1994-02-22 第129回国会 衆議院 予算委員会 第3号
それでは、まあ大体京都別邸が清和商事、正式には清和商事なんですが、に賃貸されたその前というよりもむしろ後みたいな感じで佐川さんと最初にお会いした、おおむねこのようにお聞きしたいと思うんですが、それを具体的に年号で言うと昭和五十五年の早い方かもしくは昭和五十四年の遅い方、その辺あたりというふうに大体理解していいか。
それでは、まあ大体京都別邸が清和商事、正式には清和商事なんですが、に賃貸されたその前というよりもむしろ後みたいな感じで佐川さんと最初にお会いした、おおむねこのようにお聞きしたいと思うんですが、それを具体的に年号で言うと昭和五十五年の早い方かもしくは昭和五十四年の遅い方、その辺あたりというふうに大体理解していいか。
その折に完成されたのがただいまの細川京都別邸だと私どもは聞いております。さすれば、今から約五十年ほど前でございますが、終戦のときにはそんなにまだ傷んでいるはずのない、あるいは五十年たった今でも、十億円かけて直すほど傷んではいない。先ほど総理は白川委員の質問に対して、十億円の修理費というのは違う、何なら佐川に聞いてくれ、こういう御答弁でございました。
そのお貸ししたのが一月一日ということであれば、そういう話に、あなたは河本さんから言われてそういうことになったわけでございますので、例えばその賃貸借契約が成立する前に何らかの意味で佐川さんにお会いしたことがあるのか、それともそういう契約その他には一切立ち会っていないものだから、例えば佐川さんが京都別邸を借りて住むようになってからお会いしたのか、そういうことをちょっとお聞きしたいのです。
○服部三男雄君 前回、佐川グループとの総括的ないろんな関係についておっしゃったわけですが、その佐川さんに貸した京都別邸の住所とか、湯河原町の場所とか面積とか、妙高の高原にある別邸の面積とか建物の面積とか、こういったこと を今記憶しておられますか。
実は私ども非常に奇異に感じているのは、その京都別邸、赤倉別荘と、いうのをお使いになっているのじゃないんですか、時々。