2019-02-27 第198回国会 衆議院 予算委員会第八分科会 第1号
さらに、明治維新の後、当時の住民自治組織であった番組を単位として京町衆の手によって建てられた番組小学校の跡地が、今、京都市によって大手のホテル業者に提供されています。地元の不動産業者からは、幾ら何でもやり過ぎだろうの声が上がっているほどであります。地元紙はこうした状況を観光公害とまで表現し、連載記事まで今書かれています。
さらに、明治維新の後、当時の住民自治組織であった番組を単位として京町衆の手によって建てられた番組小学校の跡地が、今、京都市によって大手のホテル業者に提供されています。地元の不動産業者からは、幾ら何でもやり過ぎだろうの声が上がっているほどであります。地元紙はこうした状況を観光公害とまで表現し、連載記事まで今書かれています。
そのため、各地域で古民家等を再生、活用する取組を支援するとともに、京町家等を民泊に活用する場合においては、昨年から施行されております住宅宿泊事業法により、騒音やごみ出しなどによる近隣トラブルへの対応を求めるなど、地域社会との共生を図るための一定のルールを定めております。
一つ、京都の京町屋、この個人投資家の事業がありまして、これがうまく成功した一つの例だと思うんですけれども、資金調達の成功例として、事業費の約六割に当たる六千五百万円を二百人以上の個人投資家が出資をされたと。平均しますと一人三十万程度になるわけですか、そうですね、三十万程度になるわけですね。事業資金が調達をされたわけでありますけれども、これはこの事業がうまく成功した例の一つなんですけれども。
今回の被災地域に所在します熊本刑務所及び京町拘置支所におきましても、こういった配慮がなされたものと承知しております。具体的には、熊本刑務所におきましては、家族宛ての自己の安否を伝える信書について通数外での発信を認めておりますし、また、京町拘置支所におきましては、申請によりまして、通数外発信及び電報発信を柔軟に認める取り扱いをしております。
瓦屋根や格子が美しく、暮らしの文化と結びついた京町家が年々、失われている。家主が住み続けたくても町家を壊さざるを得ない一因が、高額な相続税の支払いである。 京都市が二〇一〇年に発表した京町家約四万七千戸の実態調査では、回答者の約四割が、相続にかかる負担を懸念していた。居住者の高齢化も進んでおり、事態は切迫をしている。
それから、これは京都市の例でございますが、京都市景観・まちづくりセンター、これ財団法人でございますが、京町家の改修でありますとかあるいはあっせん等に取り組んでいる等々の団体がございます。また、これNPO法人の例でございますと、これは萩にNPOといたしまして萩のそういった町づくりを支援する法人がございます。
例えば御地元の京都市におきましては、NPO法人京町家再生研究会、京町家作事組というのが京町家棟梁塾というような活動をされて、そういった技術者でありますとか伝統的材料についてさまざまな活動をされています。あるいはまた、財団法人の京都市景観・まちづくりセンターによるさまざまな取り組みもあります。
代表的な例を申し上げますと、例えば、京都市景観・まちづくりセンター、これは京都市が全額出捐をしてつくられた公益法人でございますけれども、個人、法人からの寄附を募りまして、京町家の保全、活用に関する調査、研究、景観保全、こういうことをされているわけでございますが、さらにファンドを増額して、景観法というのができたこともございまして、更に積極的にやろうとしておられますし、神戸まちづくり六甲アイランド基金というのは
あれも、鉾がありますね、これはかってはその地域地域の人たちが山車で引っ張っていくということだったのですが、京町衆とかいろいろな言われ方もするのですけれども、町の人が少なくなった地域では、中京区とかそのあたりなのですが、最近はアルバイトでやっているのだそうですね。これは京都府の文化財の担当者に聞いたのですけれども、アルバイトでやっていて、しかも外人のアルバイトもいるというのですよ。
もちろんそういう中で木造住宅、これが京都らしいああいう京町家として残っておるのですけれども、今どんどん減っちゃっているのです。そうすると、今観光客も全世界から来ていますが、そういう人たちの声からも、こういったところを残してほしいなということがある。だが、運営上やっていけないのです、京都市としても。あるいは持ち主も大変なんですよ。
○竹内(勝)分科員 そこで、京都には京町家というのがあるのを御存じですね。その実態を若干申し上げますが、まず、京都市内には住宅が約五十一万六千戸、うち木造住宅が八万二千戸、もう再生不能と言われるような本当に大変な住宅がそのうち一万一千戸です。この木造住宅、いわゆる京町家として有名な、いかにも古都らしい、そういうものを何とか守っていかなきゃということで、みんなの願いというものがあるのです。
この前長崎、佐世保へ行ってみると、私は抽象的に言いません、京町通りには市場があります。この市場の跨線橋のところがタクシーのたまり場、いわゆる客待ち場でありますが、そこのところの前後に夜な夜な十九時、二十時ごろになりますと軽貨物が入ってくる。大体二十三時を過ぎると出てきて、そこでちゃんちゃんばらばらまでいかなくてもちょっとトラブルめいたものが起きる、こういうことを繰り返しておるわけであります。
