1998-04-14 第142回国会 参議院 文教・科学委員会 第14号
二番目に、簡単に言ってしまえば、変化への対応力とかいろいろ言われると思いますが、やはり学力中心よりも人物中心へという方にかなりシフトされているということが言えるのではないか。
二番目に、簡単に言ってしまえば、変化への対応力とかいろいろ言われると思いますが、やはり学力中心よりも人物中心へという方にかなりシフトされているということが言えるのではないか。
先生の今御指摘のように、ほかにもいっぱいいいことがあるじゃないかというお話ですけれども、私たちは、現在の学習指導要領の中でも、例えば小学校においては人物中心の歴史学習ということをやっておりますし、中学校でも世界史を背景とした我が国の歴史の学習というものをやっております。
それから、投票方式は、当然人物中心主義でいくんですから一票制の方が望ましいというのが私の考えであります。 最後に、このごろちまたで報道されるのは、とにかくこの政府案に賛成の者は改革派だ、これに反対とか慎重の者は守旧派だというように書かれるわけでございます。大変私はこれが情けないんです。一番改革すべき強権的な体質を持っておられる方が言い出したそのままの言葉が今も使われておる。
京都府議会議員西田昌司君からは、地方公聴会の日程への疑問、参議院は審議を尽くすべきであること、総定数は府議会でも減らしており四百七十一またはそれ以下とすべきこと、配分比率については人物を選ぶ小選挙区に重きを置くべきこと、戸別訪問は弊害が多く解禁すべきではないこと、公費助成は人格なき社団である政党に出すのは問題であり時期尚早、やみ献金が問題であり零細な献金も一律に悪と決めつけるのは不見識であること、選挙は人物中心
ただ、では実際に教科書がどうなるかということを見てまいりますと、昭和四十年代からそういう指導要領上規定があるわけでございますが、実際の教科書はやはりなかなか人物中心の教科書ということにはならなかった。そこで今回小学校の学習指導要領では、重要な歴史事象に対応します人物として四十二名を例示したわけでございます。
現行の学習指導要領でも人物中心ということは掲げているのでございますが、実際の教科書を見ますと、政治経済史に沿った通史というような形の記述が多いわけでございます。
それで従来から取り上げてきておりますが、今回の改訂では、その歴史事象を人物中心の学習が一層徹底できるようにするという観点から、日露戦争において日本海海戦の提督として活躍した東郷平八郎を取り上げて例示した、こういうわけでございます。これにつきましては、いろいろの御意見は賛否ございましょうが、私どもの趣旨はそういうことで取り上げているということでございます。
そして、その日露戦争において人物中心の学習を一層徹底するという観点からは、軍事的に戦争終結の要因となりました日本海海戦の提督として代表的な東郷平八郎を取り上げて指導するということで例示したわけでございます。 しかし、日清・日露の戦争、この日露戦争につきましても、もちろん戦争に際しましては朝鮮半島とか中国の人々に大きな損害を与えたことも事実でございます。
そして、その事件の中心人物、中心人物ですよ、七人のうち重い者は六年八カ月ないし二十年の懲役刑、これは不定期刑ですから。それから、もみ消し工作に関連した者八人のうち重い者は二年六カ月ないし八年の懲役刑。私ここに一覧表も持ってきておりますけれども、それから盗聴に関与したという人物六人のうち重い者は二年ないし六年の懲役刑、こういう結果になっているのですよね。
何も学生に複数機会を与えるというだけじゃなくて、Aはそういう人物中心、だから小論文であるとか面接であるとか。面接一回で人間がわかるか、わかりはしないじゃないか。そうならば何遍も会って、しかし論文も書かす。そして人間を見るということ。例えばの話、例えばAグループの試験、これは一斉にやったらよろしいじゃないか。その次はBは本当に勉強できるかどうかという学問の、勉強のテストをやる。それに重点を置く。
人物中心に、それからさっき言いましたような幾つかの視点がありますから、そういう中からお選びして、結果的にはどこどこの協会の長になることもあるかもしれませんが、選び方の基準として団体から選ぶということはしないでおいた方がいい、こういうふうに考えているわけです。
ですから、今後教育が伸びていかなければいかぬから、決して経済活動の手段ではなくて、人間形成が根本ですから、そうでなかったら日本の繁栄はないと思うので、やはり人物中心でやっていきたいと私は思うのです。
もう一つは、日本国の発展に貢献した人物中心の歴史だった。特に日本国の発展に貢献した人は楠正成、吉田松陰、西郷隆盛、東郷元帥、乃木将軍等、これは神様として神社に祭られているんですよ。 私は、今度の改正で神話を指導要領に入れられたことは大変結構であると思う。神話は歴史的事実でないかもしれないが、民族の夢と希望と理想が長年にわたり伝承され、日本民族の心となり魂となっていたからであります。
また、戦前に、人物中心に天照大神から始まってどっとやられたので、こいつの復活は許さないというような考え方の方もあるようですね。しかしまあ、今度の教育課程の審議会答申にあらわれてきておる限りの無味乾燥な通史でなく、代表的な人物を通して人物をつぎ込むのでなくて、人物を通じて生き生きとした歴史を教え込もうというようなことに私はそう異存を持つものではないわけです。
ただ、考え方といたしまして、先ほど来の議論がございましたように、学習指導要領の基準としての性格は何だということとも関連いたすわけでございますが、一つの考え方として、学習指導要領というものではなしに、いま言ったような人物をどの程度取り上げるかというようなことは、それぞれの教科に、また指導書といったようなものを文部省は出しておるわけでございますから、その指導書の中で、今回の改善の趣旨からして人物中心と言
こういうふうに掲げて、いかにも人物中心の学習形態が望ましいのだ、こういうような主張をしておられます。ところが、これはあなた方が指導要領として告示されました社会科の四六ページ、これには、そういうような人物を中心にするようなことに教育が流れていかないようにしなさいということが明示してあります。
と申しますのは、指導要領の中にも、御承知のように、歴史上の人物を取り上げて指導する必要があるけれども、その場合には人物教材の長所、たとえば、児童の歴史的な理解を具体的にし、学習に対する興味を深めることができる点などを十分生かすとともに、時代的背景から遊離した取り扱いや、人物中心の学習に走り過ぎないように留意すべきである。
地方では政党というよりもむしろ人物中心の動きも少からずある。かような場合において、個人の政党所属若しくはその支持を問題にするよりも、個人を含めたる全体的団体が一党一派に偏向する二とをひどく恐れておる声もたくさん聞いて参つたのであります。