2021-03-10 第204回国会 衆議院 外務委員会 第2号
○渡辺(周)委員 これは、アムネスティ・インターナショナルやあるいは西側各国も、ロヒンギャということについて、支援について、つまりミャンマーの国軍に対する、迫害でありますとか、あるいは右派仏教徒による迫害があって、そこにはロヒンギャという言葉がもう出てくるんですね。
○渡辺(周)委員 これは、アムネスティ・インターナショナルやあるいは西側各国も、ロヒンギャということについて、支援について、つまりミャンマーの国軍に対する、迫害でありますとか、あるいは右派仏教徒による迫害があって、そこにはロヒンギャという言葉がもう出てくるんですね。
にやる、それからメディアのアクセスを拡大するということをやるべきだということを申し上げ、実は、私が訪問してラカイン州へヘリコプターで行ったんですけれども、そのときに、日本のメディアを全て連れていってよろしいということで、日本のメディアに全て同行をしていただいて、さらに、ヘリコプターもかなり低空で、現地の情勢がどうなっているかヘリからも見えるような感じで飛んでもらって、さらに、現地でも、そこに住んでいる仏教徒
シンハラ人の人たちは仏教徒ですから、日本を仏教国と規定するならですが、やっぱり日本が果たす役割は物すごくあったと思うんですね。だけど、結果的にはそれがもうなかなか、すごく頑張ったと思います、僕らの仲間としても。
僕は、今でもそうですが、仏教徒です。仏教徒は、皆さんも御承知のように、御縁という人間の力では及ばない縁ですね、この御縁を大事にします。私も、不思議な御縁だったな、御縁があったんだなとそのときに思いました。
およそ何億人、何十億人という人が、仏教徒でなくたって、キリスト教徒だって、ムスリムだって踏み締めたんです。みずからの人生を悩みながら、人間関係に悩みながら、家族関係に悩みながら、会社に悩みながら。 その一般庶民が主人公の世界で初めての世界遺産になるんです。これが四国のみち。
ただ、私は、仏教徒ということも述べられた、科学技術者ということも述べられて、そこの根底に二元論があるということも述べられたけれども、これは人間がつくった観念でありまして、あくまで天地自然は一つなんです。
私自身は仏教徒でございますので、基本的には仏教の宇宙観というものを根底に持って、その上で環境問題をとらえていっておりますけれども、現実問題にそれを適用したときに、小野委員もそうです、私もそうですけれども、この西洋二元論的考え方に基づいた科学技術を勉強してきて、それを解決しようというその間にいろいろな矛盾を感じているということも確かで、これをどう乗り越えていくのかというのが、今、人類に課せられている課題
たった一週間の間に、キリスト教徒も仏教徒も神道もみんな、食ってしまうといったら悪いけど、それをそしゃくしてしまう、それが私はやっぱり日本文化の非常に弾力的でいいところだと思いますよ、私は率直に言って。ですから、逆に言うと、たったわずか十五年間で明治維新ができたんですね。あるいは、心は日本人であっても、もうぱっと近代資本主義国家でもある意味でできたんです。
もう一つ、最も長野市民、長野県民が怒っているのは何かというと、十八日に、仏教徒で云々ということですから、リレーの出発地点を善光寺が返上しましたね。私は、これは外務大臣や総理大臣はそういうことはできないし、今のところで友好関係を保つのでいいと思います、立場立場がある。しかし、善光寺は世界に向けて、日本にもチベットに思いをはせている団体があるんだよということを発したんです。
それで、私もつられて、今、日本では、仏教徒というのは、私も仏教徒だけれども、それはブッダの生まれたところだし、ブッダガヤというのは悟りを開いたところだと言ったら、客人、今から案内するから一緒に行こうかと言われたんですよ。 ですから、それほど共通点というのは、私は、その土地を考える上において、歴史というものはすごく重みがあると思いますね。
