1956-05-07 第24回国会 衆議院 法務委員会 第30号
一、処が昭和三十年十一月十七日の公判に於て、弁護人申請の証人佐藤和代が、本件犯行直後頃、犯行現場近くの仁和寺街道七本松角附近で、中折帽トックリシャツ背広着用の男と衝突した旨証言し、更に仁和寺街道六軒町通角で偶然友人(村松泰子)に逢い同女から、附近の公衆便所手洗場で手を洗ってみる男を指示され、これを見た自分もびっくりしたと証言し、続いて昭和三十一年二月十六日の第十回公判に於て、弁護人申請の証人村松泰子
一、処が昭和三十年十一月十七日の公判に於て、弁護人申請の証人佐藤和代が、本件犯行直後頃、犯行現場近くの仁和寺街道七本松角附近で、中折帽トックリシャツ背広着用の男と衝突した旨証言し、更に仁和寺街道六軒町通角で偶然友人(村松泰子)に逢い同女から、附近の公衆便所手洗場で手を洗ってみる男を指示され、これを見た自分もびっくりしたと証言し、続いて昭和三十一年二月十六日の第十回公判に於て、弁護人申請の証人村松泰子
まず、自白強要の点でございますが、一に、昭和三十年四月十日午後五時四十分、ころ京都市上京区仁和寺街道七本松西入ル立本寺南側路上において、木下治二十才が署部二カ所に刺傷をこうむり、瀕死の重傷を負い、第二日赤病院に運ばれ、同夜十一時四十五分、ころ死亡した。死体解剖の結果、鋭利な刃物による刺傷に基因する出血死であることが判明した。
真犯人と称する佐藤が指示いたします便所は仁和寺街道六軒町通のかどになるのでありますが、村松証人の指示いたします便所は下立売通七本松通のかどであります。最初の六軒町通の公衆便所かどうかということを見せましたら、そことは違うとはっきり証言したようであります。
昨年四月十日夜十時半ごろ、京都市上京区仁和寺街道七本松西入ルの道路上におきまして、木下治、当時二十の者が、他人とけんかした末に刃物で切られて、ついに死亡したという事件が発生したのであります。
○政府委員(長戸寛美君) 昨日の朝刊紙に、ただいまお話のような報道記事がありましたので、本省といたしましてはさっそく京都地検に照会いたしたのでありますが、それによりますると、昨年四月十日午後十時半ころに京都市上京区仁和寺街道七本松西入ルの道路上におきまして、道路上を木下治、当時二十才でありますが、通行中、宗と申しますか、それから山田、山本、浜田、この四少年とけんかをしまして、四名は共同して木下をなぐりつけ