2007-02-28 第166回国会 衆議院 予算委員会第五分科会 第1号
○柳澤国務大臣 日本が、過ぐる大戦の最終段階におきまして、人類最初の原子爆弾の被害をこうむったということは歴史的事実でございますが、具体的には、この原子爆弾の投下によりまして、原爆の放射線に起因して原爆症を患われる方々がいらっしゃるということ、これはもう本当に悲しむべき悲惨なことだ、このように受けとめております。
○柳澤国務大臣 日本が、過ぐる大戦の最終段階におきまして、人類最初の原子爆弾の被害をこうむったということは歴史的事実でございますが、具体的には、この原子爆弾の投下によりまして、原爆の放射線に起因して原爆症を患われる方々がいらっしゃるということ、これはもう本当に悲しむべき悲惨なことだ、このように受けとめております。
パンドラの箱というのがございますけれども、パンドラというのは人類最初の女性の名前なんですね。ですから、田中真紀子前大臣はパンドラなんです。それで、彼女が箱を開きましたら、災いがどっと出てきたんですね。外務省の災いですよ。私、別に外務省を憎んでいるわけじゃございませんが、本当にいろいろなことが飛び出してきて、外務省というのはこういうものだったんだなということを十分に学習いたしました。
とりわけ、人類最初の核兵器が投下され一瞬にして十数万のとうとい命が失われた広島、そして二十数万の命が失われた沖縄戦、いずれの地でも多くの一般市民の命が犠牲となったことを銘記しなければならないと思います。そして、その犠牲と反省の中に憲法の前文と第九条があることを、公述人の多くが指摘されたように思っております。
そして、その惨禍をこうむった人類最初の体験は日本であります。そして今も兵器として存在をいたしている。 一方で、私たちはこの原子力というものを、安全の上にも安全に注意を払いながらも、むしろクリーンなエネルギーとして利用しなければならない、そういう一つの方向性を持っております。 そして、自然界にありますものを医薬品として活用している間、必ずしも不幸な歴史はありませんでした。
つまり、広島の悲劇は人類史上最初の核兵器の使用による犠牲であるということであり、被爆者はその核兵器による人類最初の犠牲者であるという、人類史的存在としての被爆者の位置づけと認識を必要とすると私は考えます。 別な言い方をするならば、被爆者は人類最初の核戦争の体験者であります。
この原爆ドームにつきましては、広島市におきまして、人類最初の原子爆弾使用の惨禍を後世に伝え、さらには核廃絶と世界恒久平和を訴えるあかしといたしまして、日本の歴史上のみならず、世界の歴史においても普遍的な価値を有する遺跡であるという認識に基づきまして、国内外の世界平和を願う人々の浄財によりまして過去二回にわたりまして保存工事を実施し、また平成二年三月には広島市原爆ドーム保存事業基金条例を制定いたしまして
軍縮問題の解決は、世界の大多数の人々と指導者の心にゆだねられている以上、この絶好の機会を逃すことなく、人類最初に核の洗礼を受けた我が国は、世界に向けて核全廃の運動を強力に展開する責任があると考えます。 今日の核時代にあっては、核兵器システムの技術事故を含む核戦争が起これば人類は共滅し、地球は「核の冬」を迎えます。したがって、核全廃こそが人類共通の再優先課題であります。
少量のプルトニウムがあのような惨害をもたらすことを人類最初に経験した日本国民こそ、最も正確な情報を知る権利があると思うのでありますが、いかがでしょうか。 第六に、一九七九年のスリーマイル島事故、特に二年前のチェルノブイリ事故以降、世界的にこれまでの原発推進政策に対する反省、また、原発そのものに反対する世論が強まっていることは御承知のとおりであります。
○浜本万三君 私はかねてから、人類最初の被爆者数を明らかにすることは被爆国の責任である、使命であるというふうに考えておりました。使命であるし、また、死没者に対する弔意をあらわすことにもなるんではないかというふうに思っておるわけでございます。
