2009-03-27 第171回国会 参議院 予算委員会 第19号
そういう意味で、時として時価会計という形で議論されている部分は、その後者の人間行動そのものの実は側面もとらえている面がありまして、すべてを時価会計に帰せしめるということは私は公平な議論ではないというふうには思っています。 そのことを申し上げた上で、時価会計のある側面が確かに景気のそういう振幅を強めた面もあるんではないかという議論が今高まっています。
そういう意味で、時として時価会計という形で議論されている部分は、その後者の人間行動そのものの実は側面もとらえている面がありまして、すべてを時価会計に帰せしめるということは私は公平な議論ではないというふうには思っています。 そのことを申し上げた上で、時価会計のある側面が確かに景気のそういう振幅を強めた面もあるんではないかという議論が今高まっています。
この考え方を押しすすめて行くと、法廷外の人間行動そのものを「行動証拠」という一つの証拠形式として把握する考え方が生じて来る。微妙な事案においては、こうした行動証拠の評価いかんによって事実認定の左右される場合が多いことに注意すべきである。」
またこれに関連して、法廷外の人間行動そのものを証拠とする行動証拠と言いますか、ビヘヴィヤ・エヴィデンスというようなことがあるそうでありまして、たとえば吉田石松事件のごときは、四十数年間無実を一貫して主張してきたというようなことが、このビヘヴィヤ・エビィデンスということになるのではないかというようなことが考えられるわけなんですが、今の問題に関連してくると思うのでありますが、こういうことが日本の証拠の上