2001-06-06 第151回国会 衆議院 国土交通委員会 第19号
政府参考人として来ていただきましたけれども、安本さんは、藤原さんは平成元年九月に航海訓練所に初の女性航海士として入所されました、練習船青雲丸を初め各船に歴乗されて、平成十年の十月、海王丸の二等航海士として乗船勤務になりました、そして九月の二十日、二年前ですが、同船から自宅に帰る途中に不慮の事故に遭遇された、藤原さんは航海訓練所助教授に昇任されて、彼女の今後の活躍を、航海訓練所職員のみならず、同窓生全員
政府参考人として来ていただきましたけれども、安本さんは、藤原さんは平成元年九月に航海訓練所に初の女性航海士として入所されました、練習船青雲丸を初め各船に歴乗されて、平成十年の十月、海王丸の二等航海士として乗船勤務になりました、そして九月の二十日、二年前ですが、同船から自宅に帰る途中に不慮の事故に遭遇された、藤原さんは航海訓練所助教授に昇任されて、彼女の今後の活躍を、航海訓練所職員のみならず、同窓生全員
平成十年の十月、海王丸の二等航海士として乗船勤務になりました。そのところ、昨年九月二十日夕刻、同船から自宅に戻る途次、かかる不慮の事故に遭遇された次第です。 藤原さんは、持ち前の強い責任感と明るい性格に加えまして、学生時代柔道部ではぐくまれた粘り強さで実習指導を行い、実習生からは絶大な信頼を得ておりました。
で、事実関係につきましては、まさに先生もいまお話しされたとおり、佐世保沖で昭和二十一年六月二十八日、病院船、これに乗船勤務していた救護員が佐世保桟橋に向けて航行中風波のため突然転覆沈没し十三名の方が亡くなられた、こういう事実関係につきましては承知しております。
昭和二十一年六月二十八日午前九時三十分ごろ、長崎県の佐世保港内に停泊中の病院船アルニタ号とウィークス号に乗船勤務中の看護婦が、公務による上陸のため沖回り連絡船藤栄丸(十五トン)、小さい船に乗りましたところ、この船が佐世保の桟橋に向けて航行中、突然強い波風に遭って転覆して、十三名の看護婦が遭難死亡したという事件でございます。遭難した看護婦の名簿もきちっと取りそろえられております。
○村田説明員 「さんふらわあ」の船長は、目下、会社の措置といたしまして、事故当時から二カ月間乗船勤務はさせない、それから相手船の船長も、一ないし二カ月間は船長としての業務はさせない、そういうことでいま会社の処置をとっておるように聞いております。その間われわれの取り調べに応ずるというふうなことにただいまなっておる現状でございます。
昭和二十一年六月二十八日午前九時三十分ごろ、長崎県佐世保港内に停泊中の病院船VHOO1号(アルニタ号)及びVHOO7号(ウィークス号)に乗船勤務中の救護員は、公務による上陸のため、沖回り連絡船「藤栄丸」(十五トン)に便乗したところ、同船は、佐世保桟橋に向け航行中、午前九時四十分ごろ、埠頭信号所沖にて、風浪のため突如転覆沈没し、救護看護婦十三名が遭難死亡した、こういうことでございます。
別の場合を申しますと、従来二級、すなわち乙種通信士が次席として乗船勤務の場合に、形式的には甲種通信士の通信長の監督下であり、定められた時間割りによって当直をしておりますが、その間、その当直の時間は独力で国際通信を行なっております。そして別段の支障はなかったのでございます。 現在、船舶通信士は、昭和二十六年くらいから後は主として仙台、詫間、熊本の国立電波高校の出身であります。
下部機構である七尾海上保安部を視察いたしました際に、幹部級の職員と、巡視船の乗員とに各各その所見を聞いてみたのでありますが、幹部級の職員は、海上保安庁の「コースト・ガード」という使命の上から言つて、性格の全く異つた保安庁に統合されることには、強い反対の意見を持つておるようでありますが、巡視船の乗員のようないわゆる制服職員は保安庁に統合されることが望ましい、それは現在保安庁の警備隊の職員と同じような乗船勤務
この船員が完全に船員法が適用されておらない一例を挙げて申しますと、日本の船員法では一カ年同じ船舶に乗船勤務をいたしますと、御承知のように船員は日曜でも船が航海している以上休日はないのでありますから、三週間の有給休暇が与えられるということがこの法律では明記されている。併し現在有給休暇制が実際与えられておらない。