1964-04-09 第46回国会 参議院 社会労働委員会 第20号
そこで、お尋ねの点は、争議態勢ができて組合員が宿日直を拒否した場合、残ります組合員にあらざる非組合員で宿日直をやるということは、それだけの員数では、とうていこの重要財産その他いろいろな関係の時間外の管理が完全にいかない場合がございますので、そのために、過般の宿日直拒否の紛議がありましたときに、私から、必要な場合は適当なる臨時者を雇ってもよろしいということを指示いたしました。
そこで、お尋ねの点は、争議態勢ができて組合員が宿日直を拒否した場合、残ります組合員にあらざる非組合員で宿日直をやるということは、それだけの員数では、とうていこの重要財産その他いろいろな関係の時間外の管理が完全にいかない場合がございますので、そのために、過般の宿日直拒否の紛議がありましたときに、私から、必要な場合は適当なる臨時者を雇ってもよろしいということを指示いたしました。
○政府委員(三輪良雄君) これは文書でやるというような趣旨のものではございませんので、副社長その他の幹部を警察に招致いたしまして、まあ何といいますか、争議を早期に解決するという意味で、これは全く非公式なことなんだけれども、会社側はそういう者を雇わないようにする、そして組合側もその問題を後の団交に移して争議態勢を解くというようなことにはならないかということを、会社側には雇わないようにする、組合の幹部の
○説明員(堀秀夫君) 水俣の新日窒の争議につきましては、これは経過は御承知だと思いますが、会社側が定安賃金に関する提案をいたしまして、それに対し労働組合側がこれを拒否いたしまして、その結果、この六月以来双方が争議態勢に入っておるわけであります。特に、八月以降におきましては、組合が全面的にスト態勢をとり、会社側はこれに対しロックアウトを実施しておる、こういう状況でございます。
労使双方が直ちに争議態勢を解き、即時団交を開いて問題の解決に努力するようにという勧告を行なっております。その後十二月中旬、下旬にかけまして労使双方において団交が行なわれておりますけれども、先ほど申し上げました平和協定の問題及び争議責任の追及、この二つがネックになりまして、団交は妥結を見るに至っておりません。
○吉村委員 このロック・アウトの解釈については、いろいろな説があるということは私も承知をしておるのでありますけれども、今の八戸鋼業の問題につきましては、第三者機関、すなわち地労委の方で職権あっせんを出して、労使双方が、従来の経済要求なりあるいは会社側の言い分というものは一応お互いに撤回をして、そうしてロック・アウトを解き、組合側は争議態勢を解いて、自後の問題については団体交渉にというあっせん案が出されておる
なお、争議態勢を解いて、目下、労働委員会の調停にかかっているものが全日赤−赤十字の病院関係でございます。それから未解決の部門が、ただいま御指摘ありました全労災の二十三病院、それから東京医労連傘下の三十四病院、厚生年金病院傘下の三病院でございます。
その問題の中に、今日の原子力研究所における争議態勢解決の問題も含まれるだろうと思います。どうか、そういうようにやっていただきたいことを念願いたします。
政府のやり方が、再びまたそういう争議態勢をはらむというようなところに追い込まれる危険性を持っている。私たちから見ましても、これは完全にこの問題を解決して、そうして少くとも当面した問題をここで切開手術をして、この原因を、病気の原因を除去した、こういうふうには見られない。あとに禍根を残す、こういうふうに考えるのですね。
今申し上げましたように、不完全な形で解決すれば、やはり争議態勢というものが、これははらんでおるという事態が起る、そのあとでそういう事態が起ったとしても、それは不完全裁定実施につきまして労働者が不満を感じてそういう事態が起るのですから、そこに原因があるということをはっきりしておかないと、先の問題と関連して重要だと思うから、お聞きしておる。
それで、いろいろ総評の関東化学、区労協の方にごあっせん願いまして、このままにほっておいたのでは仕事も全然できぬというようなわけで、十日の午後六時から団交に入りまして、十一日の午後三時ごろ一応会社側と会社の労働組合、それから総評の関東地方労働組合書記長飯崎清治さん、関東労働組合協議会議長の田中哲太郎さん、四者の間で全部調印しまして、もうこれで争議は解決した、翌日から旗、ビラは全部とる、争議態勢を解いて
と申しますのは、昨日の労働大臣の談話発表によりまして、而も折角燃え上つておりました組合の争議態勢も二十四時間のうちに解かれた結果になつておるわけであります。この結果というものは、恐らく公平に見まして、使用者側に対して利する点が多いものと判断せざるを得ないわけであります。
それから七月二日に、会社が個人々々の賃上げの案を発表したのを撤回したのですが、その当時は山本さんも書記長で、西沢さんはスの字スの字と言つてあおつた、スの字以外にないと言つて、みんなに訴えたわけです、その後争議態勢に入りましたから、闘争委員会をつくつて、行動部をつくるということを決定したわけです。西沢さんは統制部長になつて、行動部を指導することになつたわけです。
御指摘のように熔鉱炉の火を落しまして、争議態勢を整えたということを聞いて非常に驚きまして、実情を調査してみました。新聞等によりますと、十六工場の火を落したということでありましたが、実際は八工場であります。