2006-12-06 第165回国会 衆議院 厚生労働委員会 第8号
父親四十三歳と、いずれも養護学校に通う長女十四歳と二女十歳。死因は一酸化炭素中毒で、無理心中と見られる。母親は三年前に他界し、父親は在宅支援サービスを活用しながら一人でまな娘を懸命に育てていた。その生活を一転させたのは、四月からの障害者自立支援法。過重な負担が父の背中にのしかかった。
父親四十三歳と、いずれも養護学校に通う長女十四歳と二女十歳。死因は一酸化炭素中毒で、無理心中と見られる。母親は三年前に他界し、父親は在宅支援サービスを活用しながら一人でまな娘を懸命に育てていた。その生活を一転させたのは、四月からの障害者自立支援法。過重な負担が父の背中にのしかかった。
○房村政府参考人 非嫡出子の親との続柄欄の記載の問題でございますが、御指摘のように、従来の戸籍法施行規則におきましては、嫡出子と非嫡出子とが相続分など法律上違う地位に置かれていることから、これを戸籍面でも明らかにする、こういう趣旨で、非嫡出子につきまして、続柄欄には男、女の記載をするということで、嫡出子が長男、長女、二男、二女というような形の記載をするのとは異なった記載の仕方をしておりました。
これまでのような、婚外子についてはそれが分かるような表記の仕方ではなくして、差別をなくすということで、私もそれは当然だというふうに思っておりますが、この際、その表記について、これまで長男とか長女、二男、二女、こういうような表記になっております。
それまでは、「長男」「長女」「二男」「二女」、婚外子、両親が婚姻届を出さないで生まれてくる子供だけ「子」という記載がされていましたが、去年三月一日以降、全部「子」になりました。子供はみんな「子」でいいじゃないというふうに思います。それはやはり子供の人権を考慮した考え方だと思います。
長い沈黙を破ったのは、地元に就 職している長女(二二)と二女(二〇)だっ た。「お父さんの仕事がなくなるんだったら、旭 川を離れるのも仕方ないと思う。私たちは、こ っちでがんばるから大丈夫よ」 夫の気持ちの変化を察していた妻(四三)は、「あなたの気持ち次第」と言いながら、覚悟を 決めた様子だった。女の子三人の五人家族に、 思ってもみなかった”国鉄倒産”余波。
そこでまた別の米軍人と懇意になり、結婚して一男二女を出産した。三名の子供たちの父もやがて帰国してしまい、その後は送金もなく音信も途絶え、母一人で三名の子供たちを養育している。 これは一つの例です。まだいろいろなケースがあるわけです。
そしてこの亡くなった理事の小林十寸穂という人の二女——いまは嫁いで荒井アヤ子となってますが、この荒井アヤ子とやめた学園長の小林勝はきょうだいです。その荒井アヤ子の主人というのが学園のいま副理事長なんです。そして、この荒井アヤ子というのがこの実学舎の代表取締役会長なんですよね。さらにこの副理事長の荒井貞雄のきょうだいの岡野福松、これも同じくこの学園の理事をやっておるわけです。
しかも塚田徹代議士は松野頼三代議士の二女のだんなさんなんだ。義理の親子なんだ。松野頼三さんは塚田さんのお父さんだ。しかも住所を調べたら、東京の住所は、松野さんも塚田さんも同じ住所で電話番号も同じなんだ。国会で電話番号を調べてみたら同じ電話番号になっておる。これは関係ないというわけにいかないでしょう。
生来の頑健なお体と若さとを誇りとしておられた先生が、いかに天命とは申せ、最愛の奥様と小学校三年生の御子息を末に一男二女の愛児に心を引かれながら、忽然として帰らぬ旅へ先立たれるとは、まことに人の世の無常をうらまないではおられません。まして、あらん限りの御看病に祈るような気持ちで当たられた御遺族の御心中を思うとき、その痛恨の念は言葉をもってあらわすことができないのでございます。
遺族が、現在、養母七十一歳の方と奥さん、それから子供が一男二女の三人おるわけでございますが、こうした凶悪な犯人の手に倒れた大変痛ましい事案でございますので、その補償には万全を期してまいりたいと考えております。
