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8件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1980-11-05 第93回国会 衆議院 法務委員会 第3号

第六番目には血盟団事件井上日召事件取り扱いについても司法省と検察庁との一つの癒着がありますね。いよいよ戦後に入って昭和電工事件にも、法務大臣ですか、君臨すれども統治せずなどという言葉とうらはらの結果が出ていると私は読んでいる。それから、大橋武夫法務大臣検事総長との二十五条解釈問題に対する論争については、先般も質問いたしましたからやめにいたします。

小林進

1980-10-15 第93回国会 衆議院 法務委員会 第1号

第六番目は血盟団事件井上日召取り扱いについて。第七番目には、いよいよこれは終戦後へ入りますが昭和電工事件。それから第八では政治と検察との争いの問題。それから第九番目はいわゆる造船疑獄指揮権発動。  これまでずっと私は問題を整理してまいりましたが、私の調査によりますると、君臨すれども統治せずというのは真っ赤なうそだ。

小林進

1961-05-24 第38回国会 衆議院 法務委員会 第15号

血盟団事件井上日召だって、あれだけのことをやって六年でもう出獄しております。しかも時の総理大臣の近衛さんの屋敷にかくまわれておった、こういうようなことがその後のテロの続出になってきた。あの血盟団事件、五・一五事件のときに減刑嘆願書が三十五万通も軍法会議に提出されたということは何に原因するのですか、一体そのような状態を再現していいのかどうかということが私どもの心から心配したところなんです。

猪俣浩三

1960-12-16 第37回国会 衆議院 予算委員会 第5号

慰霊祭実行委員長には小山田劔南氏が就任、発起人代表としては井上日召、橘孝三郎三浦義一等が決定いたしておりますが、当日は出席をしておりません。約五千枚の慰霊祭通知状を全国の右翼関係者に発送いたし、参集を求めた次第であります。当日の現況につきましては、午後一時十九分に開会をいたし、午後三時三十六分に散会をいたしました。参会者は、最高時におきまして二千三百名程度でございました。

安井謙

1956-11-30 第25回国会 衆議院 法務委員会 第3号

猪俣委員 これは小さい問題でありますが、井上日召がやめて佐郷屋がなってから、護国団方針というものが、彼らの文書等を点検すると、百八十度変換した、非常に左翼的になってきました。そこで、あなたが今運動方針が違っているというのは、そういうことじゃないですか。私は井上日召がやめたのは、護国団の性格が変るための脱皮作用と考えているが、公安調査庁はどういうふうに考えられるか。

猪俣浩三

1956-11-30 第25回国会 衆議院 法務委員会 第3号

猪俣委員 なお、小さい事件でありますが、公安調査庁の活動について知りたいからお尋ねいたしますが、戦時中一人一殺主義をもって立っておった井上日召という男を団長として護国団というのがある。これが、井上日召がやめて佐郷屋という人物が団長になった。それはどういう理由に基くか。その佐郷屋も今度は辞任して、護国団は解散するようになったというが、その原因はどこにあるか、それを御説明いただきたいと思う。

猪俣浩三

1955-06-17 第22回国会 衆議院 社会労働委員会 第25号

山花委員 ただいま阿部さんのお話は、個人としては、暴力団であるか、あるいは何か手入れを受けたことがあったかなかったか知らない、理事長個人がこの団体のつながりのある役職員をしているような関係で、そういうところから来たのじゃなかろうか、こういうお話でございましたが、少くとも、大体社会常識を持っておられる方は、護国青年隊と申しましょうか、機関紙も発行しておりますが、内容は一人一殺、井上日召の主宰する暴力団

山花秀雄

1955-06-17 第22回国会 衆議院 社会労働委員会 第25号

山花委員 これは警視庁の方にお答え願う方が妥当か、あるいは公安課長さんの方にお答え願うのが妥当か、これは私ちょっとわかりませんが、護国団の発行している新聞に、井上日召の一人一殺という広告がよく出ておるのですが、ああいう広告公安上どんなものでしょうか。公安を害するおそれありと見られるような広告であるか、あるいは別にそういうおそれなしというふうな御見解を持っておられるのかどうか。

山花秀雄

1955-06-17 第22回国会 衆議院 社会労働委員会 第25号

ただ、私の記憶では、一人一殺ということを主張しておるのではなくて、かつての記録をまとめたものを「一人一殺」という題で著書にしておる、その著書広告の文言ではないかと私は記憶しておるのでございますが、さようになりますと、現在井上日召氏が一人一殺ということを考えておるのではなくて、かつての井上日召氏の経歴をそういう題名の本にしたというにとどまるのではなかろうかとも考えられる次第でございます。

桃沢全司

1955-06-13 第22回国会 衆議院 社会労働委員会 第21号

五月二十四日に、例の井上日召師の作る護国団員四名が警備腕章をつけて受付などを行なったのであります。翌二十五日に警備員が十名にふえました。さらに二十六日に、これら警備員護国団親衛体腕章にかえて十七名くらいになったようであります。  組合は、五月二十七日に三多摩地労、全医労各支部、東医労日共清瀬地区委員会等団体と生光会争議共闘会議を作りました。  

中西実

1955-06-13 第22回国会 衆議院 社会労働委員会 第21号

先ほど、局長からいろいろ御報告がございましたように、たとえば生光会争議に、初めは四人、それがだんだん人員がふえて、最後には相当数護国団親衛隊——この護国団親衛隊というのは、私の記憶によりますと、ついせんだって暴力団の容疑で検挙されたというようなことを本聞いておる、これは井上日召が主宰する、一人一殺ということをスローガンに掲げて、この民主主義の世の中に、ずいぶんとっぴなスローガンを掲げて運動をやっておる

山花秀雄

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