1977-04-27 第80回国会 衆議院 大蔵委員会 第25号
○吉岡(孝)政府委員 新処理基準といいますと、そこで何かいろいろ誤解を生ずるようでございますが、この問題として結果的には、そういう半分有償、半分無償ということでもやむを得ないというふうに所沢市事務当局そのものは考えておられるというふうに聞いております。
○吉岡(孝)政府委員 新処理基準といいますと、そこで何かいろいろ誤解を生ずるようでございますが、この問題として結果的には、そういう半分有償、半分無償ということでもやむを得ないというふうに所沢市事務当局そのものは考えておられるというふうに聞いております。
そういうようなところを基準にして考えるならば、これは税調にただ基本的な方向づけをしてもらって、それをながめて判断するまでもなく、事務当局そのものが一番よくデータを知っているわけですから、これはもうそろそろ見切りをつけるべきであるというような判断があるように思うわけでございますが、この点についての考えはいかがでしょう。
成案を得ておれば何も、しかも各政党の政審のほうでもすでにもういろいろ何回か検討した問題ですから、そういった問題についてさらに何カ月もかかって検討しなければならぬという問題ではないと思うのですけれども、問題は事務当局そのものが成案を得ておらないという状態なんですから、ほとんど不可能だと思うのですが、その点をもう一ぺんひとつ郵政大臣から簡単にお答え願います。
私はこの点について環境庁及び文化庁の事務当局そのものの意見も聞きたいと思います。同時にその意見を聞きました上で、環境庁長官としてではなく、国務大臣、副総理としての三木大臣に政府としてこの行政の一元化という一これは環境保全問題の行政が多元化しておるもののごく一つの側面にしかすぎません。こうした点について政府としての今後の考え方というものをぜひこの機会に承って、今回の質問を締めくくりたいと思います。
普通、一般的な何かの答申をいただくというような場合には、それぞれ学識経験者が委員になっておりますから、意見を得て答申を求めるということでけっこうでありましようけれども、こういうエネ調のような場合には、単に政府の事務当局のみならず、事務当局そのものがもう少し権威のある、しかも相当時間をさいて具体的にこの問題にかかり得る体制をつくる、そういうものがない限り、GNPが幾らか伸びる、逆算して結果的にはこういう
○政府委員(三治重信君) この労働委員会の運営は、やはり労使、公益の委員の方々が中心になって行なわれておりまして、事務当局そのものの事務の処理も、確かに件数がふえているのですから、ふえてはおりますけれども、やはり主要な機能を果たしますのが委員中心主義になっておりますので、事務員の増加については、もちろん各地方行政当局において処理されておりまして、事件の多いところは定員も多くなっており、事件の少ないところは
特に事務当局そのものが、私はやはりこういった問題に対する扱い方については、今までの経過等も十分に、新任大臣等に対してはお伝えを願って、もう少し能率的に国会に出してもらえる方法がないものかと思うのですが、この点いかがですか。今年の予算も相変らずという印象を受けるのですが。
もちろん、その内容の積算につきましては、明示されるわけでございますけれども、それを大学におきましては大学全体とし、あるいは学部としてそれを全体まとめて運用していく、そこで、研究費につきましても、これは経営経費としての研究費でございますから、その中身の実態としまして、あるいは水を使う、電気を使う、ガスを使うといったようなものとか、あるいは消耗品とかいうことになりますと、そこでどうしても大学の事務当局そのもので
○久保等君 先ほどちょっと次官の方から御答弁のあった中で、永岡委員の質問しました自由任用制の問題について、最近何か問題が出ておるのじゃないかという質問に対しまして、特別最近になってということではなくて、従来からある程度いろいろ意見が出ておったという御答弁であったと思うのですが、自由任用制の問題にしろ、あるいは政治活動の自由の問題にしろ、事務当局そのものが最近特別に再検討を始めるといったような事態が出
むしろ事務当局そのものが、今日の事業量に対する人員という問題については、私は今回の行政整理があろうとなかろうと、具体的にどういう案を以て一つ対処しておられたのか。まあそういつたような問題についても、更にいろいろ段階を逐つて御質問もいたしたいと思うのですが、差当つて二百十七名という数がどういうところから出て来たのか。
○佐々木(更)委員 事務当局そのものがそういう言葉を使つたから、私は性格を明らかにしたいと思つたのだが、御答弁ができなければ、また後の機会に伺いたいと思います。しかしそれはたとい政府がどう解釈しようとも、やはり事務当局としては、事務当局としてのはつきりした解釈がなければならぬはずであります。この点は後に譲ります。
—あるいはまたいわゆる占領下に置かれて制限を受けたという点もありましようが、あるいはまた寺有財産をとられてしまつたということもありましようが、六百年前のこの供養塔を考えまして、今日これらの団体から大きな問題が起つて来て、海のもくずとなり、魚族のえさとなつた護国の英霊を弔うところの積極的の活動がなかつたことを、私たちは政治家として宗教家に不平を言うのでありますが、ただ宗教家ばかりにまかさずに、事務当局そのものが