1986-05-08 第104回国会 参議院 建設委員会 第12号
私も東京で多摩ニュータウンの計画をしたときに都市計画審議会へ入っておりまして、例えば小田急あるいは京王電車等の乗り入れについては至急にやれというようなことで、民間ですから利益その他のことを考えないとなかなか動かないんですけれども、人口その他の見通しもある程度はっきり積算をした上で民鉄にも要求をして対応をしてもらったらどうかということで、計画の当初からやかましく言いました。
私も東京で多摩ニュータウンの計画をしたときに都市計画審議会へ入っておりまして、例えば小田急あるいは京王電車等の乗り入れについては至急にやれというようなことで、民間ですから利益その他のことを考えないとなかなか動かないんですけれども、人口その他の見通しもある程度はっきり積算をした上で民鉄にも要求をして対応をしてもらったらどうかということで、計画の当初からやかましく言いました。
これはちょっと参考までに申し上げますと、京王電車と小田急電車と東京急行と京浜電車、この四つが戦時中無理やりに合併したわけです、これは戦時交通調整法で。これをまた四つに分割して昔の会社に直したわけですね。昔の会社に直すんだけれども、やっぱりやっていけない会社がその中にあるわけです。先ほどお話ししたように東北の方はやっていけない。 それは四つの中でも一番悪かったのは京王電車です。
最混雑区間の椎名町と池袋間では、準急の十両それから普通の八両編成を二分ヘッドで運転している状況でございますが、それにもかかわりませず混雑率は二三二になりまして、東武あるいは京王電車あたりが二〇〇%前後でございますのに比較して非常に混雑率が高いというのが現状でございます。
それからまた、新宿から八王子というところには京王電車が走っておりますが、これで行くと百九十円で行ける。国鉄で行くと三百十円。それからまた、東京から新宿というわずかな区間ですが、国鉄で行くと百十円かかるんですが、営団の地下鉄で行くと八十円と。
そこへいま小田急と京王電車が入っております。小田急は新百合ヶ丘と小田急永山の間六・八キロ、それから京王電車の方は京王読売ランドから多摩センターまで九・八キロ、これがそれぞれ四十九年六月一日、それから後者は十月十八日に開始をしておるわけです。それに要した期間は約二年有余、そして総工費は百六十二億円、これは小田急の方、そうして京王の方は百九十三億円。
そういった具体的な例といたしましては、開発に関連します鉄道の建設といたしまして、多摩ニュータウンにおきます小田急、京王電車との共同の実施、それから千葉ニュータウンでありますとか、根岸線の沿線にございます洋光台、港南台、また関西のほうでは千里、泉北というようなもの、あるいは最近計画段階にございます北摂、北神地区におきます鉄道、こういったような例におきましては新しい線を引くということで調整されたものでございますし
そしてこの建物が建った場合に一番陰の影響の多い北側はどうなっておりますかと申し上げますと、すぐうしろは京王電車の電車の線路敷きになっておりまして、そのほかに一列に住宅、いわゆる商店街がありまして、その北に甲州街道が連なっておるわけでございまして、比較的われわれといたしましては日照の影響の少ない建物と思って、実は率直に申し上げますと楽観いたしておったわけでございます。
現在、小田急も京王電車もいずれも平面を走っておりますので、これを電車のほうをむしろ高架にするという必要がございます。それで、これはやはり相手方が私企業でございますので、相当部分を道路側で負担をしてこれを上げていただく。この折衝がややおくれておりましたけれども、現在はすでに着工しておりますので、大体四十五年ぐらいには両方とも高架になるのじゃないか。
本年も、京王電車でむすこさんが踏切で結婚の二週間後になくなったという人が、香典の一部を交通道徳の高揚に使って下さいといって、私のととろに涙を流しながらお話をされたのでありますが、交通機関の今日の問題は、いろいろありますけれども、根本は交通道徳というものが根本になるのではないかと考えまして、皆様にぜひ御協力をお願いしたい。
商店街はおもに京王電車の近くが多いように考えております。住宅の近くでございますが、もう一つわれわれとして考えまするのは、これは新しく土地を選定いたしまして持っていくということ・は、なかなかむずかしいのでございます。
それから山手の電車が四百六十回、中央線の列車が二十八回、それから臨時列車が十回、それから小田急が五百九十八回、京王電車が五百四十八回、このくらい通っております。なおこのほかに、今後西武鉄道が入ってくる。また地下鉄が入ってくる。それからこのほかに現在におきましてはバスが東口に十一系統、西口に三十系統、それから甲州口に六系統、全体で四十七系統入っております。こんな格好でございます。
ただそれと同時に、これと似たような場合でございますが、例えば新宿の駅で、新宿の青梅口の駅がございますが、ここいらは鉄道の出品でもございますけれども、これは同時に京王電車、小田急電車の主たる乗降場と申しますか、駅なんでございます。
ただ停車場のことでございますので、たとえば新宿の青梅口の裏の方に駅を新しくこしらえる、しかも御承知の通り、あそこは小田急電車あるいは京王電車の駅でもある。そうした電鉄会社の方がその駅に、自分の地理的な条件を十分活用して、大きな停車場会社式のものをこしらえたいというような場合がありましたときに、われわれとしてはどう考えて行つたらいいかという問題は残るのであります。
それから直ぐに京王電車だと思いますが、京王電車で新宿に出まして、新宿から浅草へ出て、それは省線で上野へ行つて、上野から地下鉄で浅草へ帰つた。それから元うちの幹部で平原喜胤と申しました、今はつきり覚えておりませんが、平原という幹部がおりました。そこの家に一晩泊りまして、翌る晩は家で泊りました。そうして朝自首をするからといつて、佐久間と二人伴つて、眞木康年氏に伴われて警視廳に自首したのであります。
○證人(尾津久子君) 京王電車に新町という停留所が昔ありました。その近所です。