私は現在国鉄東舞鶴駅の配車掛として勤務致しておりますが、三年前ネフローゼにかかり国立舞鶴病院に長期間入院している私の二女松本英子(十三才)のことにつきまして、心痛のあまりに下記のような事情をもってここに嘆願に及ぶ次第です。どうかよろしくお願い申上げます。 英子はほっそりとしてはいましたが、極めて健康で明るくよく笑いよく気の付くやさしい子供でした。
そして、くら夫人と、長女の直子さんは十七歳の高校二年生、二女の孝子さんは十三歳。こういう、いたいけない、父親のない子供をつくってしまった。高見警視正にいたしましても、久子夫人と、それから俊明君という十七歳の高校二年生、真行君という十四歳の中学二年生の二人の子供さんを残して他界をされました。
この三男も妻もそれから二女もみんな入れてくださったんです。というのは、日本にそんなに縁故の深い者ですから……。ところが、戦争後二十年たちますと、相当かせいでいますけれども、やはり自分も健康上に不安が来て、後継者をつくっておかなくちゃならないというので、梁溢光の入国を願っているわけです。ところがこれは御許可がない。
まず最初は、一昨年の十一月九日に、二女のまさ子さんという人が肺炎で入院した。ここから始まるわけでありますが、そうしましたら、十一月の二十九日に次男の正蔵君が、十六歳でありますが、ダム工事現場に出かせぎに行っておりまして、事故死しました。これは、年少労働者のそういう悲惨な死に方というので、地方紙はもちろん、中央紙にも三面のトップ記事になった事件の中の、これは事実でございます。
昭和十三年には東京弁護士会常議員、同十六年には日本弁護士会理事に選任せられ、ますますその才幹を伸ばされたのでありますが、その間、縁あって本院元議長松永東先生の女婿となられ、千恵子夫人との間に一男二女をもうけられ、居も埼玉県に移し、円満な家庭を営んでおられました。
私も一個の社会人といたしまして、また一男二女の父といたしまして全く御趣旨には同感でございます。この点につきましては業者の自粛自戒と厚生省、文部省、運輸省等の健全な指導方針を期待すると同時に、旅館従業員の労働条件の改善につきましては、先ほどから申し上げております基本的な精神によりまして、その改善について労働省として十分努力いたす考えでございます。
今回の事故でも、何か気がついて、二女か三女か女の子が、逃げ出そうとしたのだろうと思いますが、階段の途中で倒れておった、こういう報道が新聞に出ておりますが、少くとも気がついたときには、逃げ出そうとしても命がとられるというところまでいっておるという状況である。だから、そういうことになる以前に気がつくような、においとか色とか、何かそういうことは考えられませんか。
子供は昭和二十四年四月十三日に生まれました長女明美をかしらに、二女の直美、長男哲一郎の五名がございます。現在勤務しておるところは昭和産業株式会社の鶴見工場であります。結婚当時の家庭は、和田太吉のうちには長男の進という人があったのです。しかし、親子の関係がよくなかったもので、太吉のところへ龍男が養子縁組して入ったわけなのであります。
大学四年の在学生の二女の方は、ボーイ・フレンドができても何ができても明朗潤達に、お互いの若い時分とは違って、大っぴらにやっている。そうして聞いてみると、親しければキスぐらいはいいでしょう。ただしいわゆる処女性というものは結婚するまでは絶対に保たなければならないということを答弁しておる。こういうことを考えてみますと、文教の一つの性教育の問題というものが、やはり昔のままにほったらかしにされている。
そうするとせつかく二男、三男が憲法によつて獲得したところの財産権というものが、この法律によつて一人の子が独占して、そうして他の同等の愛を要求すべき二男、三男あるいは二女、三女、これの権利を無視するということは、これはどうしても非民主的であり、民法の改正の根本趣旨にも反するし、また憲法にも反すると私は思いますが、この点について法務総裁並びに農林大臣の所見を伺つておきたいと思います。