1984-05-08 第101回国会 参議院 建設委員会 第7号
私と現地の井上大使、両名が政府代表を命ぜられた次第でございます。 会議は、四月三十日の月曜日がオープニングセレモニー、議長選出であるとか議題採択であるとか、事務局長の報告であるとか、そういう行事が行われまして、二日目の五月一日の火曜日から各国代表の所信表明が行われました。日本は七番目に発言の機会がございまして、井上大使が日本の政府を代表いたしまして発言をいたしました。
私と現地の井上大使、両名が政府代表を命ぜられた次第でございます。 会議は、四月三十日の月曜日がオープニングセレモニー、議長選出であるとか議題採択であるとか、事務局長の報告であるとか、そういう行事が行われまして、二日目の五月一日の火曜日から各国代表の所信表明が行われました。日本は七番目に発言の機会がございまして、井上大使が日本の政府を代表いたしまして発言をいたしました。
○吉田法晴君 それでは岸特使として南米に行った杉道助氏がもたらしたパラグァイの商船隊とドックの建設に、きのうちょっと触れましたが、これについて重光外務大臣当時、在アルゼンチン井上大使から、それから調査に参りました佐藤参事官から、それからアメリカ大使であった黄田大使から、パラグァイには外債の支払い能力が少い。
現に今度新聞で見ますと、韓国の交渉をやるのに、アルゼンチンの井上大使が帰ってこられる。これは井上大使自身はりっぱな人に違いないが、前の韓国の交渉をやった久保田大使は、交渉半ばにしてメキシコの大使に行ってしまった。この間ソビエトとの通産協定をやった広瀬公使は、今度ベネズエラの公使になる。これでは、外務省内の昇進とか人事配置等が常に外交官を永久に見習いにしておくのじゃないかと思う。