2015-07-14 第189回国会 参議院 農林水産委員会 第12号
少し前、五木寛之さんの「下山の思想」が話題になりました。頂上だけを目指す登山重視の時代から、周りを見回し麓を見詰め直す下山重視へと大転換が必要だという問題提起です。私も全く同感です。大変生意気なことを言わせていただきますが、戦後七十年、今こそ目指すべき日本の将来像、そして新たな国家観を示すべきときだと考えますが、総理を目指され、また期待されている林大臣の率直な御所見をお伺いしたいと思います。
少し前、五木寛之さんの「下山の思想」が話題になりました。頂上だけを目指す登山重視の時代から、周りを見回し麓を見詰め直す下山重視へと大転換が必要だという問題提起です。私も全く同感です。大変生意気なことを言わせていただきますが、戦後七十年、今こそ目指すべき日本の将来像、そして新たな国家観を示すべきときだと考えますが、総理を目指され、また期待されている林大臣の率直な御所見をお伺いしたいと思います。
五木寛之さんが書いた「うらやましい死にかた」という本、ただ、私は、逆に羨ましい生き方の方がいいかなと思っておりますが。私も、祖父がブラジルに行くときに、パナマ運河を越えて、青いバナナを食べたのがもとで三日後に亡くなりました。
例えば、そのとき平壌の第一中学に学んでいた当時十二歳の五木寛之さん、後ほど作家になられますけれども、五木さんが十二歳のときに、ソ連軍が自分の家に入ってきて病気で寝ていらしたお母さんに暴力を振るって、そしてお父さんも五木さんもそれに抗することができなかった、そして結果的にお母様は自ら命を後に絶たれるというような悲惨なことがあった。
非常に楽観主義的といいますか、前向きの政治姿勢を表明されているのでありますけれども、例えば、私の好きな作家の一人で五木寛之さん、横浜にお住まいでございますけれども、この人はこういうことを言っている。坂の上の雲を目指した時代は終わり、私たちは今地獄に向かう下山の時代に入った、こう言っていらっしゃる。総理は、いたずらに悲観ばかりしているわけにはいかない。
最近、「武士道」という本が非常によく読まれ、また「国家の品格」という本がベストセラーになり、あるいは日本人の心というものに非常にこだわる作家、例えば五木寛之さんの本が非常に広く読まれているというような事実を見たときに、私はどうも日本人の心が渇いている、そして日本人がどうも自分の心が渇いているということをしっかり自覚をし始めたのではないのかなというふうに思うわけであります。
これは私が言っているだけではなくて、最近たまたまちょっと読んだ本で、小説家の五木寛之さんがこの国の将来を案じて「大河の一滴」という本を最近出されました。その中に、日本が世紀末を迎えている、平成八年で年間二万五千人以上の人が自殺をしていると。
今、五木寛之さんの「大河の一滴」というのがベストセラーですが、彼もきょうの世界を市場原理と自己責任であるとし、もう覚悟を決めるしかない、こう書いております。 我々は、果たして今の日本の土壌になじむのかなじまないのかよくわからないながら、覚悟を決めてこの自己責任体制のビッグバンについに突入した。
もう少しそのあたりをマイルドに考えなければいけませんし、ただ科学だと言うだけでは、五木寛之さんのようにつめの先まで人格の一部だとおっしゃる方を説得するにはちょっと説得力がないというふうに思うわけです。
最近の例で申し上げますと、平成六年に検定済みの高校教科書、大修館書店発行の現代国語に作家の五木寛之先生の「ヒゲを持ちあげて盃を」というエッセイが載っております。文脈そのものは別として、神とアイヌの仲介の役目をするドキパスイというアイヌにとっては大事な遊具をヒゲベラとしております。これは明らかにアイヌの文化、宗教観について誤った認識であり、文部省もまた誤った検定をしているのであります。
私は、会長もおっしゃっておられますけれども、番組編成というのはずいぶん大切なものなんだなということを感じておるわけですが、たまたま週刊誌をぺらぺら見ておりましたら、つい十日か二週間前に、週刊誌の中で作家の五木寛之さんが書いておられたことで、「NHKは妙な番組をしばしば押しつけるが、」三月九日のあの「「東京大空襲」を放映したことで、私は当分、NHKに放送料をさほど腹を立てずに払いつづけるだろう。」