2009-04-01 第171回国会 衆議院 内閣委員会 第6号
そういうふうに無理やり、ふろ二つとか何かじゃなくて、五右衛門ぶろに入ってみたいという人もいるでしょう。だから、そのままで農家がお客さんを泊めてもいいという話になれば、これは農家の所得が上がるわけなんですよ。百円玉一個稼ぐのが農家は大変なんです。
そういうふうに無理やり、ふろ二つとか何かじゃなくて、五右衛門ぶろに入ってみたいという人もいるでしょう。だから、そのままで農家がお客さんを泊めてもいいという話になれば、これは農家の所得が上がるわけなんですよ。百円玉一個稼ぐのが農家は大変なんです。
戦後、うちなんかもおやじが満州から引き揚げてきて、借家住まいから始まって、やっと家建てて、ふろはもらいぶろで、ふろといったって五右衛門ぶろだった。今はそんなことないんですが。
その屋敷では、ふろは五右衛門ぶろ、かまどは昔のままのおくどさんで、もちろん畳に布団です。昔ながらの町並みで、市民と一緒にいろいろな祭りのための作業等もやってもらいました。 ここに参加した外国人の学生、複数の学生から、こんな意見をいただきました。 私は学ぶため日本にやってきて、自分は、今、日本に来ているという実感を得たいと思うんだけれども、どうしても実感を得られなかった。
夏は暑くて冬は寒いところですし、大きな五右衛門ぶろみたいなかまを扱っているし、なべはこんな大きな状態ですから、いろんな公務災害が発生して、いま一番顕著に出ておるのが腰痛症、頸肩腕症、それから皮膚障害ですね、やけどその他も含めて。
さらには不自由な体でまきを運んだり、また、五右衛門ぶろをたきながら湯あみをしなきゃならぬ、こういう状況で、まさに復帰前の状況のまま放置されている。これは本土の国立の療養所に移管する、こういう復帰の措置があったにもかかわらず施設はそのままだ、これはまことにもって人権問題も含み、あるいはその本土復帰というものに胸をふくらませた患者の方々の希望もちぎってしまっていることになるわけです。
それから今度はいろいろな福利厚生施設等もなかなかそれは一生懸命にやってはおりますけれども 向こうはりっぱな大きな大浴場をやっておるが、われわれのところは五右衛門ぶろをまきをたいて、それにかろうじて入らせる。食堂にいたしましたところで、何かわずか板のテーブルを置いてお茶だけ出して、各人が持ってきた弁当なり昼食をとっていただいて食べさせるというのが関の山です。
そして五右衛門ぶろだったのですが、陥没すると同時にふろの底が大きな穴があいたわけです。こういうはずはないがということで調べてみましたところが、いやあ、先生のうちの下は昭和二十五、六年に掘ってしまっておったのですよ、先生知らなかったのですか、こういうことなのです。気づいたのは昭和三十年か三十一年ごろ知ったわけです。
あるいは五右衛門ぶろがりつぱなバスになつておる。これは客観的に見ましたならば価値増ということが言い得るのかもしれませんけれども、これは当事者としましては非常な迷惑であります。有益費を有益費として見られぬ場合のあることはわれわれもよく承知しております。従いましてそういう場合には有益費として今日までも計上いたしておりません。
但しよく問題になりまするのは、五右衛門ぶろがりつぱなバスに変更されているという場合があります。客観的に見まするとまことに価値増であります。しかしお住まいになります方は、こんなバスではとうてい住めないのだ、前の五右衛門ぶろの方が適当なのだから五右衛門ぶろに直せ、こういう御要求であります。なかなかこの有益費の査定の問題につきましては、事実上むずかしい問題があるのであります。