1958-03-29 第28回国会 衆議院 決算委員会 第21号
○立川証人 それは相当前から、私は直接知らなくて、私の兄貴の友達、知己という意味から知り合いがあったので、具体的に私自身が彼といろいろ交遊しだしたのは昭和二十八年の例の私の方の——本件とはちょっと関係ありませんけれども、本件特許の実施をやるため、パイロット・プラントをやるために京都化繊製造所というものを作って後二年ほどたってから、彼が中心になってその仕事をやりたい、やってよろしいという承認を与えて、
○立川証人 それは相当前から、私は直接知らなくて、私の兄貴の友達、知己という意味から知り合いがあったので、具体的に私自身が彼といろいろ交遊しだしたのは昭和二十八年の例の私の方の——本件とはちょっと関係ありませんけれども、本件特許の実施をやるため、パイロット・プラントをやるために京都化繊製造所というものを作って後二年ほどたってから、彼が中心になってその仕事をやりたい、やってよろしいという承認を与えて、
○藤岡証人 それは今立川正三氏が社長でおる京都化繊製造所という会社が六千万円の払込済みの会社であります。優秀な事業であるけれども、相当な資本が要るので、少くとも五億円ぐらいの資本を持たなければ事業化しないということで、資本の問題でいろいろ相談を受けておりました。
ことに砂糖が売れた場合、砂糖が入って金にかわった場合、その金によって京都化繊製造所という立川がやっておる会社があるわけですが、その会社の有力なメンバーとして私が迎え入れられることになっておったのであります。事実お調べになっていただくとわかると思うのですが、私も立川と一緒に役員になっておったはずなんです。