1947-09-25 第1回国会 参議院 決算・労働連合委員会 第3号
それからちょっとしたことでありますが、第五條に、「人事官は、人格が高潔で、」云々という言葉がありますが、これはどうも日本の法律の文言といたしましては、私の浅学を以ていたしますると極めて新しい言葉の御表現であるように考えるのでありますが、何かこういうような法律上の前例が、ひとり日本のみならず、外國においてもあるのであるかどうか、総理大臣の任命につきましても、或は國会議員が選挙されること等につきましても、特にその人間
それからちょっとしたことでありますが、第五條に、「人事官は、人格が高潔で、」云々という言葉がありますが、これはどうも日本の法律の文言といたしましては、私の浅学を以ていたしますると極めて新しい言葉の御表現であるように考えるのでありますが、何かこういうような法律上の前例が、ひとり日本のみならず、外國においてもあるのであるかどうか、総理大臣の任命につきましても、或は國会議員が選挙されること等につきましても、特にその人間
そんな人間は今の世の中にはありません。私は断言します。そういう空想を盛つたような法文は國民に対して不親切であります。そこで私はこれ以上は意見の相違でありまするが、今太田委員の仰せられたように、やはり諮問機関のようなものを拵えて、諮問委員のようなものを拵えて、そうしてそれにお諮りになることが過ちを少くするゆえんだと思いますから、これは是非そういうように改めて頂きたいと存じます。
分担しておるといつても、今の人数ではせいぜい一人が分担するか、或いは一人の人間が二つ又は三つを兼務するというような恰好で、ほんの或る程度の仕事というようなことになつております。
その場合に第三番目の常任委員会との関聯の問題については、例えば調査部、法制部の人間にある程度この常任委員会の仕事を分担させる、調査的の機能、及び法制的の機能を分担させて行く、そうしてそれが又、法制部、調査部として集約されて一つの仕事を持つというような恰仰で関聯させ、それを例えば委員長会議であるとか、あるいはこの運営委員会でもいいですが、そういつた國会内の最も民主的な委員会がその運営を監視し、或いは方針
○佐々木良作君 それも結構だと思いますが、先程言つたように私の考えておるのをもう少し具体的にはつきりと現実的に示しますと、天田委員の言われるように、一應とにかく、例えば調査局というような恰好のものを作ること、そうして今どれぐらいおるか分らないが、人間を殖やす。その殖やされた人間、つまり調査局員が各常任委員会の仕事を或る程度分担できるような恰好にして運営していけばよいと思う。
その意味で身分關係あるいは採用の公正なる手續ということは、すべてこの法律の適用を受けてそれを潜つてきた人間でございますから信頼に足るものであろうというふうな考えでおるわけでございます。
終戰と同時にこれらの施設だけが残つて人間がいなくなつたということのために、非常に町の樣相は變つたのであります。從いまして町財政におきましても非常な變化をみるに至りまして、六・三制の新制中學をつくるにしろ、あるいは司法事務局を設けるにしろ新規の建築等をなすということになりますと、非常な財政的な困難を伴うに至つておるのであります。
利益を追求する人間の本能を捨てて経営に当り、しかも経営の才をもつておるという人、これは決してないとは申しませんが、こういう人はきわめてまれであると言わなければならぬ。結局その日暮しの役人かたぎの経営に堕し、士族の商賣よりは、やはり餅は餅屋に任せておくべきであるというところにおちつきがちであることは、あまりにも明らかであると思います。
まあ見方によりますれば役所の一つの人間みたいなかつこうになるのでございます。もちろんこれは身分は公務員になられるわけでありまして、さような角度から官と表裏一體となつて働いていただけるというようなふうに私どもは期待しております。 なほ第七條の車輛の檢査竝びに第六條の臨檢檢査というようなものについて罰則があるが、この道路運送委員會の報告を出さない者に對しての罰則がないのは、權衡上まずいのではないか。
しかし人格識見にまつという人間の選び方、これはきわめて實質的には困難なことでありまして、單に一人のゼントルマンを選んだだけでは、こういう問題はなかなか結著のつかない問題ではないかと思うのであります。
もう一つは、今日本が八千萬の人間を擁して、そうして食糧の生産を増強せねばならぬ。こうおつしやつたのだが、これには二つの理窟があります。
その人間最高の要求、これをば今後われわれが實行していくというのには、どうしても単なる知能的な教育では行われない。想像がつかない、また宗教と言えども從來のような民族宗教だけでは、どうしても解決のつかないものである。はたして、ただいまのごとき、宗教は自由である、しかし、宗教は教育の上にタッチしてはならないというような態度でいけるものかどうか。私はその點につきまして非常な危惧をもつものであります。
教育者殊に児童の教育—ただ知識を傳えるということではなく、人間的な指導ということが非常な重要性をもちますので知識を空覺えをしたのではなく、確信をもつた人でなければならぬと思つております。
併しこれから千年、萬年、十萬年、民族の續く限りこの問題は、言葉を變えても、今いる人は不便を感じますけれども、これから段々生れて來る人間には、覺えたから又それが言葉になつているから、不便を感じない。それだからこれは國民將來のためにやらなければならん。現在生きておる人の便利ということからいうと、非常な不便なことになる點が澤山あると思う。
