2003-05-19 第156回国会 衆議院 決算行政監視委員会第一分科会 第1号
また、本当に、人を助けていく、人道的、道義的責任というのは厳然としてあるというふうに考えますので、今の御答弁を超えて、裁判所から出て裁判長が話しましたそのものはきっちり正確な言葉にしてまたお届けいたしますので、ぜひとも政府として、もう少し人に対してきっちりと救っていくということを、御検討をお願いしたいと思います。
また、本当に、人を助けていく、人道的、道義的責任というのは厳然としてあるというふうに考えますので、今の御答弁を超えて、裁判所から出て裁判長が話しましたそのものはきっちり正確な言葉にしてまたお届けいたしますので、ぜひとも政府として、もう少し人に対してきっちりと救っていくということを、御検討をお願いしたいと思います。
厚生大臣、そういうスキームで、人道的、道義的思いを受けとめて、何らかの形で税金を出していっている。根拠法は別にあるわけではありません。官房長官が御発言され、すなわち、内閣の意思としてお示しになって、それを裏づけて今事業をしておられる、こういう流れだってあるわけです。だから、やる気になればできるはずで、対外的に表明しておられる部分を真摯にしっかりと受けとめていただきたいと私は思うわけであります。
ただいま議員がお話しになりましたいわゆる人道的、道義的立場に立ってという点につきましては、新たな御指摘、御提言であり、困難な面もあろうと思うのでございますが、慎重に検討してまいりたい、さように思っております。
ただ、最近、いわゆる従軍慰安婦問題につきまして、この問題の性格にかんがみまして、人道的、道義的にも、何か日本側として誠意を持って日本側の気持ちをあらわすための措置を考えるべきではないかということで鋭意検討はいたしておりまして、関係国との間でも、内々にその意見を聞くということはやっております。
○外口委員 このような問題について、政府はサンフランシスコ条約あるいは日韓条約により既に国家間で解決済みであるとの見解を崩さずに来て、人道的、道義的な責任を回避し続けている点、これが国際的に今大きく日本が不信を持たれている点だと思います。 当事者一人一人にとっては、情報が保存されたままになっているために、いまだに親兄弟の供養もできないまま月日を重ねている。
したがいまして、援助に対する考え方も、私どもは人道的、道義的立場と国際的相互扶助を理念とする援助というふうなことで現在の我が国のODAは行われているというふうに思うのでございます。 そこで、参議院では去る六月の百十四国会におきまして国際開発協力に関する決議を行っているわけでございます。これは本院として初めてのことでございまして、重みのある決議であると私は思うのでございます。
ODAによる国際開発協力は、開発途上国の貧困、飢餓等看過し得ないという人道的、道義的立場と、もう一つは、開発途上国の平和と安定が世界全体の平和と繁栄に不可欠という意味での国際社会の相互依存性の認識等に立って行われるものである、この二つでございましていずれを欠くこともできないものである、このように考えます。
あえて私なりの表現で御答弁を申し上げれば、我が国は発展途上国の貧困、飢餓等の諸困難を看過し得ないという人道的、道義的な考慮、さらに発展途上国の安定と発展が世界全体の平和と繁栄にとって不可欠であるという意味での国際社会の相互依存性の認識等に立ちまして、発展途上国の経済社会開発に対する自助努力を支援して、もって民生の安定、福祉の向上に貢献することを目的として経済協力を実施しておるところでございます。
○国務大臣(田村元君) 申すまでもなく、我が国は発展途上国の貧困、飢餓等の諸困難を看過し得ないという人道的、道義的考慮、さらには発展途上国の安定と発展が世界全体の平和と繁栄にとって不可欠であるという、そういう意味での国際社会の相互依存性の認識の上に立って、発展途上国の経済社会開発に対する自助努力を支援する、そして、民生の安定、福祉の向上に貢献することを目的として経済協力を実施しておるところでございます
八〇年十一月、対外経済協力審議会は理念の定式化に取り組み、国際的一般理念としての①人道的・道義的考慮、②南と北の相互依存関係の認識、我が国独自の理念としての①平和国家としての責務、②高い対外経済依存度、③経済大国としての自覚、④非西欧国家としての近代化の歴史からの期待の四点を考慮した広い意味での安全保障の確保を挙げました。
そして政府は、ODAの理念として人道的、道義的見地、民生の安定、福祉の増進、国家間の相互依存の関係などを挙げておられるわけでございますけれども、これにやはり基本的人権の擁護ということを加えるべきであると思います。基本的人権を例えば侵害している国に対しては援助を与えないというふうなことは、ほかの国、例えばカナダなどははっきりと援助決定の基準の一つとしているわけでございます。
