1984-03-01 第101回国会 衆議院 地方行政委員会 第3号
○経塚委員 これは、私どもが現地へ調査に参りまして知り得た事実でございますが、昨年の選挙期間中の十二月十日に、天城町の役場で、十一日に保岡候補が亀徳港に来るので迎えに行ってほしい、こういうことで、勤務中、公務中に役場の多くの職員に対しまして十リッターから三十リッターのガソリンのチケットを配付した、こう述べておるわけですね。
○経塚委員 これは、私どもが現地へ調査に参りまして知り得た事実でございますが、昨年の選挙期間中の十二月十日に、天城町の役場で、十一日に保岡候補が亀徳港に来るので迎えに行ってほしい、こういうことで、勤務中、公務中に役場の多くの職員に対しまして十リッターから三十リッターのガソリンのチケットを配付した、こう述べておるわけですね。
○原田立君 一応は鹿児島県並みのところまで持っていきたいという抽象的な話なんであれなんですが、おたくの方でもらった「奄美群島の港湾及び漁港の整備状況 主要港湾の整備状況」、五十六年三月現在というのを拝見しますと、亀徳港が接岸能力五千トン、これを計画としては一万トンにしたいんだと、これがちょっとおくれている。
五十三年には徳之島の亀徳港及び沖永良部島の和泊港におきまして、防波堤及び岸壁等におきまして被害を受けました。その額は二億六百万円でございます。
港湾関係では、名瀬ほか十一港が整備されておりますが、船舶の大型化、スピード化に伴い、名瀬港では一万トン級岸壁の一パース増設、亀徳港等についても同様、施設整備とともに防波堤の建設がなされております。また、異常気象時対策としての裏港の整備についても建設が急がれております。
だから、そういう徳之島というあの地域の条件を考えてみた場合に、私は亀徳とか平土野という港湾があるからそれで結構ですということじゃ困ると思うんです。だから、あなたが後から答弁をされたところの基幹漁港として積極的に開発するというなら、そういう方向であるということを明確にしてくださいよ。その点はそういうふうに理解してよろしいですか、どうですか。
五十三年までにこの基幹である港、すなわち奄美大島の名瀬港であるとか徳之島の亀徳、平土野、また沖永良部の和泊、それから与論島における与論港、こういう港につきましては、何とか沖繩に至る約一万トンクラスの船がある程度接岸できるというのを目標に、昭和五十三年までに何とかしたいということで事業を進めていきたい。
そういう点も考えますと、たとえば徳之島におきまして亀徳と平土野を整備するような形で、これも極力島自体を防波堤とするような考え方を具現していきたい、このような考えも入れまして、とにかく何といたしましてもこの新港計画の目標につきまして、われわれといたしましては、技術的の面からもあるいは予算の方の面からも極力がんばっていきたい、このように考えておるわけでございます。
奄美群島には名瀬の重要港湾を初め、徳之島の亀徳港、平土野港など三十四の地方港湾がありますが、いずれも従来の港湾施設では近年の海上貨客輸送量の増大に伴う船舶の大型化と高速化に対処することが困難となり、このため名瀬港は四十七年から一万トン級船舶に備えて、岸壁、防波堤の拡張整備工事が実行されており、また亀徳港は三千トンを五千トン級に、平土野港は二千トン級の船舶就航に対処するため、岸壁、防波堤の施設、しゅんせつによる
たとえば名瀬港だけは一万トンの船が着けるわけでございますけれども、徳之島の亀徳には五千トンの船がようやく静穏時にだけ着けるというような状態で、そのほかの港は二千トン級の船が静穏時のときに着けると。したがいまして、少し波があるともう着けないというような状態でございます。
また今度は、これは一方は三百であり、一方は百以下ですから、これは比較にならぬと言えばそうなんですが、たとえば名瀬と亀徳、これは百九キロですね、この場合には八円二十銭。
○説明員(大塚友則君) 御承知のように、奄美本島には名瀬という港、それから徳之島には亀徳、平土野という港、それから沖永良部島には和泊という港、それから与論島には与論という港が現実にございます。それで、現在奄美本島の名瀬におきまして一万トン岸壁が一バースでき上がっております。それから亀徳並びに和泊につきましては五千トン級の船が着けるようなバースがつくられております。
それから徳之島でございますが亀徳という港がございますが、これは五千トンクラスの船が着けることになっております。なお沖永良部島、ここもやはり五千トンクラスの船が着けることになっております。それから一番南の与論島でございますが、与論という港がございます。ここは二千トンクラスの船が着けるのが限界でございます。
これは、現在実施しておりますのは名瀬、古仁屋、亀徳の三港でございまして、結局島は奄美大島と徳之島に限られておるわけでございますけれども、その他の島につきましても、こうした連絡運輸を開設していただきたいという要望が実は非常に強いわけでございます。
