、まるで江戸時代のお代官様に民百姓がお願いするかのごとき、嘆願書というものの提出が事実上強制されていたわけであります。そういう事態であったこと、さらに、税務調査に際して事前通知をするなどの手続規定が現行法には全然ないわけであります。
しかしながら、世間一般では近江商人が通った後はペンペン草も生えないというような言われ方もしますし、また、テレビの時代劇などでは悪代官に賄賂を渡す悪徳商人は近江屋と相場が決まっております。しかしながら、こういう悪い商人がはびこっていて今の近江商人のあるわけがありません。
だから、逆に言えば、この提案型のものが採用になるというのは、私の表現はいつも不適切なことがないように努めますけれども、分かりやすく言うと、時代劇なんかで、越後屋、おまえは悪じゃのうと言うと、いえいえ、お代官様ほどじゃありませんというような、何か根回しを掛けていて役所に持ち込むと、それちょっと検討しなさいと誰かが言うと動き出すみたいなことが多いんですよ。
私はよく、特に資格商売なさっているところは、これはもう第二税金だと、悪代官みたいなものだと私はよく地元でも言ってきましたけれども、地元を回ると、特に工務店なんか回ると壁一面に資格、何とか資格証とか研修修了証とか講習証とか全部張ってあるところがありますよね。
枝野大臣と、まあ大臣と比較されるというのはいいことなんですけれども、枝野大臣とよく比較されるんですが、事業仕分の枝野さんや、蓮舫さんもいますけれども、蓮舫さんは正義の味方だと、陳情仕分の高嶋さんと細野さんは悪代官みたいですねと、こういうふうに言われまして、私は悪役になることはいつものことですから余り気にしていないんですけれども、今日は悪役のまま枝野大臣の引き立て役をやりますので、是非よろしくお願いをいたしたいというふうに
私、この間、実はつくづく感じますのは、これ蛇足になるかも分かりませんが、こういう事業要らないとか、こういうやり方駄目だとかという情報を事業者とかあるいはもうちょっと違う立場の人が言ったときに、どうも悪代官のような連中がかなりおってしっぺ返しをする、江戸の敵を長崎で討つと、こういうことがしばしば行われてきたようでございまして、私どもはこういう事例があったら厳しく臨んでいくという態度でおりますので、大いに
それで、今現在、新しく代官町に宿舎を二十一年度で入れるようにしようとしておりまして、それにつきましては一・二五倍ということにしております。
今のお話ですと、代官町に新しいものをお造りになるということなんですが、これは全体としてのスクラップ・アンド・ビルドと考えてよろしいんでしょうか。
お代官さんから話を聞くだけでは、お代官さんというのは、結構昔は事実と違うことを上に上げていたかもしれないですね。 だから、大田大臣のお話は、ちゃんとこの二千二百億円できるんですよというんだけれども、その報告をする人は実に上手なんですよ、数字合わせとか、ごろ合わせとか、つじつま合わせとか。実際問題、じゃ、今の医療問題なんかどうなっているかというと、医者がいなくて困る。
渡辺大臣、私、一場面をとらえて、冬柴大臣は悪代官だと、渡辺大臣は正義の味方だと、こうテレビでずうっとやって、イメージは怖いものだなというふうに思いましたけれども、こうして拝見しておりましたら、何か反対なんじゃないかなという。まあ、しっかり渡辺大臣は非常に頑張っておられるんでね、いい仕事をされているというふうに思いますけれども。 だけど、私は、本当にやるべきことはやるんだ、公営病院だってそうだと。
これは悪いけど、こんなことをしていたらもう悪代官。国はいつの間に悪代官になったんだ、もう悪代官の典型だというふうに言わざるを得ない。是非その点をしっかり改正を取り組んでいただきたいということを申し上げて、私の質問を終わります。 ありがとうございました。
にもかかわらず、福田内閣においても国は他人の懐に手を突っ込んで、つまりは他人の金である地方税をむしり取って、自らの過ちのしりぬぐいに用立てるという悪代官さながらのやり口に性懲りもなく手を染める有様です。 それは、税源を地方から国へと逆に移譲するのと同じであり、いかなる目的があろうと断じて認めるわけにはいきません。