一つは人道的、道義的立場からするものであり、もう一つは国際的、相互依存の立場から行われるべきである、このように思います。南北間の格差は大きいわけでございますし、途上国の貧困、飢餓等を看過し得ないという立場からするものが一つ。
これは二つ考えられるわけでございまして、一つは人道的、道義的立場からなさるべきである、もう一つは国際的相互依存の立場から行わるべきである、簡潔に申し上げますと、こういうことではなかろうかと思うのでございます。 南北間の格差は依然として大きいわけでございますし、開発途上国の貧困、飢餓等を看過し得ないという人道的、道義的立場からするものでございます。
外務省経済協力局では、経済協力の理念について、人道的、道義的考慮、それから相互依存の二つを基本理念として挙げております。この二つについては私も全くそのとおりだと思いますし、異議を差し挟む余地はありません。しかし、そのあとで、我が国の場合、他の先進工業国以上に開発援助を積極的に推進せねばならぬ特殊の事情といたしまして四点挙げられております。
その中に、今室先生がおっしゃいましたように、経済協力という言葉自身私もちょっと引っかかるんですけれども、「開発途上国の貧困、飢餓等の諸困難を看過し得ないという人道的・道義的考慮、さらに、開発途上国の安定と発展が世界全体の平和と繁栄にとって不可欠という意味での国際社会の相互依存性の認識等に立って行われるものである。」、私はこれでいいと思うんです。
ですから、ぜひ今までとは違った、一歩踏み込んだ形で何としてもこの人道的、道義的な問題であります台湾の元日本兵、旧軍人軍属の特に遺族、傷病者に重点を置いた解決を何としてでも早急に決着をつける方向で進めていただきたい。これは外務省、厚生省の方面にもお願いするわけであります。 次は金鵄勲章の問題であります。
そこで、経済協力というのは一体何なんだということで私もずっと見てみると、「開発援助についての国際的な一般理念−人道的・道義的考慮と相互依存の認識」ということで書いてある。このことを一々どこが間違っておるか申してもなんでございますし、もう時間がございませんので、一つだけお伺いしたい。 私は、一昨年、キューバに参りまして、実情を見てまいりまして、百聞は一見にしかずとはこのことだなと思いました。
○森下国務大臣 この問題も中国孤児問題と並行して起こりまして、まことに、私どもとしてはいわゆる戦後処理問題のみならず、人道的、道義的な問題として実はとらえております。 ただ、内容的に考えてみました場合に、いろいろ当時の日華平和条約とか、また蒋介石政権との国交が断絶したというような不幸な事実も実はございまして、取り上げられながらそういう外交的な問題で立ち消えになってしまった。
○大木正吾君 さっきのピアソン報告はもっと理念がはっきりしておりまして、お答えがさっきあったとおり、まさしく人道的、道義的ということが相当優先され、そして政治的な同盟とか政治的な援助ということはわりあいに排除するような報告のニュアンスを持っておりますね。
○柄谷道一君 私は、当然政府開発援助は、人道的、道義的理念というものがその根底になければならない、こう思います。しかし、人道的、道義的理念というものは、完全に無私、無欲でなければなりません。しかし、それだけでは今後増大してく援助費用を負担する納税者のなかなか納得を得られず、膨大な援助需要にこたえ切れないという面が出てくるのではなかろうか、こう思うのでございます。
第四に、国際経済協力については、これまでも欧米各国が人道的、道義的な援助に積極的だったのに対し、日本の場合は資源確保、海外市場拡大を目指す援助に傾き過ぎるとの非難が出ていました。昨年末で終了した政府開発援助三年倍増計画にもかかわらず、GNP比率では援助国平均の〇・三五%にも及ばない状態です。これでは南北サミットで批判を避けることはできません。
○説明員(佐藤嘉恭君) 先生ただいま御指摘になりましたとおり、入国の手続の問題になりますと法務省所管ということになるわけでございますが、私ども外務省といたしましても、この問題の解決というのはやはり人道的、道義的立場に立って促進するということでなければならないというふうに考えておるわけでございます。したがいまして、関係省庁にもいろいろ御意見があろうかと思います。
これは、今回の問題が人道的、道義的な立場から発し、そうしてこの立場に立つて解決を急がれておるというところに徹していただきまして、お互いにこの立場で結びついて具体的な問題は解決し合つて行こうじやないか、これがやはり政府が三団体に対しておとりになる態度ではないかと私は思うのであります。この基本的な態度がきまりますならば、あとはお互いに話合いで片づくのではないか。