○正森委員 断じてないという、その言やよしでありますが、実態これに伴わずというのが京都の選挙を行ったすべての京町衆の考え方であります。 私はさらに問題を伺いたいと思いますが、勝共連合は傍若無人の宣伝活動をいま先ほどの四月八日の一例を挙げたように行いましたが、それらの車について一、二伺いたいと思います。大阪三三ち四〇一八という車があります。
熊本市京町一丁目にあります熊本地方裁判所本館は、明治四十一年の建築で、独特の赤れんがづくりで、姿形など構造上の美しさ、堅牢さなどから、明治期の建造物として歴史的、学問的価値とともに、建築的価値を有する国の重要文化財に匹敵する貴重な建造物でございます。わが国でもあまり数多くない建物の一つとされ、特に、熊本城と並んで歴史的な熊本市の誇りとされておる建物でございます。
次に、熊本市京町拘置支所官舎建て増しの件でございますが、昭和四十六年七月三十一日から九月十六日までの問、延べ三十四日で延べ人員二百五名以上の収容者が使役されて、同官舎四戸に対し、それぞれ四・五畳ないし六畳の建て増しを行なっております。
あすこに京町通というのがある。これは南を向いて走る線路としては唯一の線路であったわけであります。これとまた平面交差しているのですよ。あれを見てみますと、すぐ東側には京阪電車が立体交差しているわけですから必ずしもあそこで急カーブをして、急に下へ下りて平面交差をするというのは、ぼくは常識はずれだと思うのです。あのままでやっていたら——あのままスピードを出していたら、事故を起こすと思う。
○政府委員(蓑輪健二郎君) いまの京町通との立体交差の問題ですが、これはやはり一つの例を言いますと、東京には環状七号線というのがありまして、あれはかなり大きな道路とはみんな立体交差をしております。それでも小さな交差点は平面になっております。
実は、これも先生の御指摘になりましたように、京町通の平面交差、これはその当時の考え方としては、この計画が昭和三十一年に着手されまして、私たちいろいろな全国的なこういうバイパスの計画の中で一番手こずっておるような計画だと思います。普通の場合、幾ら長くかかっても、昭和三十一年に始めて十数年かかるというようなケースはないのでございます。
特にそれらの点から、たとえば京町の場合には、沖積低地につくられておるわけですが、そこは家屋の全壊及び半壊率が非常に高かった。
鉄道は、京町−古松間、地盤の沈下のため不通になりました。また、えびの町柳水流において断水になっております。なお、今暁停電もいたしましたけれども、四時五十分ごろ電灯の点灯が回復いたしております。その他の事情はなお調査中であります。 鹿児島県におきましても住宅の全壊が一戸、半壊が三十六戸、断水ば鶴丸、原口にて断水をいたしております。八時半ごろ給水のため国分自衛隊の出動を要請をいたしております。
○国務大臣(中曽根康弘君) 国鉄関係におきましては、三月二十五日未明の地震によりまして、吉松−京町間、吉松−都城線ですね、この中の吉松−京町間に路盤の沈下六カ所、橋梁の変状一カ所がありまして、この区間は列車運転を中止しております。あとは異常ない模様でございます。
まず、えびの町京町にある真砂、黒松両旅館の損壊状況を見たのですが、古い歴史を持つ温泉旅館でありますため、建築材料は堅固なものを使用しているにもかかわらず、急角度に傾き、柱が折れ、またはひびが入り、再び地震があれば完全に地にはう状態でした。建設省の関係者もこれは全壊と同様ですと言っておりました。次に、真幸小学校の壊滅的な被害を見たのですが、授業中でなかったのは不幸中しあわせであります。
しかし、私はあの京町の実態を見まして、ほんとうに集団でここに入れば安全だという建物がないですわね。ないのですよ。震度六以上の地震が来れば、なかなか私はないと見ましたね。だからそういう災害地域は特別の地域として考えてもらう。特別の地域として考えてもらって、そうして三分の二なら三分の二のやっぱり国家の助成をやってやるんだと、こういう道を私は開くべきじゃないかと、地震は忘れたころにくるんですよ。
ところで、えびの地震の中心地でございます真幸地区、これは昔から京町温泉といわれております温泉場でございます。もちろん、今度の地震で温泉旅館が倒れたり、いたんだりいたしております。
えびの町の京町の真幸小学校、これはもう校舎がこわれる寸前の状態になっております。授業は休んでおります。授業をいたしまするためには、プレハブ教室をつくらなければなりません。そしてまた、本建築によりまする小学校を建築しなければなりません。吉松町におきましては、吉松小学校がこれまた倒れかかっておる。
だから何かの方法を特別にこういう地震によって——特にえびのの京町の町通りなどは全滅状態であります。これは手を入れなければ、中に人間は住めませんから、そういうような点を考えますと、もう少し厚生省としても何らか具体的にこの実情に合ったような対策を講じてもらえないだろうかと私は考えるのであります。
そこで、えびの町の京町の町通りを私ずっと歩いてみまして、軒並みに商店街がやられて、中には人間は入れませんから、もちろん店もそのまま締まっております。そういうようなところの状態を見まして、この際やはり商店街の再建設といいますか、これを構造政策の上から考えてみるべき段階にあるのではないかと思うのです。
この事業区域は、国鉄大津駅前の京町二、三丁目、末広町、春日町等の面積八・五ヘクタールの土地でありますが、本事業の進展は、滋賀大学付属の小中学校移転あと地が市に移管となり、国鉄の複々線化に伴い、現在の大津駅舎が約五十メートル東方に移設確定した点にあるようです。