2021-01-22 第204回国会 参議院 本会議 第3号
オンライン授業やリモート勤務で人間関係が変わったり、井戸端会議もしづらかったり、感染症の拡大により、経済面だけでなく、心理的にも追い込まれてしまいがちです。また、地域的なつながりが弱くなることで、これまでの社会的なサポートも届きにくくなっているのが現状です。 相談機関の方々は、信頼できる人や専門機関にまずは話をすること、これが第一歩だと言います。そして、解決策は必ずあるとも言っています。
オンライン授業やリモート勤務で人間関係が変わったり、井戸端会議もしづらかったり、感染症の拡大により、経済面だけでなく、心理的にも追い込まれてしまいがちです。また、地域的なつながりが弱くなることで、これまでの社会的なサポートも届きにくくなっているのが現状です。 相談機関の方々は、信頼できる人や専門機関にまずは話をすること、これが第一歩だと言います。そして、解決策は必ずあるとも言っています。
副総理、偉い方だから遠慮されて、ふだん世間話、井戸端会議で言っていることを、なかなか本音をおっしゃられないかもしれないという、そんたくしているとまでは言いませんよ、国民の皆さんが、地元の有権者の方が。
そういった厳しい状況の中でも、全村避難が続いている飯舘村の女性農業者は、九月に、「農業女子とかーちゃんたちの井戸端会議」を企画し、女性農業者たちが震災からの農業再生について意見を交わしました。これは一つの例ですけれども、それぞれの農業者の方々が本当に困難を乗り越えようとして頑張っているというようなことです。本当に必死の努力を重ねているところでもあります。
PTAの方で、六月二十日に親子触れ合いトークということで、警察署の方に、そういった補導の危険性とか、また注意事項をお話しいただき、その後、親同士の座談会みたいな井戸端会議的なところで、うまくやっている家庭の知恵、うちはよくやれていないというようなことを今度企画をしております。
短時間でいろんな作業をこなすというまさに段取り力、主婦に勝るものはございませんし、井戸端会議はコミュニケーション能力、まさにスキルアップに使っているわけでございます。このような、育児を通して子育てをしながら社会経験を積んできた。しかし、家事というものの評価がこの日本では低過ぎるんです。 先日、大沼委員の方からも御指摘がありました。男性と女性、女性は五時間二分、男性は四十七分。
さらに、調査審議するだけでは、これは井戸端会議じゃないけれども、それで終わってしまうようなことにもなるわけで、実際にその結果について必要な措置をとる必要があれば、これはできるという規定まで踏み込んで法律で定めておく必要がある。
この戦略会議は、近々取りまとめをいただいて、提言をいただく予定になっているわけでありますが、私としましては、この提言は多くの国民に広く発信をし、食料問題を国民皆さん方自らの問題として認識していただくための国民的な議論、言わば井戸端会議、お茶の間会議、いろいろな場面でも話題にし、みんなでこのことを議論をしていただくというような、そういう素材を提供したいというふうに思っておりますし、この提言を受けまして
しかし、井戸端会議という御批判もございましたが、井戸端で言っていることもやはり耳を傾けて、現場感覚、庶民感覚ということも大切な部分もありますから、ここで出てきた御意見の中でどれを取るか、あるいは、いい意見なんだけれどもどういう方法でやるのか、これはやはり内閣が責任を持って判断を取捨選択しなければなりません。 そして、それを実現するためには、今御指摘がございましたように、法律改正も要ります。
ただ、先般の、これは日経新聞だったと思いますが、社説に、これは五月十八日の日経新聞の社説に「教育「井戸端会議」なら全くいらない」というような社説が載っておりまして、これは若干再生会議をやゆしたものではないかなと、こんな思いも私はするわけでございます。 しかしながら、私は、井戸端会議というのは決して悪いものではないと。
