2009-04-07 第171回国会 参議院 農林水産委員会 第6号
○政府参考人(町田勝弘君) 中核事業として医薬品事業が位置付けられているかどうかということでございますが、今回認定をされました事業再構築計画におきましては、製菓事業、乳製品事業、健康栄養事業及び冷凍食品事業、この四つの事業が中核的事業と位置付けられておりまして、医薬品事業は中核的な事業には含まれていないということでございます。
○政府参考人(町田勝弘君) 中核事業として医薬品事業が位置付けられているかどうかということでございますが、今回認定をされました事業再構築計画におきましては、製菓事業、乳製品事業、健康栄養事業及び冷凍食品事業、この四つの事業が中核的事業と位置付けられておりまして、医薬品事業は中核的な事業には含まれていないということでございます。
○芳賀委員 山本参考人ときょうは議論する考えはないですけれども、あなたはお客さんだから、お客さんを招待して議論を吹っかけるというわけじゃないけれども、ただ、牛乳のことようわからぬと言われたけれども、いやしくも天下の雪印乳業の社長ともあろうものが、公の国会の席へ来て、自分の事業の中の主要な乳製品事業とか酪農事業というものを知らぬと言うのは、ちょっとおかしいと思うのですよ。
しからば、この乳製品事業のことしの収支の見込みはどうであろうかということにつきましてちょっと申し上げたいと思いますが、昭和四十三年度の加工原料乳に対する基準価格は、前年対比キロ一円七十九銭アップに決定をされました。
○芳賀委員 従来は、メーカー側の主張の中で、たとえば加工乳、乳製品事業というものは利益をあげる事業ではない、したがって原料乳地帯の乳価は多分に市乳の販売事業あるいはアイスクリーム等の販売事業の利益の中からある程度配分して、それで加工乳地帯の乳価というものを会社が負担しておる、こういうことを終始主張して、そうして加工乳地帯の低乳価というものをずっと続けてきたことは御承知のとおりであります。
どんな神様がやっても、三百五十円の牛乳を使って百二十円のバターができるわけがないのですから、これは不可能かもしれませんが、バターのメーカーにはバターを入れさして、値段をプールさして、安いバターを国民に供給する、こういうことにすれば、酪農民を阻外しないで、しかも日本の乳製品事業を発展させることができる、このどちらかの方法にだんだん向かっていかなければならないのじゃないかということを私の私見として考えているわけであります
○芳賀委員 それを端的に言えば、日本においては、乳製品事業というものは、国内生産の原料乳に依存しないで、国内の分はほとんど市乳に使って、乳製品については、安い外国の一次製品を入れて、そうして加工して国民に提供した方がいい、こういう理論に当然なるわけですね。そうなると、国内における酪農とか畜産の様態というものが全く一変してくるわけですね。市乳重点である。
それについてはやはり有畜農家経営ということで乳牛等の導入による酪農経営を主体としてやっていきたいというようなことで、ずいぶん力こぶを入れてやっていくようでありますが、ここにあります乳製品事業というのは、森永とか明治、これらに匹敵する農協と申しますか、有蓄農家といいますか、これらが使役し得るような新しい企業を作らせるというようなことですか、そういう点には至らず単に簡易加工場をもつという程度のことを指しているのですか
○政府委員(植田俊雄君) 食肉、乳製品事業として一つの事業のグループとして考えたわけでございまして、まず酪農の振興に伴いまして乳製品という問題が出て参ります。あるいは食肉の問題も出てくるかと思って食肉も入れたわけでございますが、ただいまお話しのような事業で、枝肉にいたしまして東京市場等に送るという事業が起って参りますれば、それも貸付対象として考えるものと心得ております。
これは繊維板工業でありますとか、水産物の貯蔵加工事業でありますとか、食肉乳製品事業、特産品の加工業、たとえば青森県のリンゴからリンゴ酒を製造する、こういうようなものを考えておるわけでございます。 三番目は、鉱業及び製練業でございまして、先ほども申しましたように地下資源の開発が相当東北地方においては行われるのではないか。
それから農林水産物の加工につきまして、ハード・ボードあるいはチップ・ボード、それから水産物貯蔵加工事業、食肉、乳製品事業その他リンゴ等の特産品加工につきまして二十六億五千万円、それから地下資源開発事業、これは主として中小炭鉱等の選鉱施設等に要望のありますのが二十億、それからいろいろな交通運輸施設につきまして十億程度の要望がございます。
ところが、昭和二年か三年と思いますが、警視庁令で低温殺菌の制度が布かれましたので、こういう欧米と同様のいい牛乳が飲めるならば結構だということで、更に又牛乳を飲み始めると同時に、これは自分たちが飲むばかりでなく、この方法で処理をして広く都民に供給する事柄が、我々乳製品事業に従事している者の使命だ、そう考えまして、初めて昭和二年か三年かに低温牛乳を始めたわけであります。