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913件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2017-03-09 第193回国会 参議院 予算委員会公聴会 第1号

それから、今のクアラルンプールの話については、ますます分からないことだらけで、無責任なことを申し上げるつもりはないんですが、私の先ほどの仮説をもし思い出していただければ、先ほど申し上げたとおり、トランプ政権がもしアジア方面においてはより力を示す形の外交政策に変更しているのであれば、それは北朝鮮に対していろんな形で伝わっているはずでありまして、亡命政権だクーデターだといろんな議論があります、そこは私は

宮家邦彦

2016-05-12 第190回国会 衆議院 北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会 第3号

というのは、実は、ファン・ジャンヨプ氏、元朝鮮労働党書記長韓国亡命されて亡くなられましたが、平成二十二年の四月にひそかに来日をされていらっしゃいます。この際、私、拉致特の理事でございましたもので、大変な厳重警戒の中でお目にかかって、意見交換をさせていただきました。  そのときに、ファン・ジャンヨプ氏、こうおっしゃっているんです。

長尾敬

2015-09-17 第189回国会 参議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第21号

これは、戦前のドイツがナチスの時代に多くの難民を、政治亡命者を海外に送り出してしまって、それに対して、それぞれの国はその難民を受け入れて、戦後のドイツの復興につなげるような人材をかくまってくれたわけです。その歴史的反省の上に、ドイツ憲法は、世界に例を見ない庇護権という規定を置きました。  日本国憲法九条はまさにそれと同じです。

広渡清吾

2015-04-23 第189回国会 参議院 外交防衛委員会 第10号

当時、カストロ議長がメキシコに亡命しているときにメッセージを送ったという、私の知り合いだったんですが、もう亡くなりまして、プロレスラーなんです。そのお父さんが印刷屋だったんで、その印刷機に、聖書の中にメッセージを入れて送ったという、その印刷機がまだ残っているんですが、そういうような苦労話も聞かせてもらいました。  

アントニオ猪木

2014-10-29 第187回国会 衆議院 外務委員会 第4号

これはカンボジアに限らずですが、独裁的という言葉が正しいのかどうかわかりません、カンボジアは、ここ二十年、民主的な選挙が行われて、その中で、フン・セン首相リーダーとして君臨してきた国でございますが、例えば、カンボジア歴史を見ても、体制が変わったときに、リーダーリーダーでなくなったときにどうなるかというと、殺されるか亡命するかということが続いてきたわけですね。

阪口直人

2014-02-21 第186回国会 衆議院 外務委員会 第2号

今後も、張成沢、側近の一族に至るまで全部粛清されている、殺されているという中で、恐れをなして韓国あたり亡命申請をしている人たちもかなりいるというふうな話も聞いております。  こうした今の状況の中で、一つには、この報告書を活用して、全世界に、拉致も含めた人道被害、人道的な北朝鮮の罪を、やはり国際世論をつくるために、日本が中心になって、先頭に立ってやっていくべきだろうということが一つ。  

渡辺周

2014-02-12 第186回国会 衆議院 予算委員会 第6号

私、前も予算委員会で申し上げましたが、かつて、ベレンコというロシア中尉が、最新鋭のミグ25に乗って、亡命を求めて函館に強引に着陸した。それから、それについて大きな問題が起こりましたね。あのときも、結局、政府出動命令を出さないままに、現地の司令官たちに適当に判断しろという形で、その裁量に任せる。

石原慎太郎

2013-12-04 第185回国会 両院 国家基本政策委員会合同審査会 第1号

かつて、昭和五十一年の三木内閣というどうしようもない内閣のときに、ロシアミグ25戦闘機函館亡命、不時着しまして、これに対してソビエトのコマンドが襲来するかもしらぬという通報がありました。これは政府はろうばいしましたけれども、当時の三好陸幕長の初判断で、敵の襲来に備えて、戦車が飛行場に入り、高射砲も配備して臨戦態勢をとりました。  

石原慎太郎

2013-12-04 第185回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号

たまたま、二、三年前に、物理学ノーベル賞をとった人はいましたけれども、その二人ともが、ロシアから、ルクセンブルクだったかベルギーだったかとイギリスに亡命した人で、その人たちは、メドベージェフ当時の大統領が帰国を要請して、大変な報酬を出すと言ったけれども、このような状況のもとでは帰国できないということを言ったわけです。  

木村汎

2013-12-04 第185回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号

そして、かつ、彼は、御存じのように、事実上西洋に亡命して、私はそのときに、奥様が後から追いかけられるときに、飛行場で、シェレメチェボ・モスクワ空港で最後に話しかけてお送りした外国人ということで、ちょっとそういう機会もあるんですけれども、その後、ソルジェニーツィンは御家族全体でプーチンのもとに帰ってきて、プーチンといろいろ意見を述べたりしておりますが、この点だけは、プーチン大統領ソルジェニーツィンとの

木村汎

2013-11-27 第185回国会 衆議院 外務委員会 第7号

しかも、難民というのは、大体、特定の国名は出しませんが、本国で非常に政治的に迫害を受けているから難民になっているケースが多いわけですから、そういうところから家族を呼び出したい、あるいは、難民というのは正式には政治的庇護を求めてきた亡命者みたいな立場ですから、そういう人が日本にいることがわかると家族が何らかの迫害を受ける可能性があるわけですから、なるべく家族呼び寄せというのは認める必要があると思います

山内康一

2013-10-30 第185回国会 衆議院 国家安全保障に関する特別委員会 第3号

そして、それから今日まで来てさまざまな、七〇年代、八〇年代に入って、例えば、ベレンコ中佐の、おとといも指摘がありましたミグ25の亡命事件であるとか、あるいはダッカのハイジャック事件であるとか。その後、八〇年代に入って、大韓航空機事件があったり、その他いろいろなことがあったわけでございまして、そのたびに、いわゆる国防の危機というものについて、さまざまな役割がふえてきたわけなのであります。  

渡辺周

2013-05-10 第183回国会 衆議院 法務委員会 第12号

一九七九年、赤い旅団によるモロ元首相殺害事件に関与した疑いで逮捕され、八三年にフランスへ亡命、殺害事件は無罪、しかし、国家転覆罪懲役刑が確定した、一九九七年、みずから帰国されるが再逮捕、収監されたということで、アントニオ・ネグリ氏の紹介がこういうふうにされているわけでございます。  

西田譲