そして、であるからこそ地域社会も井戸端会議という形で成立をしておりましたから、割に子供の予兆が見付けやすかったです。今それがほとんど学校の先生に押し付けられているわけですから、これは学校の先生のお立場も、やはり一方的に非難するんじゃなくて、こういう時代の変化ということを前提に考えてあげなければいけませんね。 それから、携帯のことをおっしゃいましたが、これは随分変わりました。
例えばで言いますと、テレビ、新聞で、憲法を変えるということについて連日のように報道が行われて、いわゆる井戸端会議だとか家庭の中の会話、それから居酒屋さんや喫茶店、職場や学校で数多くの議論が交わされる状況が、ある意味では理想の形ではないかというふうに思っておるところでございます。その上で、国民が自主的に判断を下すときに、初めて国民主権が実体化されるということになるだろうと思っております。
アドバイス、深刻な相談、なかなか相談しにくいという、それを何とか支えていこうということから子育て支援事業というふうにあると思うんですけど、児童相談所もそんなに地域にはないと、保健所はあるわけですけど、それに代わる民間のいろんな子育てサークルとか、そういう取組も今NPOその他で広がりつつあるわけですが、私は、これ、認定こども園というのが法定化されると、子育て支援事業の、特に相談の拠点とか、また親同士の井戸端会議
つまり、母親の井戸端会議が活発になるとか、あるいは地域に子育て支援のNPO等、母親のグループサークルがかなり今は増えてきております。
私は、特にやはり国民に知らしめる上での、メディアも通すだろうし、そうでない個々の、それこそ井戸端会議のようなところでの議論もあるだろうし、それに対しては、私自身はお二方と同様に、できる限り規制がないような形でやった方がいいという論者でもあるんです。
いろいろな理由が書いてあるのですが、理由とするところは三点ぐらいありまして、共謀罪が成立すると市民団体にも適用されるおそれがあるということ、あるいは思想処罰につながるおそれがあるということ、さらには主婦の井戸端会議さえも共謀罪の対象になってしまうといういろいろな心配が書いてありますが、私はそのほとんどが誤解に基づくものだというふうに思っております。
よく何年か前までは、井戸端会議で主婦の方々がいろんな立ち話をして情報交換をしておりました。そういうことを通じて、地域のことや学校のことや世間話の中でお互いの理解が深まって、コミュニケーションが取れていたんだと思います。それがどんどんどんどん今少なくなっているんじゃないかというふうに思っています。家庭、そういった地域での情報の共有化、これは本当に防犯にも大きな効果を上げていたんだと思っています。
本当のボランティアでございますから、皆さん方に大変御迷惑をかけるというふうに思うんですが、そうした方を何人もつくって、そして、それぞれの井戸端会議であろうと、あるいはまたそれぞれの老人会であろうと、若い皆さん方の集まりだろうと、そうしたところで、本当のことをそこで語っていただける方をたくさんつくっていくということが一番大事ではないか。
しかし、よく見ますと、まさしく井戸端会議をやっている状態なもので、本当に交通安全のために道路に立ってやっているのかなという部分がよく見られるんですよね。だから、その点で、今後、やはりもう少しアイデアを出し合って、交通安全というものをみんなでもう一度復習する必要があるというようなことを言わせていただいたわけでございます。
私はこういうボランティアをしている、海部総理の奥様はどういうボランティアをしておりますか、そういうお話がずっと出て、私は井戸端会議をやっておりますと言うわけにもいかず、困りましたよというお話をなさいました。 私はそのときにこういうことを申し上げたんです。
それはキッシンジャーの別のところで語った言葉でありますが、今の日本の風土というのは、とにかく実力者のところへは全部情報を持っていって、よう言ってくれたなと、井戸端会議的な意味でそういう扱われ方をしておる。
また、親の支援として、六十一年に私が当選させていただいたころに、家庭教育地域交流事業というのが文部省で余り大きな予算ではなかったんですけれどもありまして、「新井戸端会議」と、こういうニックネームがついておりました。