我が國が民主國家として、殊に文化國家として將來國を立てて行きまする上においては、文化の基礎でありまする國語、國字が民主化され、又簡易化されるということは、民主主義の基本的な重要な條件でありまして、人間教養の上にも、又實際上の實用の面から見ましても、極めて必要なことは今更申すまでもないのであります。
以上のような状況で、天草から出まして外國にある天草の島民と相知り、外國からその淳朴さ、その人間性に引かれて天草に遊ぶ外客が、天草を見るに及んで、たちまち永住の地に定め、ここにあるいは日本に歸化し、あるいは外國の籍のまま日本に永住する外國人が非常に多數であります。前英國インド總督等はその最も顯著なる例でありますが、戰前戰後を通じて、日本國の一員としてわが國の國策遂行に協力しておられます。
もちろん總合的な官廳である經濟安定本部と、個々の實施官廳との間において、ある事柄について案が出まするまでに多少の意見の違いがあるということは、人間の顔が違うように意見の違うこともあるのでありますが、しかしそれらの意見も、やはりこちらの意見も言うと同時に向うの意見も聽いて、そこに適當なところに結論が出、そうして閣議で決定されますならば、われわれは喜んでそれに從つて、閣議の決定としてやつていくのでありまして
世耕君があんな大きな間違いをしたのも、やはり情報提供者というものが、ブローカーとかそういう人間でなければ、しよつちゆう情報をもつて來ないということ、ここに大きな世耕情報の間違いを起しておるのでありますから、中野委員が言つておるように、毒をもつて毒を制すと言いましても、かりにその人が非常に眞面目な人間だつたところで、その人が自分の關係の會社に隱退藏物資をもつておつたといたしましたならば、社會に與える影響
この状態で、どうして人間が七日も十日も生きることができるでありましようか。私たちはこの現実を見ます。
この際申し上げたいと思うことは、農地開放は、小作制度を廃絶して、人間を開放するところの、いわゆる農村の民主化の徹底でありますので、この線においては、農地改革は徹底的に行うのであります。しかし、山林は農地と違いまして、木炭であるとか木材は、人間とは違うのでありまして、いわゆる山林の所有権制限等を、農地調整法の運用によつてやるということは、今日考えておらぬのであります。
しかしながら本田附近は、御承知のように中川の決壊によりまして、非常な災害を受けた次第でありまして、特に本田には本田電話中繼所と申しまして、人間の心臓にも匹敵すべき建物が建つておりまして、その中に多くの貴重な機械が備えつけてございます。
先般同僚の御質問に答えて片山總理大臣は、現内閣のやろうとしている計畫經濟は、決していわゆる官僚統制經濟ではないのだ、民主的な計畫經濟であるというようなことを言われましたけれども、それにそういう美しい題目を竝べられるだけであつて、どんな人間にやらしても、やはり自由競爭のない統制というものは、それが役人であるとないとにかかわらず、官僚式になつてしまうということは、申すまでもなく、世間の實例がこれをよく表示
○説明員(野村進行君) これは戰前までには風致林、又國立公園については、非常に嚴格にいろいろな方法も取り、又一般の人間もそれを守つていたのでありますが、この戰爭中になりますと、もう殆どそういう制限はあつてなきが如き状態になりまして、現在相當に風致關係の森林が荒れておるということは認めざるを得ないと思います。
それから尚もう一つ人間の足を踏み入れない地域でも、地圖の上で國立公園になつておりますが、人が通過する、まあ觀光ルートと申しますか、そういうものの兩側を國立公園にして、長い道の兩側だけを或範圍、國立公園に指定して行く。その間を觀光ルートにするというような方法はどうだろうかというようなことを觀光委員會でお話がありましたが、その點お考はどうでありますか。
それを伐つた場合、こういう時は伐つた人間に植えさせる。それを植えない場合には國がみずから植えて植栽費を取るというのがありますが、これは恐らく一度も發動したことがないと思います。
或いは閉鎖を命ぜられるという際には、非常に事務が澁滯したり何かすることがあるのでございますが、その點につきましては、そういうふうな樣子が大體分りましたときに、營團或いは府縣等關係方面に全部これは通知を出しまして、國が引繼いで參るのでありまするが、それにつきましては從前通りの人間を使つて行くのであるから、不安動搖のないようにというような通牒、或いは會合等をたびたび開きまして、その趣旨は十分に徹底いたして
それで從來この二つの機構の中に相當多数の人間が居つたわけでございますが、今度政府が引繼ぎました場合におきましては、これらの中からできるだけ現場の方へ人を廻しまして、そうして現場の事務所を擴充して、實際の事業をやつて行く上に、支障のないようにいたしたいと、かように考えております。
大體民主主義がいかに進んでも、人間が神様にならんければ欲といふものがありますから、農業を共同經營するなんといふことは、なかなか困難なことではないか、いかに兄弟でありましても……。
そこで公共の福祉というのはどういうことであるかというと、言うまでもなく一部の人間の利害は侵害しても、公共の副祉のためにということは成立ちません。全部の國民の福祉のためにということは成立ちません。全部の国民の福祉が公共の福祉でありまして一部の國民には憲法違反であつても、他の大部分の者に利益を與えるのだから憲法違反でないということは成立たんと私共は考える。
相当組織と訓練を経たものものが出動するのではないと、ただ多数の人間が出て來てやることは、いわゆる彌次馬的な騒ぎになつて、救助の目的を達することができないのではないかと思うのであります。
二十日の眞夜中、へこ帶をふんどしにして、頭へふろしき包みをかついで汽車に乘込もうとしてくる人間が何人あつたか。そういう實情を私は見て現實に知つておるのです。