それから亀徳が現在五千トンの接岸可能、これを一万トンに持っていく。それから和泊がやはり五千トンを一万トンへ、与論の与論港といいますか、茶花港、これを三千トンからこれも一万トン、喜界島はちょっと省きますけれども、こういう計画であるというふうに聞いておるわけなんですが、その確認と、それからそれぞれの港はいつこういうようなことが実現するのか、この見通しですね。
基幹港湾と申しますのは、奄美本島における名瀬、徳之島の亀徳、沖永良部の和泊、与論島の与論でございます。 それから、主要定期船寄航港でございますが、喜界島における湾でございます。
現在のところにおきましては、この定期船の寄港する港におきましては千トンの船は接岸が可能でございますけれども、三千トンの程度になりますと、亀徳であるとか、あるいは和泊ですか、そのほかに名瀬というようなところしか船が着かない。五千トンの船になりますと、奄美大島の名瀬港しか船が接岸できない、このような状態でございます。
それから国鉄の貨物でございますが、これは一昨年から先生いろいろ御指摘があったようでございまして、私の答弁資料に、持ってきておるところを見ますと、昨年の四十八年八月から奄美諸島と本土間の鉄道小荷物の連絡運輸について、照国郵船が名瀬、古仁屋、亀徳港でございますが、この間でそれぞれ本土並みの取り扱いを実施することになったということでございます。
時間がなくなりましたので、最後に一つお伺いしたいのですが、それは沖繩航路のことでありますけれども、関西汽船が十月から就航したいわゆる大阪−沖繩間の航路についてでありますが、これは那覇を出航し、途中、知名、亀徳、それから名瀬に立ち寄って大阪及び神戸、最終港に至るのでありますが、どうもこれが問題になるのは名瀬への寄港なんでありますが、税関の所持品検査等を受ける那覇から、この手続の要らない奄美群島への寄港
吉國長官も、当時の亀徳さんも、その点については、特に、この参議院の大蔵委員会である委員の質問に対して、プライバシーにわたるようなところだけは隠して、いまはリコピーその他の機械がありますから、ほかのところは見せたらどうだと言ったら、そのとおりにいたしましょうという趣旨のことを答えている。
現在におきましては、三千トンの接岸が可能なものは、大島本島の名瀬港と、それから徳之島の亀徳、これは一応現状におきましては、このくらいの整備でまずまあまあではないかというところまでいっております。それから一千トンの接岸可能なものといたしまして、徳之島の平土野港、あるいは沖永良部の和泊港、与論の茶花港というようなものがございます。
いまお話にも出てきましたけれども、四十二年には申告の修正を要求された国会議員の数は五十名、申告漏れの所得は一億五千四百二十二万円、追加納税分は二千四百四万円あったと当時の泉長官から、それからまた四十三年には国会議員の数六十八人、申告漏れ所得九千二百十六万円、追加納税分千七百四十一万円あったと当時の亀徳長官からこの予算委員会で報告を受けております。
かたがたその間におきまして、修正申告その他の内容を検討いたしました結果、昨年亀徳長官がここで申しましたように、増差額があっても重加算税の対象となるようないわゆる問題の点は一件もなかったということを御報告申し上げました。
そういう意味で特にないしょにすると、こういうものでないことを、まあ前回も亀徳君時代もそのとおりやったのでございますから、今回もその点においては別に変わってはおりません。しかし、議員、そういう立場の者は責任を明確にする、こういう意味でみずから進んでやれ、こう言われるのもいかがかと思います。
これは前の亀徳長官のときですか、日本における税務行政の中で各般の通達でいろいろやられているんですが、その中で酒税問題についてこういうことを言われているんです。
先日も申し上げましたが、その反面、それではいいかげんな決定をしているではないかと、去年亀徳長官がたいへんジレンマを感じるというふうに申しましたが、しかし私は、間違っておれば直すべきだと思うし、現にそれを実行しているということで、阿部先生御心配の点は担当者を変えるということで十分に補正ができているのではないか。
○堀委員 亀徳さんは、昨年の六月十日に、もう一つ実はデータを報告をしておられるわけです。それは営業、庶業所得者については、白色申告で百三十一万人の対象者に対して一・四%、一万九千人の更正決定をいたしました、こういう実は答弁を国会の中でしておられる。
○堀委員 しかし、四十一年をあなた出しておりますよ、亀徳さんは。六月十日の大蔵委員会で、広瀬君の質問に答えて、いま私が言った数を答えておる、四十一年の。
○堀委員 それなら非公式でも——非公式かどうか知りませんが、亀徳さんがそう答えておるのですよ。要するに、百三十一万人に対して更正率が一・四%で一万九千人が更正決定になっておりますということを六月十日の委員会で答えておる。そこで、それならいまの四十二年の増額更正というのは六万五百二件ある。私は四十一年と四十二年、そんな差はないと思うのですよ。