サミットを広島で開くことは警備上困難だといたしましても、東京サミットの前後の日時を、出席者のうちのできるだけ多くの方々に人類最初の被爆地広島に来ていただき、平和記念公園の原爆慰霊碑の前で犠牲者の御冥福を祈念するとともに、核軍縮と平和を誓い合っていただく機会を与えてほしいと思いますが、いかがでございましょうか。
これらを見る限り、人類最初の核兵器による悲惨な体験をした人たちは、高齢化し、四十年を経過してもなお体と心の傷はいえていない。むしろそれは老齢化という現象によって一層深刻化しておるということが浮き彫りにされていると思うわけでございます。
いまさら申し上げるまでもございませんけれども、広島市を中心といたしまして、人類最初の被爆地でもございますし、いわゆる平和文化都市の建設を基調としておりますその広島といたしまして、非常に強い要望を持ってこの運営の成り行きを見守っているわけでございます。そういう意味でこの運営の将来性について伺ったわけでございまして、こうした広島における誘致の運動に対して、どのように受けとめていらっしゃるか。
言うまでもなく長崎は、広島とともに、人類最初の原爆投下により十万の県民が殺され、さらに十万の生存者がいまなお後遺症に苦しみ、不安な日々を送っています。またこれまでアメリカの原子力潜水艦ソードフィッシュ号による放射能汚染や分折化研の放射線データ捏造事件、さらには、第三水俣病事件や相次ぐ衝突、座礁事故、油流出事故などで、十万の漁民とその家族たちは絶えざる不安に脅かされております。
ことしは、人類最初の原爆が広島、長崎に投下されてから三十年、核兵器の絶滅を訴えるストックホルムアピールと、それに基づく世界的な平和運動が起こってから二十五年、ビキニの核実験によって日本の漁船がその放射能に被災し、無線長久保山氏が死去せられて、わが国民に大きな衝撃を与えてから二十一年になります。
それから第二は、これは放射能という人類最初の原爆という物質による被害というものの深刻性から考えてみると、これに対する人道上の措置をとる、こういう考え方で進んできたのが、この第二の問題であります。それがやや具体的であります。そこで、この問題を議論をしております過程の中で、今度は環境破壊、公害問題が起きてきたわけであります。
○国務大臣(左藤義詮君) 人類最初の原爆の惨禍を体験いたしました日本といたしましては、かねて総理が繰り返して申しておりまするように、核装備はいたさない、またこれが持ち込みはお断わりをするという方針を貫いておるのであります。
○左藤国務大臣 人類最初の原爆の惨禍を受けました日本人の悲願といたしまして、私どもは核武装はいたさない。核兵器の持ち込みも認めないということは、岸総理もしばしば声明しておるところでありまして、私どもはこの方針で進んでいきたい。私どもは非常な努力をいたしまして、従来の自衛と申しますか、その限度におきまして防衛の全きを期していきたい、かように存じておる次第でございます。
○国務大臣(左藤義詮君) 先ほどから申し上げておりまするのは、私どもは直接、間接の侵略に対して祖国を、子孫民族を守ろうということを申しておるのでございまして、私どもの計画しておりますることは、全部その範囲内でございまして、非常に将来ミサイルが必ず核になるというお話しでございまするが、広島、長崎におきまして人類最初の原爆の被害を受けました日本人としては、絶対に核装備はいたさない。
それはビキニの水爆実験によつて被害をこうむりました第五福龍丸の無線長久保山愛吉君が、人類最初の水爆犠牲者として、去る二十三日逝去されましたことは、すでに皆様の御承知の通りでありますが、このことは我々日本国民として、又水産関係者として誠に痛恨に堪えないところでありまして、皆様と共に深く哀悼の意を表する次第でございます。
併し人類最初の原爆による大量殺戮をこうむりました日本人として、而も今日なおその痛手を肉体にとどめて、悲しく悩んでおる同胞を抱えておる私たちは、今、又してもアメリカのビキニ島水爆実験の犠牲として、善良なる漁民のかたがたが恐ろしい放射能に侵されて呻吟されておるという、いわゆるビキニ事件に強く促されまして、各党派を超えました私たち日本人の悲願としての原子力並びに原子兵器の使用について強い要請をいたしましたことは