先ほどもどなたかがおっしゃったのと同じことで、キリスト教の方では、仏教徒は違いますが、あの世で目が見えるか見えないかじゃないですが、彼らは復活ということを素朴に素直に信じております。そうしたときに、復活したときに臓器が足りないとまずいんじゃないか。向こうでは今でも火葬よりも土葬を好むあれがありますから、ある意味では日本以上に強くそのことを持っております。
韓国の報道によりますと、日本が植民地時代に持ち去った文化財の返還を目指す民間団体、朝鮮王室儀軌還収委員会、還収は戻し収めるということですね、還収委員会が今年三月、北朝鮮の朝鮮仏教徒連盟と会合いたしまして、日本の宮内庁が所蔵する朝鮮王室儀軌等の返還運動を共同で実施するということで合意したということであります。
宮沢賢治という人は熱心な仏教徒というか、法華経、日蓮宗の熱心な仏教徒で、ただ、私も好きでいろいろ読んで、例えば「グスコーブドリの伝記」ですとか、ああいうのを読むと、これは仏教徒なのかキリスト教徒なのかよくわからないような、宗教一般的な普遍的な自己犠牲というか、そういった本当の幸せを求める究極の姿というか、そういうものが表現されているんだなと感じるんですね。
実は、最近では、ことし三月二十七日に、民間団体である朝鮮王室の儀軌還収委員会が北朝鮮の朝鮮仏教徒連盟と会合して、両団体は、日本の宮内庁が所蔵する朝鮮王室儀軌の七十一種と、重要な経典の貝葉経というのがあるようですが、その返還運動を共同で実施するという報道を見たわけでございます。 ですから、この問題はやはり決着がついていないわけですよ。
そこにイスラム教徒、ヒンドゥー教徒、仏教徒、道教や儒学を奉ずる人々、様々な宗教の人たちがいるのは、そこに人々が来たからでありまして、正に文明のるつぼと化す時代が十六世紀、十七世紀にございました。
だけど、あなたは仏教徒ですかとか、はいそうですと言ったら、仏教何ですかと、答えられなきゃばかにされる。宗教を持ってないといってばかにされる。 そういうことで、公教育の場ではもう少し宗教教育を改めていただければ有り難いと、このように思うわけです。
特に、ちょっと飛躍するかもしれませんけれども、青少年犯罪等の背景を見ますと、私は仏教徒でちょっと手前みそで恐縮ですが、両親あるいは祖父母がいて、仏壇があって、拝んでいるような家庭からは比較的統計的には少ないと、そういうような現象、これはそれだけがすべての原因ではありませんけれども、バックグラウンドとしてそういうこともあるということで、立場上申し上げますと、家庭のしつけ、さらには親、祖父母、先祖に対する
私が仏教徒であれば仏教と言う必要はないけれども、私は教師としてこう考えているよと。昔は多分そういうふうに言ってきたんだと思うんですね、おれはこう考えるよと。でも、そこが大きな問題になるんですかと素直に私は聞いているわけですよ。そこをちょっと、問題をそらさないで、大臣はどう考えますかということですよ。
私自身、仏教徒でございまして、豊かな人生を送るために宗教的情操がいかに大切か、そして、そのために私自身実践をしておりますし、また、子供たちにも豊かな人生を歩んでほしいからこそ、宗教的情操を持ってほしいという強い思いから、子供たちにも家庭の中でいろいろ教えているつもりではございます、なかなかうまくいきませんけれども。
悟りの境地は仏教徒の追求すべき永遠のテーマであると思いますが、ノーマライゼーションの理念もまた福祉国家を目指す我々社会にとって、理想であり永遠のテーマであります。それだけに、法律をつくり実施するときは、現実との乖離についてくれぐれも注意の目を向けていくことが大切であります。
それは、そこの陸上自衛隊の部隊に雇われている地元住民に対して、日本は汚れた仏教徒、労働をやめなければ殺害すると脅迫ビラを配った事実があるわけでございます。これは多分防衛庁としてもつかんでおられると思うんですけれども。
Bさんは、仏教徒でも死んだりしませんよというふうにお答えになります。 支店長は、話題を変えて、白い封筒を渡しながら、あなたの債務を売ることにした。 Bさんが、え、何ですか、私に不良債権でもあるんですかというふうにお聞きになる。 A支店長は、すごい大声で、当然ですというふうに答える。 Bさんは、支店長、私たち夫婦は、財産、債務、何でも二分の一ずつ共有しているのに、何で私だけなんですか。