2000-04-06 第147回国会 衆議院 憲法調査会 第6号
近衛文麿さんが動き始めて、そして佐々木惣一さん、大石義雄さん、私も大石義雄先生にお習いしたのですけれども、京都帝大の先生を起草者にして、箱根の山の中で新しい憲法をつくるわけです。しかし、これは明治憲法と全く一緒ですね。ほとんど変わりない。文言も変わりない。
近衛文麿さんが動き始めて、そして佐々木惣一さん、大石義雄さん、私も大石義雄先生にお習いしたのですけれども、京都帝大の先生を起草者にして、箱根の山の中で新しい憲法をつくるわけです。しかし、これは明治憲法と全く一緒ですね。ほとんど変わりない。文言も変わりない。
○北橋委員 五段階に分けている現在の制度を見直す方向で文部省も検討されているということでございますが、学歴社会の弊害を打破していくというのは非常に難しいテーマではありますけれども、やはりその象徴となっているのは、東京帝国大学なり京都帝大なりそういった歴史のある有名大学というものがその頂点にある、一種のシンボルだろうと思うのです。
郷土の繁栄なくして国家の発展はあり得ないとの信念のもとに、郷土の伝統的産業の育成や農家や中小企業者の金融に奔走される傍ら、田畑に出かけて気軽に農民と日本農業の将来などの話に花を咲かせるなど、謙虚な人柄とひょうひょうとして村夫子然たる風格は、庶民に親しみやすく、よく冗談に、私は京都帝大の法学士であるのに、皆は農科を出た農学士だとばかり思い込んでいるようだなどと笑わせておられましたが、「百億先生」の愛称
同君は、昭和十八年京都帝大を卒業し、現在文部省の社会教育局社会教育課長補佐であります。よろしく御承認を願いたいと思います。
しかしながら、現実の面を考えますと、大学総長の俸給月額にいたしましても、旧東京帝大、京都帝大あるいは他の旧五帝大あるいは旧官立大学、このような三段階区分によりまして大学間の格差を設けているというのが実態でございますが、この点はぜひ今回の給与改訂の段階で改めていただきたいというように私たちとして考えているところでございます。
昭和八年、あなたが文部大臣をなさつておつたときに、いわゆる京都帝大の滝川事件というものが起きた、京大事件が起きたのです。あの事件があつてから、日本の学問の自由、思想の自由に対する弾圧というものは非常に強化された。フアツシヨへの道をあの事件において開いたことになつているのです。
あなたが休職処分にした共産主義の学者が、御承知のように終戦後、いわゆる一九四五年八月十四日、日本がポツダム宣言を受諾して連合国に降伏し、連合国の日本管理が始まつたそのとき、自由主義的または反軍国主義的思想とか行動のために休職、免職になつた教師は優先的に復職せらるべし、こういうことによつて滝川教授は京都帝大へ復職している。
自衛のためならば軍隊を持つてもいいというような解釈は京都帝大の佐々木惣一博士ですか、ごく一部の方だけです。大部分の学者というものは、自衛のための軍隊も平和主義の見地からは持つてはいけないという解釈なんです。この憲法の問題で非常に解釈の相違がある。しかも大部分の者が持てないという解釈が強いのです。支配的なんです。
この調査班は何をやつて来たかというと——これは名前はちよつとわからないのですが、京都帝大を出た人だそうです。私は京都帝大を出ましたという話をしたそうです。この人は一体何をやつて来たかというと、どつこへも寄らないで県庁へだけ寄つた。そしてすつと帰つてしまつた。なぜ生産者団体の意見を聞いて来ないのか。生産者団体には全然寄らないのですよ。
池田君は京都帝大で一方は東京帝大でした。
次に石原博士は、京都帝大で河川工学と港湾工学を講じておられまして、防災研究所を指導し、非常に精力的に活動され、河川についての極めて多角的な研究で有名なかたでございます。最近学術会議会員として米国の大学或いは各種研究所をつぶさに視察されて参られております。土木研究所の佐藤博士は水利学研究のエキスパートでございまして、海岸堤防についても又深い研究をいたされておるかたでございます。
(「誰だそれは」と呼ぶ者あり)これはいわゆる京都帝大の先輩であります佐々木惣一博士、その一派の学徒であります。最近そのうちの一学徒が有力なる議論を発表されております。私はこの議論は賛成はいたしませんが、極めてこの、検討して、この中において十分な……(「どういうところで賛成しないか」と呼ぶ者あり)つまり我々耳を傾けるだけの資料を与えております。
○浦口委員 このたびの京都帝大事件の内容については、先ほど服部学長からいろいろお聞きいたしまして、われわれも懇談の中で承つたのでありますが、法務総裁でありますので、そういう点には触れないようにいたしまして、ただ、今までの御答弁を聞いておりますと、この事件は、ただ表面に現川われた形が、いわゆる公安条例違反かどうかということでお調べになつているように考えられますが、その対象がたまたま天皇であつたということと
公選制度がとられます以前におきましては、例えば東京帝大であるとか京都帝大であるとかいうような、高文をとりました最も優秀な分子が、例えば大蔵省と内務省に最も優秀な分子が就職すると言われておるように、だんだんと一職員から課長に、部長に、そうして知事にというふうに一つの大きな登用の制度がありましてそういう制度が優秀な人材を地方庁に非常に確保できおつたわけであります。
その武井群嗣というかたは明治二十七年の生れでありまして、京都帝大法学部の卒業でございます。内務省に勤めまして、出形、山口各県知事を経まして、厚生次官を勤めました。済生会理事長も勤めました。不幸にして追放になつておつたのでございますが、最近の解除で追放解除になつたかたであります。
その後いろいろと基礎的研究と臨床的研究を並行いたしまして、昨年十月五日、京都帝大において初めて発表いたしました。その席は電子顕微鏡学会の総会でありまして、理科系統の物理科学から医学、全部門の教授が集まつて、その席上で発表することができました。その後「自然」の社の要求によりまして、今年の四月から八月まで、そのアウト・ラインだけを発表することができた次第であります。
そこであなたが最初京都帝大を出てから応召されたが、すぐ帰されたので、非常に残念に思つたという証言がありましたが、この残念という意味はどういう意味ですか。
○内藤(隆)委員 それから京都帝大でロシヤ語を学ばれたそうですね。あなたの專攻が哲学あるいは心理学で、ロシヤ語は何か特例な必要があつておやりになつたのですか。
これの診断は吉井という京都帝大を出ました男が診察をしておりましたが……。
○中村正雄君 もう一つお尋ねしたいのは、六人の中の経歴を見ますと、非常に奇異な感じを受けますのは、六名の中四名までが、東京帝大出身、一人が京都帝大出身、一人が中央大学出身、こうなつております。むろん選ばれた人が偶然にもそうなつておるのかも知れませんけれども、余りにも帝國大学中心で選考なさつておるというような奇異な感じを受ける、この点につきまして、何か御所見があれば承りたいと思います。
第三部長と申しますのは、大体商工、農林、運輸、逓信といつたような産業方面の委員会に関する法制を担当しておるのでありますが、その部長といたしまして中野哲夫君、これは昭和六年に行政科と司法科の高等文官を通りまして、それから昭和七年に京都帝大の法学部を卒業いたしまして、商工省に入つてずつと商工省におりました。